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快晴

 九月になってから急に肌寒くなって寝るとき毛布かけるくらいだったのに突然バカみてえに暑いなとおもったら9月9日で納得した。The smell of summerだ。ほんとに夏みたいな濃い青色の空だった。

 エルレのNo.13、細美さんがラジオで弾き語りした音源がYouTubeに上がってるので聴いている。一本のギターと低いざらついたやさしい声のNo.13。歌詞がよく聴こえる。
 強い意志をもって輝くなにかをもって、「もう戻らない」と出ていってしまったひとへの歌だ。応援したいし、きっとやり遂げると思ってるけど、心配もすれば、手ぶらで戻ってきたっていいとも思っている。戻らないというその人をそれでも「別におかしくないだろ」といって待っている。複雑な思いを快晴のなかに歌いはなつ明るさは、出ていくのを止められなかった、いまも待つしかない自分を励ます明るさでもあるだろう。めっちゃかっこよくて元気がいい曲になんか欠けてる人がいるのが、エルレの好きなところだ。

 今は平常心で聴いてるけど、エルレを好きになったとき活休していた事実に打ちのめされた身には、この曲のさびしさははじめそういう文脈で沁みてきた。というかどの曲を聴いても「かっこいいな」「好きだな」のあとに「さびしいなあ」がきてしまってやるせなかった。ちょっと損な聴き方だったかとも思うが本当のことなのでしょうがない。この歌はとりわけ、毎年9月9日にたくさんの空の写真がSNSへ投稿されてきたように、いつ終わるかもわからない活休が開けるのを待つひとたちと重なる部分が大きかったんだろう。エルレが復活した年の9月9日には万感があった。
 むろん活休に関係なく聴き続けてた人もいたろうし、つらくて聴けなかった人もいたかもしれない。聴く人の数だけ9月9日があった。だから、活休とか復活とかのバンドの物語に曲の顔が収斂されるってことじゃなくて、エルレというバンドとかかわったひとたち、この曲を好きなひとたちそれぞれと、エルレがいなかったあいだもこの歌はずっと一緒にいて、それぞれの思いを受けとめつづけることで、そのひとたちとバンドとをつないでいたのだなと思う。バンドそのものという替えのきかない大きな欠落まで受けとめて、そんな時空でなおたくましく育ってきた歌だったんだなと。

 エルレが各地のフェスにどんどん出るようになって、「エルレのライブ」という言葉にいちいち動揺しなくなってきたのがすごくうれしかった矢先、フェス自体がつぎつぎ中止になる事態になってしまった。気が滅入るなかで、雨続きのなかの9月9日とつぜんの快晴にはちょっと、拍子抜けするような元気をもらって風通しがいくらかよくなった。これまでと今の、たくさんの9月9日を包み込んだ表情で、No.13は今日もそこらじゅうで鳴ってるだろう。


※ラジオの更新に合わせて一週間限定の音源。


本買ったりケーキ食べたりします 生きるのに使います