ニーズは満たす必要がある、痛みはケアする必要がある、それ以上でも以下でもない
最近ヘーゲルの徳の騎士という言葉を知った。
それと今ちょうど話していたことがリンク。
ニーズがあるのなら満たす必要がある
痛みがあるのならケアする必要がある
満たすべき
ケアするべき
でもなく
満たしたい
ケアしたい
でもなく
必要がある
ただそれだけ
でもなかなか
凸凹な人の世で
すべてのニーズは満たしきれないし
すべての痛みもケアしきれない
満たすべき
ケアすべき
と立ち上がり
「徳の騎士」
として闘いたいのではなくて…
「あ、ここに必要がありますよ」
「ほいきた了解、人員と予算割きますねー」
っていう〝まっとうさ〟が
当たり前だよね、て、自然と思える世界
(=それだけひとりひとりが余裕ある世界)
になったらいいな、て思う
そのために
ニーズを持ってる人や
痛みを持ってる人本人が
その本体・正体を自分でわかってて
「私これが必要です」て人に伝えられる
ってことも大事だし
とてもとてもそんなこと人に伝える余裕も無い時に
周りの人がそこにあるニーズや痛みを
ある程度想像するのも大事だよなぁ
どちらか一方だけじゃないんだなぁ
その噛み合わせ方を今私は
学んでいるところなんだなぁ
満たして欲しい私と
満たしてやりたい私の
両面から。