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~母の死から~ その後の英国での精神状況

母の病気が発覚する前

母の精神病院での入院は統合失調症の再発が判明してから始まりましたが、様子がおかしいと気づき始めたのはその2ヶ月前でしょうか。電話をするときに時々気掛かりになるような発言があったのですが、それが再発のサインだとは全く思っていませんでした。
この病気は完全に治るものではないので、症状が比較的軽くなるだけで母の異変に気づくのが困難だったのです。


私は当時一人英国に住んでいたので頼れる人もいなければ、生活も仕事も精一杯でした。それでも私に会うのを楽しみにしていた母にもうすぐで会えると思ったら何にでも頑張れました。


母の異変

ヒースロー空港から日本へ渡る際でした。

ちょうど名古屋へ向かうことを父に伝えると母の様子がおかしく、よそよそしいこと、母の言動について父がこのようにLINEで伝えてきました。



「母さんが名古屋に着いたら空港で優花が"拉致"されるみたいなことを言っている。心配なのか母さんずっとスマホばかり気にかかっていてこの頃ずっと寝ていないしご飯も食べていない」


これが母の統合失調症再発の決定的な瞬間だったのです。


こんなメッセージを見てしまったら正気ではいられなくなりましたが、心待ちにしていた一年ぶりの一時帰国を台無しにしたくなかったので、父に「そんなのないから大丈夫だよ」と冗談を交えながら母を安心させようとしました。


恐れていた感情が一気に溢れ出し、遠い異国の地で離れ離れの中、母と一緒にできなかったことを一時帰国で実行するという、夢にしてまで待ち続けていたのに、この二週間で起こる知れない未知の不安感が私に襲いかかりました。



前記事で触れたように、母はその後を精神病院で過ごすことになり、私が渡英して間も無く第二の災いとして母に癌が見つかります。
二度の診断後、血液の癌"白血病"とわかり、それはすでに最終ステージまで差し掛かっていました。


二度目の一時帰国で母に再会できたものの、英国へ戻って数週間後で母は天国へ行きました。


その後の私の精神状況

新しい就職先での初出勤を迎えていましたが、その前日に母が他界。
すでに出勤日を伸ばしてもらっていたので、会社に申請するのを諦めて、悲しんでいる暇もなく仕事が始まります。

職場では忙しい研修に追われ、新しく慣れない環境で常にタフさを求められました。


私の仕事は5つ星ホテルでのフロントデスクでシフトは12時間の4連勤。失敗は許されないし、常に笑顔を絶やし、時々来るお客さんのクレームに耐えながら、そして競争の激しい職場で私の精神は削られるような日々でした。


仕事を休めば、そこから自分がずっと甘えてしまう気がして、何よりもここで諦めてしまったらせっかく得た職場を台無しにし、常に弱音を吐かず真面目に働いていた母のようでいなければといった自身の固定観念があったので限界に達するまで日々を過ごしていました。


こんな不幸が次々と降り掛かりますが、その間にも就職活動で悩まされたり、ロンドンでスマホを盗まれたり、母の死と比べたら天と地の差でしたが、その年は私の精神状況は今までにない困難さでした。


そうした偽りの自分を作り続けた結果、当然鬱症状のようなものが現れました。
とにかく休みの日は何もしたくない、母のことや仕事のことを考えたり、負のループから抜け出さず、生きるのが辛い毎日。そんな一年でしたね。


幸い私の性格上、いつも元気で開き直りが早いので深刻な事態までにはいませんでしたが。


その後

現在は働いていた職場を退職し、やっと自分のゆっくりできる時間が作れたのと、去年耐え抜いてきたことを思うと燃え尽きてしまったせいか次の転職になかなか行動に移せず、何もしない日が続き2ヶ月が経とうとしています。

でもそんなことがあったっていいんです。自分に甘える時間を作ったり、好きなことをして嫌なことから忘れたり。自分自身をまずは第一に考えること。
何よりも大切な人、家族や友達と関わることは困難から乗り越えていくための架け橋となります。どんなに辛いことがあっても時間が自然と解決していくものだなと感じさせられます。


現在でもあの時のことを思うと、そして母との思い出を思い出すと落ち込むことがありますが辛かったら思い切り悩んで泣いて、朝になれば和らぐものです。
私はこんな時に教会へ足を運んだものです。家にいる時よりも自分と向き合えて心が澄まされて。



こんな災難なYMSの残り一年でしたが、こんな経験があってからこそ自分を強くさせてくれる。
今日も前向きに生きていこうと思います。

2024年3月30日

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