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真面目なあなたの好きキライ〜イヤなヒト・ダナソンの法則

おはようございます!
あるいは こんにちはかな
あるいは こんばんは〜 今日もおつかれさま

人間関係って難しいですよね〜

疲れちゃうときありますよね〜

会社とか学校とかで とにかく嫌なかんじの
ひと、いませんか〜 
あるいは お友達 家族のあいだでも
一見良さそうでも、なーんか疲れちゃう

そういう時はいっそ、キラーイと思いましょう

真面目なあなたは、無理に好きと思わなくちゃと思ったりしちゃうんじゃないでしょうか〜
私もそうー

でも気付きました

好きキライと思うこと 大事です
あなたは大真面目ですよね
でも、みんな勝手です ひとりとしてまともな人はいません、と思って全く問題ありません
繰り返します
全く問題無しです
大丈夫です

ここで真面目なあなたは ひょっとしてこう思うかも知れません

そんな全ての周りの人を無視するようなこと
そんな私は勝手で嫌なヒトじゃないし
そんなことする私は私じゃあないと
真面目なあなたは思うでしょう

ではそのあたり、分析していきますね

あなたの真面目、勝手の目線というか 程度というか 基準というのはあなただけのものです
生まれ育った間をかけて造り上げられ、今この一瞬の創造物であるのです
そして隣のお友達、恋人、家族のヒトもあなたとは違う個体の違うひとつの創造物なのです
ね、尊重し合いましょうー
きっと色々思い悩む真面目なあなたはこの絶対的ともいえる感覚に近いのではないでしょうか?だから悩んじゃう。
悩まないヒトもいます。おそらく、悩まない人の方が圧倒的に多いでしょう。相対的な価値を絶対的な価値と勘違いさせられているヒトはイヤなカンジになりがちです

さてこれから先に、そんなあなたがキラーイと思うメカニズムをさらに明快にしてみようと思います

ま、ある一例、私が疲れちゃうイヤなヒトの一例過ぎませんが、だいだい現象としてこんな態度が真面目にやっている私たちを苛んで来ます

イヤなヤツ3段活用とでもいいましょうか


わかりやすい例えば話にしてみればこうなります
 * * *
ヤナ友達Cさんが登場します。連日暑いので、あなたと一緒にカフェにお茶を飲みに行きましたー
<C> 暑いねー なに飲もうかな こんな時には熱いのみものが逆にいいんだよ。ホットコーヒー
<あなた> アイスティーにしようかな
<C> アイスティー? 変わってるね こういう時は昔から言うじゃない「暑い夏には暑いお茶」
<あなた>...… (内心:コーヒーはお茶なのかな?)
<C> ほーら わたしが正しいから何もいえないんでしょ 黙ってるんなら ホットコーヒーでいいわね
<あなた>..….(内心:コーヒーでいいか、水もあるし)
<C> あなた、いつもそうね、大事な時に黙っていて ちゃんと仕事できてんのーしっかりしなよー
<あなた> 暑いのでボーッとしちゃって……(内心:面倒だから、放っておこう……早く何か飲みたいし)
 * * *

いかがですか 少々、極端な例え話なので こんなヒトいないよ〜 かも知れません
ですが、こんな自信マンマンなヒト、考えを持っていそうなヒト、いませんか
でもでも真面目なあなたはお友達を立てて
飲みたかったアイスティーが飲めませんでした
(まあ、なんとか言いながら、ゴニョゴニョやってるうちに実際はアイスティーが飲めるとおもいますが、例え話なのでご容赦くださいませ)

ここで展開を模式化すると
1 .◯◯ダロ
2.ナンデ(◯◯しないのか) 
3.ソンナダカラ
と、イヤなヤツ3段活用みたいなカンジですね
この会話例、コメント付きで分析、進めます

1 .ホットコーヒー ダロ
 そのヒトは暑くても寒くてもホットコーヒーが飲みたい。きっと他の人もそうに違いない、そうに決まっている、という勝手な決めつけ。そうなるとホットコーヒー以外を飲みたがることが信じられないのでしょう
「ビールで乾杯!皆んなビールで一体感!」みたいなものなんですかね。「同じものを飲食する=一体感」という人の都合そっちのけの思い込み・決めつけ。別に好きなもので皆んなバラバラで良いのにねぇ〜

2 .ナンデ なぜホットコーヒーを飲まないのか
 WHY?なぜ?ってよく会話の中で真っ先に訊くヒトいますよね〜 「なぜ」は相手に難しい答えを要求し、責めの雰囲気を醸し出します。
 ちなみにクレーマーはよく「なぜ」を連発します。ハイ/イイエで返答できません。
 この段階で、ホットコーヒーではないとなんで論じなければならないのでしょう?あなたは飲みたいものをいえばいいだけなのに理由まで言う必要はありません。
 そうお友達はあなたとの会話で優位なポジションを無意識なうちに取ろうとしているともいえます。意識的にやっていたら攻撃です。無意識にやっているのなら、育った環境でいつもマウントをとらなくてはならない状況が多かった、そういう環境で育ちのお友達なのでしょう。あるいは会話をスポーツや試合と間違えているのかも知れません。
コミュニケーションならば相手に配意して、言葉をお渡しする、というのが良いかと思います。これも私の思い込み?ですけどね。少なくとも勝ち負けを決めているのでは無いのかと思います

3 .ソンナダカラ
 普通、関係の無い相手なら、そうそうにそこを立ち去ってしまうべきでしょう。相手(お友達)はさらに自分を優位な立場にするため、先程のナンデの質問で相手から情報を引き出そうとしているのです。沈黙したあなたはある意味、正解です。ナンデに応えて情報を提供しても結局は、自分の優位を意識/無意識に取ろうとしている、ハッキリいえば敵意むき出しなのですから。癖だとすれば、かなしいことかも知れません。でもあなたの気持ちまで害する権利もないはずです。
 ソンナダカラの後は、相手(お友達)はあなたに対して言いたい文句をただ言うだけです。もう、会話の流れもへったくれもありません。要は言いたいことを言うチャンスと思っているだけなのです

この三段活用、言い直すと下記になります。会話例では順序付て展開していますが、詰まるところはこんな要素ですね

<イヤーな、勝手なヒトの特徴>
1  .勝手 決めつけが強烈 〜◯◯ダロ
2 .嫌なことをしろ、と強要する。するのが当たり前、しないと変人、非常識扱いする〜ナンデしないんだーとばかりに攻めてくる勢い
3 .反論しようものなら論破しようと躍起になり しまいには人格否定までしてくる〜ソンナダカラ

イヤなヒト“ダ・ナ・ソンの法則”
と名付けましょう

これから日常の会話では、この法則を思い出してみてください。「来たな、ダナソンの法則だ」と思い適当に対応しおけばオッケー!イヤなヒトの一人芝居だと受け流しておきましょう

ほんと、皆んな勝手で 皆んな良いのにね
こんな風に 良いのは自分だけ、正しいのは自分だけ にしたがるカンジのヒト増えましたねー

変に競争社会になってしまっているのかも知れません。やたらと自分以外をディスる、そんなヒト増えてしまいました。
その上、自分と同じ考えをしないと、気に入らない人がいます。

ダナソンの法則で攻めてきちゃう人は、他人の行動は全部勝手です、そりゃ、勝手に決まっています。だって、皆んなその人と違うんだもん。
自分の勝手は棚に上げ、他人の勝手は許せない
そしてそれは
自分の勝手は理論武装、他人の勝手の理論は無視
とい方法論なのです
他人の勝手は責めて、自分の勝手は正義なのです
ここまで聞くと全く愚かしいーお話です、キラーイですね〜

みんなそれぞれ違うだから、自由でいいじゃんねー

イヤなヒトも創造物の一つなのですが、造り出された環境はあなたと違います。たとえ兄弟姉妹、親子でも それぞれ違う創造物。

好き、キライも思ってよし!勝手におもうべし!
でもそれを人に決めつけて押し付けても内心、同じかどうかわかりません。

ただそれだけのことなのに、おんなじ考えに、感じ方にさせなきゃ、と躍起になり論じてくるヒト、困りました、キラーイですね☆


ではまた☆ごきげんよう!


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