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芸術に生きる人になりたい

またまた気まぐれでnoteを書く。

私事だが、次の春から外国語大学の大学生になる。4年間かけてどのような大学生活を送りたいのか、また、将来はどのような人間になりたいのか、といったことを入学前に考えている。語学を学ぶといっても、内容は一様ではなく、言語学を学ぶこともできれば文学や国際関係学について学ぶこともできる。だからこそ、何を学びたいのか、自問してきた。ちょうど今までの人生の中で一番長い休みがあったため、読書や映画観賞に時間を費やし、様々な人生を疑似体験した。また、たまにnoteで様々な人の考えを読んだ。

今日、ある人のnoteを読んでいるときに、はっと考えが浮かんだ。

私は芸術に生きる人になりたい、と。

思い返すと、自分で言うのもなんだが、芸術的、つまり抽象的なものを好む傾向が昔からある。

映画を見るときは、話の筋よりも、映像や音楽の美しさを重視している。だから、どちらかというとハリウッドのアクション映画よりはミニシアター系のヨーロッパ映画のほうが好みだ。

また、本を読むときも、話の筋よりも言葉の美しさを重視している。だから、好きな本の中には、あらすじは説明できないけれど文章の雰囲気が好きというものが多い。

一ヶ月ほど前、高校生料金で無料で美術館の展覧会に行ったときには、言葉では説明できないけれど、とにかく絵に圧倒された。その会場にいるだけで幸せな気分になり、2周してゆっくりと絵を鑑賞した。今でもそこで買ったポストカードを見ると幸せな気持ちがよみがえってくる。

美しい映像や音楽、言葉などに触れると、悲しいときも嬉しいときも幸せな気持ちになる。おしゃれな服を着たり、美味しいものを食べるときにも幸せを感じるけれど、そういったものとは幸せの質が違う気がする。たぶん、これは私個人の好みであって、人によったら芸術鑑賞をするよりも美味しいものを食べるほうが好きな人もいるだろう。でも、たぶん私は芸術的なものが人生において一番欠かせないものなのだと思う。

私が芸術に生きる人になりたいもう一つの理由は、お金を稼ぐこと以外に人生を費やせるような目標を作りたいから。これから先、生きる上でどうしてもお金は必要だ。だからといってお金を得ることを最終目標にして生きるのは本末転倒。お金を得て、それを使ってどのような人生を生きたいのか、それが最重要事項だと思う。

芸術、と書いてきたが、芸術には様々なものがある。これから先まだまだ人生は長い(はず)。柔軟な感性があるうちに、偏見をもたずに様々な芸術に触れていきたい。

今のところ、大学では詩、つまり言葉の芸術についてのゼミに入りたいと思っている。でも、もしかしたらゼミを選ぶころには考えが変わっているかもしれない。たとえどのような4年間になるとしても、人生の糧になるような、例えお金がなくても幸せになるような芸術にたくさん出会いたい。