エルレ、愛してるぜ

 エルレガーデンが金曜日にやった生配信がめっちゃくちゃよかったよねって話。「エルレのYouTube生配信」って時代の流れを感じる。エルレのインスタアカウントができた時も思ったけど。

 LUNA SEA主催のオンラインイベントにエルレが出てSalamanderを演ったとき、プレイヤーが熟したゆえのエロさがすごかったって興奮して書いたけど、今回のアコースティック編成でさらに顕著にそのことを感じた。
 Space Sonicの話まずしていいですか? MV含めエルレのなかでかなり上位に好きな曲。鬱屈したものをめまぐるしいスピードでぶん回して振り切ろうとする大きな快感と、それでも振り切れないかなしみがガンガン身にせまってきて陶然となる。歌詞には崖っぷち感が満ちてあるが、それをある種傲然と歌いはなつところが最高にクールだと思っていた。MVの人を食ったようなベタなふざけ方も相まって、傷口抉りハイみたいな印象も受けてたかもしれない。ともかくかっこよかった。焦がれていた。
 スペソニに限らず、エルレのことをたぶん、不慣れな片思いをしてる青年をそばで見ているような感じで、好きだったんですよね。不安定でつらそうで、どうしようもなくぶざまで一途でまぶしくて。胸をうたれる。こっちまで恋をするように苦しくなる。恋愛のことなんてひとつも言わない歌でもそうだった。曲はいっそ爽やかなくらいのふっきれた勢いと熱量とカタルシスがあるのに、歌詞はおもいなやんで立ち止まっては奥歯をかみしめている、獣みたいな危うい美しい姿。惚れてたというのがいちばん近い。惚れてました!

 それがどうだろう、今回、アコースティックになったスペソニと対面してみたら、すらっとして伸びやかなすてきな大人になっていた。夜空に大きく広がって宇宙まで抜けていくような幅のなかで、ひりついた鋭い悲しみはゆったりと味わいぶかい哀愁になっていて、二十代がこんなこと言うのもおかしいが、四十代になっただけあるね!と感動した。血のにじむなまなましい痛みも曲の力ではあるけど、その点でいえばわたしは今回のアレンジにより深い共感をおぼえる気がした。聴きながら巻き込まれていってしんどくなっちゃうってことがなかったから(これはわたしの弱さがおおいに問題なのだが)。悲しみ、痛みを、否定してしまうのではなくて、時間的にも空間的にも距離をもって落ち着いて見て、そのまま自分の魅力にできちゃうような余裕が、今回のスペソニにはあった。Salamanderにも、The Autumn Songにも。包容力というのか。全然違う曲みたいなのではなく、それぞれの個性はそのままで、いろんな経験積んで、いい歳のとり方してきたんだねえという感慨でじーんと沁みた。原曲はもちろん好きだけど、今回のようにしみじみ噛みしめて「いい曲だなあ」と感じ入ることは、そういえばなかった。わたし、相当のめりこんで聴いてたらしい。だから今回のはすごく新鮮で愉しかった。気持ちが昂ぶるのではなく、沈着しきって逆に呆然としてしまうようなね。とても気持ちよく、かろやかに熱中させてくれた。すごくいいお酒をいい塩梅で飲んだ感じだ。曲も年をとって円熟する。バンドもそれを引き出せるまでに大人になったんだと思う。猪苗代湖のあのロケーションや舞台づくりが選ばれたのは、そこに対するバンドの自覚があってのことだろう。焚き火っていうのが抜群だったよね。そばにドラゴン(花火)の抜け殻が転がりっぱなしになってたのも飾らなくて良かった。四人があんなふうに輪になって演奏することは珍しいだろうから、お互いにうまくなったよねって言い合ってたのも含めて、普段客席へ向けられるのとはちがう親密さがあったのも、なんだかくすぐったいような温かさでうれしかった。

 四人で思い出話をしているとき、いちばんよく笑っていたのは高橋さんだった。スタジアムで観たときも強く思ったことだが、ライブ中の高橋さんの顔は唯一無二で良い。演奏しているあいだ、誰よりも曲に入りこんでる顔をしてる。一瞬ごとに全部写真に撮りたかったくらいだ。salamanderで花火に点火する役を命じられて、前奏短い、短い!って慌てていた人が、次の瞬間にはめちゃくちゃエモーショナルなかっこいい顔してるのおもしろかった。ドラム叩きながら泣いてしまうのも、セトリを決めるとき彼が毎回「虹」を出すっていう話も、あの顔を見てるといちいちハッとするように腑に落ちるのだ。今まで歌詞のことばかり考えていたが、もしかしたら、エルレのせつない表情を体現してるのは高橋さんなのかも。
 スタジアムのMake A Wishの動画が公開されて、見たらやっぱり高橋さんが映るところで泣きそうになった。生で見たからありありと覚えている。大合唱を、身を乗り出してじっと聴いている目の、息をのませるほどきれいなこと。あの場に対する愛があふれていた。あふれちゃう愛って、ほんとにあるんだね、と思える機会は貴重だ。だからわたしはライブでお客さんの歓声を聴くのがだいすきなのだが、それと同じ類の、いちばん大切にされるべき種類の光りを、あの人の横顔に見る思いだった。

 全体的にすばらしかったのだが、ほんとを言うとすこうしネガティブな気持ちになったところもあった。吐き出しではなくポジティブに昇華できるように書き始める。
「復活おめでとうムードが早く終わんねえかなって思ってる。500とか200キャパのところでやるようになったら、あいつらにまた会えるんじゃねえかって。すごい信頼関係だったの、おれのなかでは」
 細美さんのこの言葉にわたしは小さからぬショックを受けた。5年前くらいにエルレを好きになってからずっと、活休前の彼らを知らないことに引目があって、一昨年のスタジアムのライブに行けたときはそれがさあーっと成仏していく感じがしたのだったが。わたしの知らない追憶のエルレがやっと同時代のエルレになったと思ったし、「あいつら」に自分も入れたと思ったから。でも、そうじゃなかったんだなあ。エルレと、活休前のお客さんたちとは、もう広がりも狭まりもしないかたい輪のなかにいて、これからわたしがどれだけ濃く深くエルレと付き合っていっても、その輪の中には絶対に入れないということを突きつけられてしまった。寂しいけど、「あいつら」は彼にとってそれだけ大きな大切な、動かしがたい心の支えだったんだろう。誰からもとやかく言われる筋合いのないことだ。それだけ確固とした大事な存在をもっているのには素直に憧れる部分もあるし、そこから出てくる彼の歌をわたしは好きなのだと思う。傷つかなかったと言ったら嘘になるので、この傷はわたしなりに大事にしていくことにする。細美さんがどうだったとしてもわたしはエルレの曲と唯一の関係を持っているし、同時代に生きてることを何度も実感して、そのたびとても幸せになれるって確信がある。エルレこれからも好きです。またライブに行きたい。


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本買ったりケーキ食べたりします 生きるのに使います