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夏川椎菜作書籍版「ぬけがら」感想(ネタバレ有)

夏川椎菜ちゃんについて

ナンス。

このあだ名のおかげで、夏川椎菜の名前を覚えるのはTrySailの中で最後になってしまった。ナしか合ってないから。

本当は三文字のナンスで良いらしいのだけど、僕はおじさんなので「ちゃん」を付けてしまう。「ナンスちゃん」だ。iPadで書いていて、「ナンスちゃん」で変換するといつも「ヤクホちゃん」と変換候補が出てきてしまって、妙に気になる。カウンターで当てると宙に浮いてP→P→立ち白虎とか出来ちゃうのだろうか。バーチャファイターの話はやめろ! しかも4の。

全く知らない人に説明をすると、僕が応援しているTrySailという三人で結成された声優アイドルユニットの最年少である。名前は夏川椎菜(なつかわ・しいな)千葉県出身24歳※2020年9月現在

ナンスちゃんは圧倒的美少女だ。む、もう少女ではなくて、かわいい女性だ。これはもう掛け値なしに言える。とても、すごく、かわいい。見た目もそうだが、声が素晴らしい。中学のクラスにいたら99割の男子が恋に落ちるだろうと思う。

しかし所属するTrySailには雨宮天、麻倉ももという圧倒的異次元天才美人と可愛いの権化が加入しており、ナンスの美少女感をもってしてもその中では「ふつう」と見做されてしまう異空間で声優というお仕事をしている。

初期のナンスは黒髪で美少女然としていたし、本当に美少女であったが(TrySailのMVコバルト、ひかるカケラ、ソロ活動のフワリ、コロリ、カラン、コロンのMVなどで確認することが出来る)、やがて独自の路線を歩みだした。髪を茶髪にし、TrySailにおけるしっかり者のまとめ役末っ子、というステージから降りた。(※らしい、と付け加えておこうと思う。僕がファンになった頃には既に茶髪であったし、二人の世話をしている姿も知らない。MCで司会的な役割は今でも多い)

最初に見た時は、雨宮天の超絶綺麗さと麻倉もものゴリゴリな可愛さに隠れて地味に思えたのだけど、茶髪がとても似合っているのが何しろ印象的だった。azureのMVのナンスが僕は特に好きで、自分らしさを見つけたように笑顔もリラックスしていたし、その表情が「ナンス」らしかった。もちろんMVなのだから演技ではあるのだけど、それにしても茶髪がこれ程までに自然に似合う人は珍しいと思った。

ソロ活動でも、パレイドやファーストプロットなど、メッセージ性の強い曲をリリースしたり、ワルモノウィルなど自身の「暗いところ」を隠さず露わにするようになった。

職業声優をやってはいるが、それだけでは表現ができない、歌えない深いところに目を向けて発信するところがナンスちゃんのスタイルで、独特な視点と強力な楽曲は、ひよこ群と呼ばれる強固なファン層を築き上げた。ブログでは不思議な感性で怪文書を投稿、YouTubeチャンネルでこれまた独特な世界観の動画を417の日継続として発信中である。動画などの編集も全部自前でやっている所が何しろすごい。本当に好きじゃないと出来ないし、先日のシングルアンチテーゼの「勝手にリリイベやります」動画では本当に何から何まで全部一人でやってしまった。やれないなら、自分一人でもやってやるぜ!という姿勢は尊敬しかない。

「だって、あたしアイドルだし、セッティングはしてもらわないと……」

とか

「動画編集なんて面倒くさーい」

を超越した超絶自立型声優。チャンネル登録数が少なかったらどうしよう……とか、コメント欄荒れたらどうしようとか、そうしたリスクを抱えて「やりたいから自分で全部やる」あるいは「やってくれないなら自分でやる!」の精神。すごくないですか? 僕はすごいと思う。セルフプロデュース能力と行動力が超すごい。

というのが夏川椎菜ちゃんである。

とはいえ、この域まで達するまで、色々とあったんじゃなかろうか。

高校生の頃から声優として社会で働くようになって、真面目な性格がどのように作用したのかを想像すると、かなり・大変辛いものがあったのではなかろうか。生きている人の事なので、勝手に想像を膨らませて書く事はできないけれど、きっと大変だっただろうと思う。

今は、ナンスちゃんは自分自身に耳を傾けることにひたむきであるように見える。だれかの為ではなく、自分の意思を押し殺して良い子でいる事が全体に利すると考える大人みたいな子供でもなく、自分がやりたい事を精一杯やる事が、誰かに元気や力を与えられるのではないか?、という考え方にシフトしたように見える。そして、その思惑(であったとしたなら)は大正解だ。今はナンスちゃんから目が離せない……って普通に気持ち悪い文章ですね。失敬失敬。ニチャァ・・・プリュリュッ(既に人ではない音を発している)

やりたいからやる、を実践して、拙いながらもキチンと完成させて表に出すナンスちゃんに、僕はとても尊敬と親近感を覚える。いつまで経っても終わらない動画イジリにせよ、文章にせよ、とりあえず「完成!」って言って終わらせる事が出来るナンスちゃんはとてもすごい。後から見直して「あぁ〜」ってなるのを恐れない。二十を過ぎた年齢で、黒歴史を産み続ける勇気がないとできない。黒歴史を晒すのが嫌で何も身動きが出来ない人がどれほど多いことか。ナンスちゃんの思い切りの良さには憧れに近いものさえある。

放っておいても「TrySailのナンスだ!」「かわいー!」とちやほやされるにも関わらず、「これが私だ!」「私が私を認めない限り、私は私を認めない!」って勢いで発信し続ける姿勢に感動する。最初は「ふーん」くらいで追っていたのに、いまや僕の中にナンスブーム到来の勢いである。もっとちょうだい! そういうのもっとちょうだい!ってなってしまう。す、すす、好きだ!

歌う曲にしても、ナンスは聴く我々に寄り添うように「あ、僕たちの事だ(ピヨピヨ)」となる、あまりに生身の人間らしい切なさや怒りが込められている。文章を読んでも、身近なものに焦点を当てて、しっかり自分の目で見定めようとする姿勢が感じられて、そこにちょっとだけかわいらしい含み笑いの雰囲気がある。とても、女子していると思う。そういう感じの女の子が、ナンスちゃんである。ような気がする(ここにきて弱腰)


書籍版「ぬけがら」の存在意義、対の写真集について

とても長い前置きになったが、僕はこれから小説「ぬけがら」のレビューをしていく。同名の写真集は電子書籍版で買った。安かったから。ほほう、どれどれ、と思って。ナンスって名前何だっけ、って思いながら。水着とかあるとラッキーなどと邪な思いを抱きながら。

実際目にすると、何しろぶったまげた。いや、水着がなかったからではない。

それはストーリー性である。ナンスちゃんがいる場所、表情、眼差し、行動、一言も言葉は添えられていないのだけど、鑑賞する者に物語を感じさせる写真集だったのだ。何となしに見始めた写真集でしたが、最後のお辞儀ナンスちゃんを見て、おじさん胸がキュウウンとなってしまった。ふつうに狭心症かと思った。死ぬのかと思った。

その写真集を元にした小説が「ぬけがら」である。

撮影しながらストーリーを作ったのか、あらかじめストーリーを作ってから撮影に臨んだのか、間違いなく後者だとは思うのだけど、読んでいると写真集の「あのカットだ」とすぐに分かる。まさにファンを二度も三度も喜ばせようとするナンスちゃんのサービス精神がゴンゴンに込められた小説と言える。

一方で、と書かなければならないのが残念なところだけれども、そうした背景があるだけに、ファンの人が買い求めて楽しむファングッズの域をはみ出すはみ出さないかを見極めるのが大変難しい。

具体的には、お、何だか知らんけど、新刊が出たんだねと手に取る新規のファースト・コンタクト視点と、ナンスを知ってる人達が写真集を補完する小説として愛でる視点で、レビューは全然変わってきてしまうという事だ。

僕はTrySailファンだし、仕事をしながら文芸よりの小説を書くアマチュアweb小説家である。僕がこのwebの片隅でレビューをすると、「書籍化を夢みるアマチュアweb小説家が」「二十才も歳下の」「年端もいかない(本業)声優女性が書いた」「ファングッズとも言える小説に」「頼まれもしないのに」「概ね好意的ではあるが、時々」「いちゃもんのような感想を」「書いちゃった可哀想なおじさん」という二重にも三重にもヤボを重ねてヤンボーマーボー天気予報になってしまう可能性がある。おやじくさっ!

でもアマチュアもの書きだからこそ、本気と書いてマジで書いて出版した小説について、真剣な感想が少ないと寂しいのではないかという気持ちがあるような気が無くも無いような気がしている。回りくどい言い方をしてしまったが、ナンスちゃんは良い感想だけじゃなくて、ガチで読んだ人のここがイマイチという感想や、ここが最高!といった忌憚のない意見も聞きたいのではなかろうか、と僕が勝手に邪推したぜという事だ。僕がガチで読んだかどうかは、レビューを読んだら分かると思う。読み込みが足りねぇぜ!と叱られたらピヨピヨ謝りたいと思う。鳥貴族の暖簾を潜りたいと思う。

とても長い前置きになった。僕は前置きが長い事で有名なのだ。小学校の校長先生の気持ちが、最近わかる(真顔)以下、レビュー。


🐤🐥ものすごくネタバレしているから、気を付けて読んでぴよ🐥🐤


1・プロローグ

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大切な掴みの部分である。夏川椎菜が小説ではどんな文章を書くのか、という期待に溢れながら読み進める文章は綺麗な日本語で、想像の百倍静かだった。主人公がもの憂く、美しく陽を受けて光るセミの抜け殻を摘んで、アンニュイに語りかけている風情はもの寂しい雰囲気を感じさせる。

喉を壊さないかしら、

という表現は、夏川椎菜が声優としてこれを書いている、主人公「私」は夏川椎菜だ、という宣言に読めなくもないが、そこまで考えているかどうかは分からない。好みの雰囲気でよかった、写真集の雰囲気とバッチリ合ってる、好きな文体だ、という安心感が得られたプロローグだった。


2・初恋のシャンプー

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表紙は、作中に出てくる手作りの本であろう。お洒落!

とっっても面白いストーリーで、ぐぬぬ、と唸らされた。

第2話の主人公「僕」は恋愛小説を書く内気な高校生の少年である。それだけならありがちな設定だけど、少年は縦書きの短編「初恋のシャンプー」を休日を丸一日使って書き上げ、ハサミで切り分け、完全手作りのこの世に一冊しかない思い入れたっぷりの本「製本」し、ふと思い付いて

コインランドリーに向かうと、入り口近くの、乱雑に雑誌が並べられた本棚に差し込み、部屋に戻った。

思い付きで自作の本を近所のコインランドリーに置く、という導入はすごく引き込まれた。めちゃくちゃ面白いじゃん!

翌朝、学校へ行く途中にその本を「若い女の人」がガッツリ読み進めるのを目撃してしまったものだから、少年はその女性に感想を求めたいのだけど、恥ずかしいし、怖いしで聞けない。モジモジしてしまう。そこらへんの心情描写が初々しくて、創作をした事がある人ならウンウンと共感してしまう所だ。

その後色々とやりとりがあり、男子高校生が

これ以上ヘコむこともないと思うんで、正直な感想聞かせてくださいよ

という涙の希望を受けて、若い女の人がチクチクと作品にご指摘をしていく、という展開になる。例えば「リアリティが皆無」であるとか、「ヒロインが主人公にとって都合が良過ぎる」と言った点である。

そうした指摘をしていく事で、若い女の人が男の子の女性に対する幻想を棄てさせようとしているところが、ナンスらしくて面白い。何となくファンに言ってるような気がしてくる。あんま女子に夢見んなよ! と。 でも、声優として声をあてるアニメもヒロインが概ね都合良過ぎてる気がするのですが、そこらへんは大丈夫なのかな? と心配しちゃったりもした。

ここで惜しい所は、「何故恋愛小説を書いたのか」と問われた男の子の動機付けがやや苦しい所だ。僕が高校生の時、周囲に恋愛小説を書いている人はいなかったから、あんまり確信を持っては言えないのだけど、

恋愛小説は、恋する者とされる者さえいれば成立するし、なにより〝恋が実る〟というわかりやすいゴールがあるから、とっつきやすかったのだという事。

という無機質な動機で恋愛小説を書く人はいないのではなかろうか。男子高校生だから恋愛小説を書くのは恥ずかしいし、でも作家になりたいのだったら、やはり小説を書くには「〜に感動して衝撃を受けた」とか、「好きな女の子に振られてショックのあまり」というような心的動機が自然ではないかと思う。やや「リアリティが薄い」所になってしまっている。皆無、とまではいかないけれど。

それ以外は、ドキドキさせられる展開がてんこ盛りである。「エロ本」という表現が出てきたりとか(え、ナンスちゃんエロ本知ってんだ!エンロ!って思ったけど、二十歳過ぎてるんだから当たり前だった)、「処女作」という言葉遊びで男子高校生をいたぶったりと、中々の攻めっぷりである。

特に表題に含まれる「シャンプー」についての記述が扇情的で良かった。

「ねぇ、女の子の匂い嗅がしたげるよ」

五度見した。え、ナンス? どうした?っていう際どい文章だ。 

これは女の子に幻想を抱き過ぎている男子高校生に、(女の子は)シャンプーの匂いなどしない、あるとしたらそれは〝あざとい香水だと思う〟という現実感溢れる指摘を行った後の事なので、自然な繋がりではあるのだけど、それにしてもドキッとする文章だ。文学性が高いファンなら水着写真より捗るのではなかろうか。女の子の匂い嗅がしてあげるって言われたら、みんなちゃん達は一体女性のどこらへんを想像しますか? 右耳たぶの裏とか、膝の裏とかかな? マニアックだね!

実際には、キャップを脱いでわしゃわしゃと広げ始めたその若い女の子の髪の匂いは、もちろんシャンプーの匂いなどせず、

昼間中干しといた布団みたいな、暖かさと埃っぽさが混じったような、少し湿っぽくもある匂いが運ばれてきた。

という真実を少年は知る事になる。そうして女の子は去り、

女の子から匂いがするならそれは全部シャンプーだと思っていたが、そうではない。

少年はすこし大人になった、というお話で幕を閉じる。

この「初恋のシャンプー」というお話を読んで若い女の子(=ナンス?)が伝えたかった事は、①男子、女子にあんま夢見んなよ!②女子にも皮脂とかあるし、エロ本とか知ってるし、処女とか普通に言ってるからな!という二点だ。それと、夢を大事にしろよ、という事。

これらは、夏川椎菜として書く小説はいわゆるファンタジー小説(なろう系のチーレムものとか)ではありませんからね、という事をハッキリと示しているようで、僕はとても嬉しかった。僕が読みたかった夏川椎菜が書く小説は、こういうタイプの物だったから。次の話がとっても楽しみになった。ところで、やっぱおねショタ最高だよな!(心の声)

3・匿名銭湯小噺

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表紙は瓶のコーヒー牛乳であろう。お洒落!

銭湯の番台、バイトの「彼女」と「僕」の会話がメインのお話。あっけらかんとしたバイト女と、常連「僕」の軽快な掛け合いが微笑ましく、楽しい気分になる。バイト女は前二作の「若い女」なのかなぁ、と予想しながら読み進めた。気楽な会話と裏腹に、後で読み返したくなる度ナンバーワンのお話だ。

二人は雑談を交わす気さくな関係を続けていたが、ある日行くと、バイト女がやめてしまった事を知る。とても良い終わり方なので、これは引用しないので、是非お手にとって読んでいただきたいと思う。

しかし、去り際くらい挨拶しよーぜ!って思っちゃうよね。①メアド交換しようぜ、的な流れが苦手なのか、②湿っぽくなるのが苦手なのか、③バイトが最後の日だって事を忘れてて、もしくは④水切り用の石を探すコツについて語り過ぎて、挨拶をするタイミングを逃してしまったか。残される人はいつも寂しい。常連さんが可哀想だと思った。

ところで僕は子供の頃、銭湯に通っていたのだけど、番台の位置は男湯・女湯の境に設けられており、着替えも当然ポロリも番頭のおばちゃんの監視下で行われていたし、料金を支払う時などは、ジャンプをすれば女湯の着替えが見えなくもなかった。それくらいの緩い銭湯が普通だと思っていたのだ。

なので、第2話のバイト女ちゃんと「僕」の会話は、すっぽんぽん若しくは下にタオルを巻いただけの「僕」が、番頭のガッツリ全部見てますのバイト女子と会話を交わしている情景が浮かんでしまった。セクハラの話題が出た時、「やはり……」と身構えてしまったが、そんな訳がなかった。恐らく一風呂浴びて、着替えた僕が別室のロビーでアルバイト女子と会話を交わしていたのだ。注意深く読めば、ちゃんと分かる事ではあるのだけど。

4・タカビシャとパッチ

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表紙はパッチワーク。すげーお洒落!

不思議なタイトルで、小説ぬけがらの核となるお話だと思う。苦しい青春のお話である。タカビシャという偉い写真家の父を持つ女子と、パッチという女の子が学内コンクールの為に組むところから話が始まる。タカビシャはやはりというべきか才能があり、周囲の嫉妬を跳ね返す程の胆力もあるが、パッチはややそそっかしく、人懐っこい印象がある。正反対の性格の二人だ。

文章の中で三年の時が過ぎ、二人に差が出てくる。パッチは仕事を辞め、

昼はカフェ、夜は銭湯。

でバイトをしているという。そこでパッチが1、2、3と出てきた若い女子という事が読者に対して明らかになる。タカビシャは個展を開く程に順調であったが、パッチは卒業後、一年でデザイン事務所を辞めて無職だった。それでも服飾デザイナーになりたいという夢を諦められず、事務所に売り込んでいると明かす。でも、上手くいかない。以上あらすじ。あらすじ書き過ぎだな。

ここではいち読者の視点と、ナンスを知っているTrySailファンとしての読み方で見方が違ってくる。トラセファン、ナンスファンなら二度楽しめる掌編となっている。なので、二つに分けて記載していきたい。

【一読者目線として】

才能、友情とエモエモのエモなお話だ。二人の対照的な性格が噛み合って、会話のテンポの良さが心地よい。才能に苦しむ・悩む人の話は胸に迫る。才能が無いと思い込んでいる人(パッチ)の、才能がある人(タカビシャ)への対応は、「タダで作品をもらってはいけない」という形で現されている。やがてタカビシャからパッチへの

アンタの服には価値があるんだって、私が思っているだけ

という言葉は、写真を収めたUSBと共にパッチに届いた。そこでボロボロと泣くパッチに目頭が熱くなってしまった。不安な時の友達の言葉は本当に効く。特に、才能を認めざるを得ない人からの言葉は大きい。そうしてまた二人はコンビを組む。ちょっと青臭くて照れ臭くなっちゃうけど、暖かくて、良い話。

気になった所は、ちょっとタカビシャがパッチの事を知り過ぎてしまっている事だ。

厳しい競争、安い賃金、長い労働時間……そんなプロの世界で、パッチは服を作る楽しさを見失ってしまったのだ。
これまでの人生のほとんど全てを〝デザイナー〟という夢に使ってきたパッチにとって、この決断は重いものだったと思う。

タカビシャ解説委員によるナレーション感がスゴい。主人公の心情を説明するのが難しい三人称なので、苦肉の策でぶっこんだのかも知れない。とはいえ、こんな指摘は些細な事だ。友情がずっと続いて欲しい、と心から思える良いお話だった。

【TrySailファン・ナンスを知ってる者として】

パッチ=ナンスとタカビシャ=417Pに見えてしまって、タカビシャお前、お前417Pなのかって問いかけたくなった。そう思うとより感動的にならない事もない。良い所を引き出す敏腕417Pが、才能の壁を感じ、自分の存在価値に涙するナンスの肩を抱き寄せて、優しく「あるよ」って励ましている所を想像するとグッとくる。多分だけど、それは何度か本当にあった事なんじゃなかろうか。

5・私と孫の古時計

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表紙は蚊取り線香。蚊取り線香?と思って読み直したけど、作中には登場していない(よね?) 最初はあったのかな? 写真集の方では豚ちゃんの蚊取り線香入れが写ってました。

素晴らしかった。以下、あらすじ。起承転結!かな?

妻を亡くしたおじいちゃんに、孫娘が「居候させて」とお願いするところから話が始まる。騒がしい孫娘との生活はあっという間に四年が経ち、ある朝、おじいちゃんはデザイン会社から返却されたポートフォリオが郵便受けに入っているのを見つけてしまう。……孫娘が再びデザイナーを目指している?
 
 一年前、孫娘は専門学校を卒業し、ようやく勤めることができたデザイン会社を突然「辞めてきた」のだ。専門学校では優秀と言われた孫娘が心身共にズタボロにされ、「もう頑張れない」と泣いていたのをおじいちゃんは目の当たりにしていた。こんなに可愛い孫娘をボロボロに傷付けた、才能などという目に見えないものが跋扈する業界を再び目指すなどあり得ない。もっと【努力のしがいがある仕事を】探せばいいじゃないか。

 でもおじいちゃんは、孫娘が再び本気でデザイナーになるという夢を追いかける気持ちを取り戻した事を知る。孫娘は傷を癒し(読者はタカビシャが癒したことを知っている)、止めた時計が再び刻み始めているのを知って、「頑張りなさい」と背中を押してあげる。

 ようやく採用通知の電話が鳴った。だが孫娘は断ったと言う。本社ではなく、新潟支社での採用と言われたからだ。とても遠い。おじいちゃんは、自分が孫娘を縛っている事に気付く。

題名の古時計が効いている。妻を亡くして自分の中の時計を止めた祖父と、社会に揉まれ、夢を諦めて時計を止めた孫娘の、傷付いたものが立ち直り、あるいは見送る側になり、別れるという切なさが胸に迫る。時系列が4年経っているわりに流れも通りが良く、おじいちゃんと孫の関係性が心地よく描かれ、5話目にもなるとこの気ままに振る舞う孫娘が「あ、あの子だな」と読者にもすぐ分かるので、あっという間に話に没入させられる。

残念なところは、おじいちゃんが若く感じられるところだ。具体的には五十代後半か六十前半。おじいちゃんの外見が一切ないので、父っぽく感じられてしまう。父っぽくてもいいのだけど、お婆ちゃんと死別したおじいちゃんというのも、止まった「時計」と掛かる大切なところなので、惜しいと思う。

良いところは、なんと言っても爽やかなラストだ。写真集だけでもグッとくるラストカットなのでございますが、もう文章を読んでいてその写真が蘇ってきちゃって涙腺にクる。ナンスちゃんみたいな可愛い孫が頭を下げて玄関から出て行くのを見送るなんて耐えられませんよ。一緒にずっとここで暮らそうよ、時計を止めてずっと一緒に日々送っていこうよ!って思ってしまう。

でも残される側の人間として、ナンスちゃんを引き止める事の残酷さも分かっているし、写真集を眺める側として「いつから俺は ──俺たちは自分の時計を止めていたのだろうなぁ」などと遠い目をしながら自問自答しちゃう所もあって、まだまだ、やれますよオジさんは、やってやりますよ!という前向きな気持ちも引き出されるような気がするし、何が言いたいかっていうと、この写真集と補完しあう小説として大成功なんじゃないですか!?っていう事です。

本当に、いやーやられました。ハメられました。って読んだ時は思いましたけど、最後まで読むと書籍版はもうひとツイストあったのでね。夏川椎菜、恐るべしと言わざるを得ないですよ本当に。やりよるな夏川! やったったりましたな夏川!(ナンスちゃんは何となく苗字の呼び捨てがしっくりくる感じがしませんか?)

もう一つ、この章と前の章は【才能】という目に見えない呪いのようなものに対して、いくら頑張っても報われない【普通のひとの苦悩】というのもテーマになっていて、他のファンサイトなどでは青い美の巨匠とピンク色の可愛い権化の狭間で悩んだ夏川椎菜的才能考察というような読まれ方もしているようなので、ぜひそちらも読んでみると良いと思います。僕は白状すると(今かよ、今のタイミングなのかよ)青き民なので、そこら辺のセンシティブな所を不用意に触れてしまうといくら心が広いと言われているひよこ群であっても、刃物を忍ばせて待ち伏せとかされてしまう可能性もある。道の角を曲がったら大量のひよこが坂の上から転がってきて圧死したくないし、しねピヨ!とか言って刺されたくもない。刺されるなら「しにさらせぇ!」ってどすの効いた天ちゃんの声を聴きながら逝きたい。

それと、ナンスちゃんはとても才能に溢れてると思う。あんまり才能才能いうと「才能って言うな警察」の人に怒られるので、あんま言えないけど。僕は才能があるけどやらない人より、やりたいと思ったらとにかくやる人の方がよっぽど偉いし凄いと思う。色々と面倒だからまとめて才能うんぬんのせいにしたくなっちゃうがね。がね。

6・エピローグ

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表紙がプロローグと一緒なんだけど、つまんでいるものが違うんですよね。もうそれだけでグッときちゃいました。視点がすこーし変わるだけで、ぬけがらの意味が大きく変わって、とても暖かくて、このエピローグがあるから小説「ぬけがら」は青春小説なんだなぁって、とても思いました。女の子が成長してる。それでいて、とても青い。あ、青き民だからって言うわけじゃなくて、自分の決意の強さを他の何か(=こんなに綺麗な町)と引き換えにしなければ感じられない、というところが、自分自身への才能に対する不安な表現としてとても上手だと思ったし、青春だなって思った。情景の美しさと相まって、もう大変見事なエピローグでありました。普通に夏川先生とお呼びしたい。エピローグが一番好き。ナンスちゃんの朗読で聴きたいところだ。聴いたら絶対泣いちゃう自信がある。

7・新人ちゃんと先輩

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表紙は缶のお汁粉である。あれ美味いよな(共感)

書き下ろし作品で、最後に読み終わる頃には「たはー! やらりたー!」っておでこをペシっとやりたくなる、ナンスちゃんのドヤ顔が浮かぶ掌編である。夏川、やりやがった!やりやがったなぁ!って思わず声に出ちゃうやつ。話の流れ的に主人公の女の子が新潟駅に降り立ったと思いきや、それは新人ちゃん(初登場)であって、先輩こそが前話までの主人公=パッチであったのだ! やられた! そのドヤ顔! 夏川先生のちょっと笑ってるドヤ顔!

先輩がとにかくかぁわぃーーー!のです。それでいて、本当に良い事を言う。これは引用したい欲120%なところを抑えて、ぜひその目で確認していただきたい。ファンであれば「ナンスちゃん、その域まで達したんだね」と感涙してしまいそうになる。誰かの為に頑張るなんて続かない。自分の為に頑張るんだ! 大事なのは自分の気持ち。あ、だいたい書いちゃった。ドンマイ。最近のナンスの活躍ぶりをみたら、説得力もぶち高まるというものだ。希望に満ちている終わり方。ぜひ読んでほしい。

総括

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せっかくだからあとがきの表紙も。鉛筆、すごく良い。おしゃれ。

で、というところで、小説ぬけがらは普通の本として扱って良いのか、それともファンアイテムとしてのひとつに過ぎないのか?、という問題については、ここまで書いて「やはりファンアイテムなのかな」と僕の中で結論付いた。考えてみれば当たり前の事だった。

ナンスちゃんが好きな人が写真集を買って、その写真集から生まれ、補完する為の小説である訳なので、そりゃあもう、ファングッズですよ!という結論が自然だ。装丁からして、とてもお洒落でこだわりを感じる素敵なものではあるけれども、電車や会社の休憩時間に読もうという層には受けない。やはり一人の時間、写真集の横に小説ぬけがらを置いて、時々かわいいナンスちゃんを眺めながらコーヒー牛乳を飲みつつ読む、というようなスタイルが奨励されているのではなかろうか。

従って、僕が書いたレビューというのは「そこまで書かないでも」というような恥ずかしいものになってしまった気がする。たくさん書いても、結局「上手に感想書いたで賞レース」に参加したに過ぎないんじゃないか、という無力感に襲われてしまった。ファンの間で暗黙の了解が前提として成り立つ商品を、やや部外者とも言える僕がムキになって「これはあーだ」「こーだ」というのは野暮の極み、ヤンボーマーボー天気予報でしかない。おやじくさいね〜(●・▽・●)

ただそれにしても、この一作品で夏川椎菜作品が終わるのはもったいない、と思える程の作家性を感じたし、できれば多くの人にお勧めする文章が書きたかった。TrySailが好きな人で、もしまだ小説「ぬけがら」を手にとっていない方は、必ず買った方が良い。っていうか、買わない選択肢はない。本が好きな人はもちろん、普段あまり本を読まない人にとって、これほど紙の活字に触れる好機はないんじゃなかろうか。

何と言っても、推しが書いた小説を読める機会なんて滅多にない。そりゃ本好きの人にはやや物足りないかも知れないけれど、それでもこうして浅くも深くも考察・感想述べ合戦という形で大勢と語らえる楽しみがある。ナンスの内面について深く知る機会でもある。普段黄色い厄介・不憫・キャラが渋滞しがちなどと言われるナンスちゃんの特別な一面をぜひ知るべきだ。きっと、いや間違いなくナンスをもっと好きになる事間違いなしだ。ナンスちゃんは色んな人達の愛情を注がれて育ってきた子なのだな、と端々から感じられる。

ナンスちゃんの作家性は、人の感情を無駄と切り捨てないで書き留めるところだと思う。

実力世界では、あるいは社会生活を営む上では、人の感情や感性はないがしろにされがちだ。もっと言うと、そうしたものを踏みにじる事で上へいく事が出来るようにも思える。良い人や親切は踏み台にしかならない。彼らは自分のキャリアと生活の質を向上する為に必死で生きているし、そうした人達にとって、他人の感情や感傷などはノイズでしかない。もしかしたら自分の感情さえ「無駄」と思ってないがしろにしているかも知れない。そうした歪みのようなものが多くの人を追い詰めている。

人は時に「自分は傷ついている」と認めてあげないと、いつまでたってもカラダや心は休まらない。ナンスはその事が分かっているのかも知れない。何度か深く傷ついて、挫折した者じゃないと持ち得ない、優しい視点を備えている。ナンスは決して弱者を一人ぼっちにしない。きっと、かつては自分もそうだったから。優しくて丸っこいひよこをまとめて群に仕立て上げ、黄色い旗をおっ立てて「それでも進め!」と叛逆の号令を発している。ナンスちゃんはこれからも、普通の人が見失って、言葉にできない気持ちや感情を文字として書いて残していく、というような事を続けていくんじゃなかろうか。僕はナンスちゃんが書くそういう小説をこれから先も読みたいと思う。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

⭐︎特大付録

2020年9月25日に書籍版ぬけがらについて高野ザンクと語ったツイキャス(ラジオ)がYouTubeにアップされました! お暇な時に、いかがでしょうか〜


アフタートークもあるよ!

ひどい終わり方をしてしまって反省している。



江戸川台ルーペ




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