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私が小麦色だった頃 ~「小麦色のマーメイド」の記憶~

女性アイドル界を独走していた1982年の聖子

今から40年前のこと。1981年7月21日に発売された松田聖子の夏曲「白いパラソル」を聴いた時、聖子ファンだった私は驚いた。持ち前のハイトーンボイスを生かしたそれまでのシングルから一転して、やや迫力に欠いたミディアムテンポのバラードだったからだ。しかし、何度か聴くうちにメロディーが頭にこびり付き、離れなくなった。特に、「♪お願いよ~」から始まる前半のメロディーと少し不安げに歌う聖子の声が大好きになり、カセットを何度も巻き戻しては聴き返した。

それと似たことが、翌82年にも起こった。奇しくも「白いパラソル」からジャスト1年後の1982年7月21日に出されたシングル「小麦色のマーメイド」である。

1982年上半期の聖子は、「赤いスイートピー」と「渚のバルコニー」の2曲が大ヒット。当時は中森明菜のブレイク前だったので、女性アイドル界は聖子がトップを独走していた。若者はもちろん、大人でもシングルのサビを歌えるくらい"国民的アイドル"の様相を呈していたと思う。今も覚えているのは、土曜夜に放映されていた高視聴率のお化け番組「クイズダービー」に、聖子が回答者として出演した時のこと。「渚のバルコニー」の歌詞がクイズで出題され、曲の一部がお茶の間に流れたのだ(確か、右手にはサンダル、左手に持ってるのは何?といったクイズだった)。家族で一台のTVを見ていた我が家では、この瞬間、父と母にこの曲が認知され、家族団らんの話題になった。

倦怠感に包まれた曲調と、聖子の甘い歌唱

その「渚のバルコニー」に続く夏曲となれば、ファンでなくても否応なしに注目する。しかし、発売されたのは「白いパラソル」と同様にミディアム、いやスローテンポで静かな(地味な)曲。しかも、サビで盛り上がることもなく、静かなまま終わった。私は驚くよりも拍子抜けしたが、FMからカセットに録音した曲を何度か聴くうちに、「白いパラソル」と同様、この曲の麻薬のような魅力にハマっていった。曲全体が気だるく倦怠感に包まれて、聴いていて何だか心地いいのだ。聖子の歌声もうっとりするくらい甘く、うとうとするような不思議な感覚だった(実際、この曲を聴きながら寝ることもあった)。

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(当時、FMラジオから音源を録音していたカセットテープ。「小麦色のマーメイド」はA面6曲目に収録していた。曲に飽きたらよく上書き録音していたので、曲名はケースシートに記載していない)

この曲は、夏のプールの恋愛模様を、聖子が甘いキャンディボイスでしっとり歌い上げたもの。リゾートホテルっぽい高級感あるプールという舞台設定が新鮮で、聖子の歌に出てくる少女が、急に垢抜けて大人の女性になった気がした。聴いていると、夏の午後の昼下がりにプールサイドのデッキチェアーでリンゴ酒を一口飲む情景が眼前に迫ってきて、リゾートへの憧れを掻き立てた。そして、20歳を迎えて大人になった聖子にふさわしい曲だと、高校に進学して少しだけ垢抜けた私は思った。

そうした舞台設定と曲調に惹かれてこの曲を聴いていたので、当時話題になった歌詞の「裸足のマーメイド」や「好きよ、嫌いよ」の矛盾など、気にも留めなかった。しかし、松本隆が生み出した言葉のインパクトは大きかった。2013年に放映されたNHKの朝ドラ「あまちゃん」劇中歌の昭和オマージュソング「潮騒のメモリー」のラストは、「♪マーメイド 好きよ、嫌いよ」で終わる。このフレーズが多くの人の心に刻まれた証だろう。

猛練習に明け暮れた水泳部の記憶

そんな私にとってプールといえば、リゾートではなく、部活である。

当時、私は高校の部活で水泳部に所属していて、放課後は猛練習に明け暮れる日々だった。私の高校は地区の中でもレベルが高く、県大会やその上に進む選手もいたので、練習も厳しかった。まだ水が冷たい4月から泳ぎ始めて、10月初めくらいまでは泳がされていたと思う。高校時代は成長期なので、練習をすればするほどタイムは伸びた。従って、練習は涙が出るほど過酷だったが、よくぞ耐えて3年間続けたものだ(…と、当時の自分を褒めてあげたい)。そうした猛練習の甲斐があって、私の種目だった長距離自由形で県大会にも出れたし、今はいい思い出だ。そして、私の肌は一年中焼けていて、まさに小麦色だった。

そんな体育会系の私にとって、部活帰りに足を運ぶゲームセンターとアイドル音楽は、心のオアシスだった。ちょうど82年は女性アイドルが大量にデビューした年で、小泉今日子、三田寛子、堀ちえみ、北原佐和子、早見優等、女性アイドルたちのデビュー曲をラジオから録音して、宿題を終えた後によく聴いた。私が最も可愛いと思ったのは川田あつ子だったが、そのうちに、他の大勢と同じく、中森明菜へと興味が一気に移った。

しかし、そんな中でも聖子は別格で、フォローを外すことはなかった。当時の部活の仲間は洋楽好きが多かったが、聖子や明菜は一般教養のように聴いていた。そして私も、明菜に心が持っていかれながらも、聖子の曲は必修科目のように聴き続けた。

あれから40年近くが経った今、私は「小麦色のマーメイド」を聴くたびに、高校のプールで部活の厳しい練習に明け暮れた青春の日々を思い出す。それこそ、マーメイドのように尾ひれがあれば苦もなくスイスイと泳いでいけるのにと、何回思っただろう。(終わり)


※80年代音楽エンタメコミュニティサイト「リマインダー」に投稿したコラムでは、主に松本隆の歌詞について分析(妄想)しています。

楽曲はこちら。




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