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本来感の探究とイマココの満喫が夕焼けに交差する

お迎え行ってそのまま遊び倒して自転車乗る頃にはこの夕暮れ。

頭のてっぺんからつま先まで
皮膚から毛穴から五臓六腑まで
祝福が通り抜けるような感覚になる

息子を自転車の前かごに座らせて
同じ景色を見られているだけで
完璧な瞬間を生きてることを実感

「あ、もうおつきしゃまいるね」
「おつきしゃま、ちゅいてきてるね」
「おひさま、やしゃしいね」

空を見上げて光を感じる歓びを息子と共有できるのもこれまた幸せ

ダーっと過ぎていく人生にピン留めするような瞬間ですな。

私は自己肯定感とか自尊感情とかより
「本来感」という言葉が好きでしっくりくるのです。
自分の持ち味を最大限に発揮している時に感じるものだと個人的に解釈しています。
本来の自分は完璧。誰しも。
でも、育ちの中で、なかなかその自分の全体をうまく照らせなくなる。
そこで、好き・やりたい・できる・得意・長所、を研ぎ澄ませて、あるいは嫌だ・やりたくない・できない・苦手・短所もフラットに受容していくとだんだん、最大の自分全体に光があたり、自然と動かせる可動域が増えていき、
光が当たる部分=可動域=自分の本来感
になっていく。
その時誰もが最高のパフォーマンスを繰り出したり幸せ満たされていられるはず。

仕事、表現、コミュニケーション…
あらゆるアウトプットも、そんな時に最もその人らしさが出て創造的になるのだと思う。

その意味でいうと、私は自分に対してもっと可動域増やせるな、眠ってるとこあるな、出し切ってないな、て思うこともあってまだ「本来感に近づいてる途中」。
だんだん近づいてきて佳境に入ってきた感じで、ついつい成長や探究が面白く夢中になる。
でも、時にはあれもこれもすべて、一瞬忘れてただ「居る」人になる。「居る」に戻る。

全身が祝福に包まれてるようなささやかな日常の瞬間に
あーそうそう、私の可動域が増えたらそれはそれで最高だけど、ま、仮に今死んでも、私の場所で私は生きたなーこの世界を歓び尽くしたなーこの子と感じられたなんてこの上ない幸せだなー
って繰り返し思い出し続けることで正気を保ってたりもする。

今私、そういう意味でかなり満たされている時期だ。
いつか失っていくフェーズがあることを思うと怖さはあるけど、それを嘆くより今この時にある祝福にひたる。
それを積み重ねるように生きて行く。

(Tokyo, Japan, iPhone)