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1ヶ月とちょっとの自粛が既婚男性四十代のアマチュアweb小説家にもたらした影響について

2020年の4月7日から5月12日までの間、僕はほとんどの間、家にいた。

比喩ではなく、大袈裟に言うでもなく、本当に買い物とウォーキング以外の時間を、僕はこのアパートで過ごした。電車に1ヶ月以上乗らない生活というのは新鮮だったし、妻以外の人間とこれ程までに直接話をしないという経験も、四十を過ぎた短くない人生において初だった。

そこで記しておきたいと思った。

人は1ヶ月の間、家に篭るとどうなるのか?

僕にはこういう「記念に今の心情を書いておかなきゃ!」という心理が時折働く事がある。たぶん十五年くらい前の話だけど、深夜に虫歯があまりにも激しく痛み出して、眠れないまま「人生とは」という題名で何か書いた覚えがある。恐ろしく陰鬱で独り善がりの文章だった。後日読み直してもあの生きているだけで罰ゲームのような虫歯の痛みを思い出す事はできなかった。だから今回も同じように、数ヶ月、いや数年後に読み返しても「ふーん」以上の感想はないのかも知れない。でも、こういう機会なんだから、記しておいても良いじゃないか、と思ったのだ。ついに赤紙令状(というか、出勤せよとのお達し)があったので、このふやけきった頭と生活を記録しておこうと。つまり、題にするとこういう事だ。

一ヶ月以上引き篭もった僕に起こった事

興味がない?

それは申し訳ない。

でも粛々と始めさせていただきたいと思う。申し訳ないとは思うのだけれど、それは既に織り込み済みの事柄なのだ。


それでは、まずは僕の身の上話から。


あなたは ──これを読んでいるまさにあなたは1980年代の大阪の水を飲んだことがあるだろうか? 僕は子供の頃から ──それは小学校三年の頃から、大阪の水の不味さに恐れ慄いて、大阪に里帰りするのが本当に嫌だった。家も粗末で、静岡や千葉の家に比べるとミシミシと床も軋むし、夜になると全員が狭い畳部屋に雑魚寝で、ネズミが天井を走り回る音を聞きながら眠った。でも、僕は玄関に設置してある二層式洗濯機から漂ってくる洗剤と、古い木と畳が混ざった匂いが大好きだった。磨りガラス越しの太陽は優しく眩しい。それらが全部、僕にとっての夏の匂いだ。

そこまで時間を戻さなくても良い。

身の上話と書くから随分昔の話から書かなくてはいけないような気持ちになってしまったのだ。気分と流れに弱い性格なのがバレてしまった。仕方がないからちょっと手前にして、そうだな、初めての性体験を赤裸々に綴ってみたいと思う。


僕が生まれて初めてじぶんの──

やめよう。

そういうのはそっと心の奥底にしまっておくべき物事のうちの一つだ。僕は飲み会などで、そういう赤裸々な話をする人達が好きではない。もちろん、若い頃は違った。何でも話したし、その何倍も色んな話を聞いた。会話というものはそうした等価交換のようなやり取りであるべきで、時折不思議な勝ち負けがあった。僕はもともとそういう距離感を掴むのが苦手で、わざと最初にドギツイ事を言って相手の様子をうかがったり、あるいは最初から「別の世界の人」として相手を区別した。ずいぶん面倒な奴だっただろうと思う。そういう事情で、結局、友達は少なかった。と言うか、友達って何なんだ、と思っていた。そういう大学生時代だったのだ。少なくとも、僕にとっては。結局、中退してしまったけれど。

何の話をしているんだ。

自己紹介。

図らずして、ここまで読んでくれた人は上記の文章で、大体僕の性格について分かってくれたと思う。あとは社会的地位の情報を付与すれば大体想像がつくと思う。社会的地位。糞みたいな言葉だ。あーヤダヤダ。でも仕方がないから書く。

僕は普通のサラリーマンで、小売業に勤めている。自慢じゃないけど、一兵隊に過ぎない。つまり、責任あるポジションには着いていない。妻は近所のスーパーで働いている。給料は二人で合わせてようやく生きていけるくらいの慎ましやかなものだけれど、お互い働く事で社会との繋がりを得て、もちろん多少のゴタゴタはありつつも、概ね満足して働いている。子供はいない。一応首都圏に含まれるアパートに暮らしていて、わりと快適な住居と言って良い。車は持たない。

大体お分かりになっただろうか。極めて普通の共働き夫婦という事だ。子供がいないと言うのも最近では珍しくないし、ここで僕がその事について語るのも長くなりそうなので、省略しておこうと思う。ついでに、僕の趣味。自宅で映画を観ること、本を読む事(映画を観る事に比べると断然少ない)、文章や、小説を書く事。特に最近は小説投稿サイト『カクヨム』で小説を書いて投稿するのが趣味……という範疇を超えて、生き甲斐みたいになってきてしまっている。僕は文章を書く事が好きだし、いつか文章で飯を食っていこうと決めた者なので、映画を観るのも、音楽を聴くのも、本を読むのも、こうして文章を書くのも、全ては文章・主に小説を書く為にやっている準備活動という事になる。好きだから全然苦労にならない。ただ、映画の作品名や監督や俳優の名前を覚えるのは苦手だから、あんまり突っ込まれると「あうあう」となってしまう。話も結構すぐ忘れてしまうので、結局、映画を観て僕自身の創作に何かプラスになっているのか?と聞かれると目を逸らさざるを得ない。

前段だけで随分と長くなってしまった。

本題に入ろう。

外周だけを歩いていては入場出来ない。

そう、4月7日以降の僕について。


初日


既に短縮営業中で、職場は間もなく発令されるであろう東京都の緊急事態宣言の話題で持ちきりだった。急遽、全員に集合が掛かって、

「明日から当面休業になるから、連絡を取れる状態にして各々待機」

という命令が下った。全員がまるで狐に鼻を摘まれたような顔をしていた。え、親分、するってーとアレですかい、しばらく会社に来なくていいっちゅー事ですかい、という三下の演技みたいな気持ちだった。テレビでは騒いでいたが、まさか、営業を中止するまでとは思ってもいなかったのだ。

うそみたい……

売り場のみんなと「思った以上にヤバイんだね。生きて再会しようね」などと暗い顔で話をし、帰宅した。ずっとテレビを付けっ放しにして、妻とアレコレと先行きの話をしながら夕食をとり、僕はいつもの酒を飲んだ。本当に明日休みなのか、と半信半疑で。

本当に休みだった。

目が覚めたら一人だった。時間はとうに出勤時間を超えていて、妻は仕事をしに出掛けていた。僕は一人でいつものソファーに座って、ボーッとテレビを見た。ずっとずっと見た。休みなんだ、と思った。降って湧いた、喜ぶべき春休み。喜んではいけない、でも、嬉しい。この機に何かをやりたい気がする。このお休みの間に、やりたい事をやるのだ、可能な限り。

恥ずかしい話だけど、僕が最初に思い付いたのは、たこ焼きを焼く事だった。少し前に職場近くのヨドバシカメラで、僕は理想のたこ焼きが食べたくて、たこ焼き機を買っておいたのだ。2000円くらいの玩具みたいな機械だが、たこ焼きが焼ければ玩具だろうが何だろうが構わなかった。ひっくり返す用のアイスピックみたいなやつも買った。100円と300円のがあったので、ずいぶんと悩んだ。機能としてはたこ焼きをひっくり返すだけであるが、その200円の差というのは一体どのようなところに現れるのだろう? という事についてしばらく考えた。結果100円のを買った。お陰でいつもひっくり返す時に「300円のでひっくり返すとどうなんだろう」と無駄な事を思ってしまう。どうもこうもねぇのだ、そんなもん。

スーパーへ買い物をしに行って、カードで諸々支払って帰った。この春休みとも言える自粛期間で、現金をほとんど触らなかった事も記しておきたい大切な事だ。クレジットカード一枚とポイントカードを持って行って、会計はそれらで済ませた。iPhoneでQuickPayで支払えればもっとよかったのだけど、まだ近所はそこまで発達していなかった。

たこ焼きを焼いて、昼からビールを飲んで一人で食べた。

最高だな、と思った。

テレビではずっと、COVID関連のニュースをやっていた。世界的にはどうだ、とか、政府の初動が遅かったのではないか、とか、そういう人口や国土面積を知らされない他国との比較と非難の言葉がひっきりなしに発信され続けていた。テレビに映る人達はずっとイライラしていた。インタビューを受ける一般の人々とされる人たちは不安そうにしていた。僕は片手にスマホを持ち、ツイッターで色んな人の呟きを見ながらテレビから垂れ流される情報と熱々のたこ焼きを食べた。生まれて初めて自分の意思で焼いたたこ焼きは熱々トロトロで理想の味だった。

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不安はもちろんあった。無い訳がない。テレビで予防策や症状の話をずっと摂取し続けていると、僕がいる部屋の外はまるで瘴気に包まれた腐海のように思えた。マスク無しで息をすると、人の肺は十五分も保たない。それは初日では薄い感覚だったが、緊急事態宣言が発令された以降はまるで病的な幻想のように僕をすっぽりと覆った。人との会話は不潔、電車のつり革は論外、マイクロ粒子、お肉券、お魚券。これらは初日以降の事だ。


初日以降の休みについて。


大変申し訳ないのだけれど、鮮明なイメージと記憶が残っているのは初日だけである。それ以降は大体、同じことを繰り返した。つまり、買い物をしに行って、テレビを見て、料理を作って、天気が良ければウォーキングをして、風呂に入って眠る。妻が休みの日はダラダラと話をしながらテレビを見てあーだこーだと話をし、料理を一緒に作るなどをした。妻が居ない日はずっと勝手に苛立っているか、苛立ちを増幅させるか、不安を煽るTVを見た。番組はある日突然「ソーシャルディスタンス」を踏まえたのか、キャスター同士が異様な距離を取り始め、やがてモノリスのような液晶テレビに人の上半身を映し、スタジオの司会者とやりとりをするようになった。2フレームか3フレーム遅れて交わされる会話がやけに神経に障った。人と人との会話は本当に一瞬の間が視聴者を快にも不快にもするのだなぁと思った。僕は出来るだけ頭を空っぽにして(歳を取るにつれていつの間にか身に付いている歓迎すべきスキルだと思う)テレビを見て、ツイッターでしょうもない事を暇つぶしに呟いて、昼から酒を飲んだり、飲みながら風呂に入ったりした。やっぱり最高だな、と思った。だが毎日ほとんどやる事が一緒で、かつ風景が家の中だけなので、昨日と一昨日と、もしかしたら翌日の境界線さえも曖昧になっていった。働いている時でさえ曜日感覚が失われていたのに、自粛期間中はさらにダメだった。失敗した白玉団子を一つに丸めたかのように一日といちにちが分離し難い。

アマゾンプライムで結構たくさん映画を見た。

でも、どんな映画よりも、現実の方に興味をそそられた。2011年の大きな東北地震の時以来の、顔も知らない人達の一部に含まれている自分を感じた。本当はそれを示す言葉があるのだろうけど、僕はそれを使いたくない。全員が同じものを見て、同じ方向に向かって「頑張ろう」であったり、「耐えよう」というような空気感があった。正しくあるべき姿が示されると、正しくない者や、正しくないと思われるべき者が順番に目を付けられた。不寛容と相互監視の芽がムクムクと育つ予感があって、どうしても僕自身にイライラが募った。否が応でも含まれざるを得ない感覚に時折中指を立てたくなる。行き場のない四十代のおじさんの反抗。

夕方はウォーキングをした。僕はマスクをして早足で歩いて、たくさんの人達とすれ違った。仕事帰りの人もいたが、ウォーキング目的の人たちも結構いて、その誰もがマスクをしていた。すれ違う時、目だけでお互いを認識するのだけど、何となく申し訳なさそうな雰囲気を発していたように思えた。気のせいかも知れない。でも、運動をする者同士の「だって、運動しないと体が鈍っちゃうもんな」「政府も運動は禁止してないよな、フランスやイギリスではダメだけど」というような、小さな交信が行われていたように思う。マスクのせいで目だけでしか相手の雰囲気やバックグラウンドを想像するしかないのだけど、それだけでも十分に相手の思慮をうかがい知る事が出来た。

初日の休み以降、外を歩く人達は徐々に減っていった。雨が予報され、少し早い時間に歩いた日の、恐ろしい程に澄んでいる空気と、綺麗な空を覚えている。意外と近所に立派な送電塔が建っていて、写真を撮った。いつも歩き慣れているコースを少し手前で曲がれば、もしかしたらその鉄柱の根元まで行って「映える」写真が撮れるかも知れないな、と思った。実際の所、僕はウォーキング中にたくさん写真を撮った。水溜りや、夕方の景色が僕は好きなのだ。でも、何度か撮って飽きてしまった。違う道に逸れて、決まりのコースを外れればまた刺激があったのかも知れないけれど、僕は運動をしに来たのであって、写真を撮りに歩いている訳では無いのだ。歩いていると色んな事が頭によぎって、家に着く頃にはヘトヘトになって大方忘れてしまっていた。運動はそこが良い。歩く時間は一時間二十分程で、AirPodsを耳に突っ込んで大体同じ音楽を聴きながら歩いている。

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短編小説を書く。


表題の通り、僕はアマチュアweb小説家である。今のところ一度だけ小さな催しで作品賞をいただいて、少しだけ賞金を頂戴した趣味の範疇を超えられない「志望」止まりのしがないおじさんであるけれども、今回はweb小説とは云々について語るのはやめておいて、僕は小説を書く志向のある人間である、という事だけを知っていて欲しい。

カクヨムでは夏物語2020というイベントを開催していて、本来コロナがここまで流行らなければ「東京オリンピック」を題材にした4000文字以内の短編(掌編)を募集していたのだった。その大賞は雑誌「ダ・ヴィンチ」掲載という事で、4月頭から俄然やる気満々であったのだけど、このコロナ禍の只中で全く書く気が失せてしまった。

僕は小説を書くのに理由はないのだろうな、と思っていた。少なくとも僕にとっては、という事だけれど、褒められたい、という気持ちを持って書く事だってもちろんある訳だけれど、二年前に初めて小説を完結させた時には「書こう」と決断して書いた訳でもないし、誰かに「すげぇ」と思われたくて書いた訳でもなかった。


小説を書くのに理由はないのだろうな、と思っていた。


大切な事だし、ちょっとかっこいい感じがしたので太字で二度目を書いてみた。少なくとも今のところ、それ以上に深い意味は全くない。

小説を書かない理由というのはたくさんあるのかも知れない。大勢が小説の構想を持ちながらも「仕事が忙しい」「ちょっと気が乗らない」というような理由で、脳内に書き溜めただけの「小説」があるのだと思う。そうした書かない理由が人をキーボード前に向かわせるのを阻んでいるのだ。僕がweb小説家として「書いても書かなくても概ね世界に影響は無い」という前提に立って、なお「書こうとする」事自体が異常なような気がしてきた。む、妙な日本語を書いてしまった。

ともあれ、僕は「書こう」と意思を持った人間なので、書く理由がある。書かなければならないのだ。にも関わらず、四月の中旬まで一切「書こう」という気が起きなかった。以前だったらこれはヤバイ、一生書けないかも知れない、などとワタワタ慄いていたかも知れない。書けない理由をコロナに押し付けていたかも知れない。でももういい歳だし、「書く」という行為について結構長く考えて過ごしてきた。だから、何故ここまで書く気が一切起きないのだろう、と結構冷静に、真剣に考える事ができた。

本当に、ものを書くという行為が無駄のように思えた。何を書いても意味がないような気がした。世界に対して波風を立てない文章である事はもとより承知しているが、少なくとも僕にとって文章を書くことには意味があった。書く事で自分の世界が拡がるような気がしていた。見た事がない景色をみて、新しい色を発見したかのような心の動き方を感じる事ができた。でも、自分の家の外に出たら感染して死ぬ、あるいは他人に感染させ死に至らせる可能性があるという事態において、そのような個人的な事を書き綴る事に意味が無いように思えた。

僕はフィクションを書く者で、基本的に空想を文字に起こしていくタイプのweb小説家である。「である」という語尾も恥ずかし気もなく使っちゃうタイプの物書きである。それが、このコロナ禍において、この現実ほど面白い(と書くと不謹慎なので、言葉を変えると)興味をそそる話を書ける自信がなかった。言い方を変えると、テレビに食い入るように眺めている誰かを、僕が書くフィクションの世界に目を向かせる自信が一切湧かなかったのだ。この国民全員が参加しているコロナ現象をさておいて、誰が僕なんかが書く「お話」に興味を示すんだよ、ボケ。という気持ちに支配されてしまったのだ。一丁前に敗北感すらあった。お肉券、お魚券、と真顔で言い出す人達に屈服してしまったのだ。あんた面白いな、負けたよへへ、っていう奴だ。フィクションの世界では「これは無いわ」と笑い飛ばされてしまう現実に、現実だからこそ、それが面白いという力を獲得しやがっているのだという羨望に近い逆ギレのような思いがあった。現実だからお肉券は面白い。ずるいだろ。きたねーわ、やり口が。

そう怒ったら何だかスッキリして、制限四千文字以内の条件で、夏物語を題材とした掌編を六本ほど書いてカクヨムに応募した。四月の後半あたりになると、現実がどうの、とか、それに対するフィクションがどうの、とか、そういう事を言ってる場合では無くなってしまったのだ。締め切りがあるから。どうしても、ダ・ヴィンチに載りたかったから。本当にこの募集があって良かった。無かったら一生ウダウダと考えて、書かない人間になっていた可能性も皆無ではなかったような気がする。締め切りは神だと思う。冒頭だけでも勢いで書いておいて良かった。こんなの書いて、何の意味があるんだろう、という事は置いておいて、逆にだからこそ、結構真剣に「ぼくがかきたい ものがたり。あるいは ぼくがかける ものがたり」と向き合うことができた。結果的にはほとんどコロナ小説とでも名付けられそうな掌編群になってしまった。でもそれは仕方がない事だと思う。2020年の夏をコロナ抜きで語ることは難しい。結果は六月あたりだそうなので、楽しみに待ちたい。載ったら50冊は買いたい。創作に関する書いておきたい事は以上だと思う。後から思い出したらまた別の機会に書くかも知れない。

※先日中間発表があって、僕が書いた六作は全て落選していた。まさか全部落ちるとは思わなかったので、二兆見してしまったが、やはり僕の作品の名前はひとつも見当たらなかった。どのような物差しで審査したのかは謎だが、まぁ仕方がない。喚こうが呟こうが「ルーペの作品は今回ノーサンキュー」と言われればそれは仕方がない事なのだ。大変残念な結果ではあるけれど、それでも僕はこのコロナ禍において六作を必死に書いた事を小さな誇りに感じている。クサイ、と言われても、これは本当に感じている事なのだ。以上、カクヨム2020夏物語についての言及は終わり。

人との関係


僕は孤独を愛する人間だと思っていた。特に、会社などでは最低限のお話しかしないし、親しい人もあまりいない。以前は居たけれども、あるきっかけを機に、会社で親しい人を作ろうと思わなくなったのだ。だから、会社はお金を稼ぐ場所、社会的に生きる為の納税・勤労の為の場所、という風に割り切って日々を送っていた。お昼ご飯も大体一人で食べるし、職場でお喋りという事も滅多にしないタイプの四十代男性と思っていただいていい。恐らく周囲からは人当たりは良いけど、何を考えているかよく分からない、ちょっと扱いが難しい可哀想なおじさんと思われているのではなかろうか。

僕はみんなに好かれる必要はないし、僕もみんなを好きである必要はないという前提で生活をしていた。だから僕は、職場の人達と話す必要はなかったし、話をしたいとも思わなかった。雑談する動機が一切なかった。であるにも関わらず、誰でもいいから喋りたくて仕方がなくなった。妻以外の誰かと。

自分が孤独である為には、周囲に他人が存在しなければならなかった。本当のところ、孤独には他人が必要だったのだ。そんな皮肉ってあるか? 実はほんの少し小馬鹿にしていた、群れて行動する人達のことを、僕は懐かしいとさえ思った。「元気にしてた?」「何をしてたの?」そんな会話を恐らくこの自粛期間を過ぎた後に彼らと交わすだろう。それを心待ちにしている自分に気が付いた。僕は彼らの事があんまり好きでは無いと思っていた。でも、そうではなかった。僕は本当は、久しぶりに会いたいと思う程度には彼らのことが好きだったのだ。まさか、そんな風に思える日がこんなに早くやってくるなんて。老後に思う事なんじゃないのかそういうのって。

あまりにも他人と喋りたかったので、ツイキャスというものを数回やって、リアフレと話を何度かした。ツイキャスはインターネット回線を使ったラジオのようなもので、誰でもそれを聞く事ができる。そこで交わす会話というのはやはりほとんどが小説について、という事なのだけれど、たっぷり一時間ほど話をして、直後にそのリアフレと二人だけの回線で会話をしたところ、ものすごく楽しかった。僕は、大勢が聞く可能性がある場所で、無意識のうちに気を使っていた。見えないインターネット上の誰かに「聞かれたら嫌な・気持ち悪い奴だと思われそうな事」を考えて言わないようにしたり、僕自身の素性があまりにも明らかになりそうな情報を言わないように注意していたのだった。当たり前だ。気を使うに決まっている。喫煙所で大声で話をしているのと同じようなものなのだ。誰でも聞き耳を立てれば聞ける。そこで「腹を割って、心底安心して話をすること」など望むべくもない。おおやけ、と個人同士のつながりの差。その差異について改めて実感できた事も新鮮だった。書くという事はつまり、えーっと、んーと、えへ!(ごまかす)

社会の分断


僕はインターネットの可能性を信じているおじさんだ。

いきなり妙なセミナーみたいな書き出しで申し訳ないのだけれど、その通りなのだ。僕はインターネットの可能性を信じている。インターネットを通じて人と人はある程度分かり合える事ができる。文字。その連なりがあらゆる意味と志向をもって、他人に感情を伴った情報を伝える事が出来るはずだと考えている。もし魂の断片が他人の記憶に宿るものであるなら、インターネットを介した魂のやり取りというのは既に行われているのではないか、というのが僕の自論である。色々とあるだろうけれど、僕はそういう事を考えている、信じている人間(おじさん)なのだ。

奥さんはスーパーで働いているので、いくぶん休日が増えたものの(休むと休業テアテがでるのよ、と言っていた)僕は完全に休みだった。じっと家で、上記のような諸々と書いた事をやっていた。僕の実世界はそんな感じ。

ではインターネット上ではどうだったか。


いわゆる、ツイッター上でのアレコレである。そこで、僕は今までに感じた事のない断絶、あるいは格差というようなものを感じる事になった。

具体的には、休む者と、命の危険を感じながら働く者、の二極化である。これはビックリした。今まで我々は、ある程度「暮らす環境が同じ」という前提にあって、フォロー・フォロワーの関係にあったのだった。それがこの休日を取得する者、そうではない者の間では、命が関わる問題という事もあって、大きな不公平感がその断絶を招いたように思えた。僕は上記の通り結構暇だったので、隙あらば下らない下ネタを呟いたり、料理の写真をアップしたり、ウォーキング中の景色をアップしたり、おもむろに肉を焼いてみたりした。そのどれもが、命を掛けて働かざるを得ない人達にとって、殺意を抱く対象となり得るものであった事は間違いない。僕だったら「こいつッ……!」ってなってたと思う。当たり前の事だ。人が汗水垂らすばかりか、TVなどで煽り立てられた恐怖の外界で命を賭けて不要不急の仕事をさせられているのだ。悠長に肉やらたこ焼きを焼いている人間に平常心を保つ事は難しいのではないか。っていうか、すでに何名かのフォロワーに俺、ミュートされてるなこれ、と思う事が何度かあった。それは仕方がない事だ。インターネットは個人が楽しく・快適に暮らす為に存在するツールであって、自らを不快にさせる情報を発するものは積極的に「ブロック・ミュート」をする事が正しい。この世界には、僕・あなたが不快に感じるであろうと慮って最初から発言を軟化させたり、言葉を選んだり、ブロックをしてくれるような親切な人など存在しないのだ。心身を守るにあたって、現世を楽しむにあたって、ブロック・ミュートはお薦めの行為だ。いつかブロック・ミュートの権利憲章が国連あたりで持ち上がるだろう。汝、ミュートすべし、みたいな。知らんけど。

どうしてこうなってしまったんだろう、と悲しく思った。今まで我々は「労働は糞」「金持ちはしね」というコンセンサスを持って一致団結していたのだ。それは勿論、「こいつ金持ちなんじゃねーか」とか、「休み多くね?」などの疑惑が生じる事も無くは無かった。当たり前だ。みんな馬鹿ではないのだから、そういうのはだんだんと分かってくる。でも「てめー金持ちじゃねーかファック・ブルジョア!」などと声高に叫ぶ人はいなかった。だが、今回のコロナ鍋(わざとです)がそれを明らかにしてしまった。働く人/休む人の不公平さは、もしかしたら我々の世代が今までに感じた事が無い衝撃的な経験だったのではなかろうか。今まで同じ世界で暮らしていると思っていた隣人が、突然「命を危険に晒さず、働かないでいい人」に豹変するという言葉に出来ない残酷さというのは絶対にあったと思う。かつて仲が良かった隣人との間に突然の生じた敵対関係。これを取り戻すには時間もかかるだろうし、あるいはもう戻らないかも知れない。心の傷はお金で解決できる問題でもないので、アフターコロナという言葉の中に黙して語られる事項があるとすれば、「あの時働かされたひと」と「ずっと家で休んでいたひと」の現代版階級闘争とも言える目に見えない分断であろうと思う。それは確かに命の選別と捉えられてもおかしくない出来事だった。大きな「経済」という観点からは合理的なのだろう。経済を疲弊させず、コロナウィルスを殲滅させる。社会と経済の平常性を志向しながらウィルスと対峙する姿勢。聞くだけでカッコイイ。素晴らしい。だがその社会と経済を回すのは椅子に座って物事を決める経産省の人や、日本の疫学の専門家達ではなくて、我々だった。そこには断絶が生じた。彼らは分かっているのだろうか? 見放されたと悲しい思いをした者と、休みを楽しく享受した者との間で、回復しようもない大きな傷がついた事を。きちんとケアをするべきだ。もちろん、金で解決できる問題ではない。命の選別とも言える、残酷な線引きを行なったのだから。それらを分けたものは、ほんの運の差でしかなかったのだけれど。ちょっとした違いで、立場が真逆になっていた可能性だってあったのだ。その時、僕だったらどう思っただろう?

招集


そのようにして、一週間程緊急事態宣言が伸びた。

当初、出勤すべきだった日は一週間先に繰り越されたが、まだまだ伸びる可能性もあったので、いつの間にか「まだ先だろう出勤は。もしかして五月いっぱいかな」とのんびり構えていたのだけれど、それはある日突然やってきた。出勤の確定事項を申し伝える上長からの電話だ。

心臓がドキドキして、呼吸が乱れた。

終わってしまうのだ、と思った。この春休みが。とてつもなく寂しく感じられた。ずっとこのまま生活していたいと思っていた。労働などせず、好きな事をやって、公園と自宅の間だけで生活をし、食料をたまにスーパーなどで買って料理をして暮らしたいと願っていた。もちろん、そんな生活が続く訳がないのだけれど。

電話を持つ手すら震えた。

だから、この春休みについて、僕は記憶が鮮明のうちに残しておかなくてはいけないと思った。コロナという災厄において、ぽっかりと空いた隙間に僕は放り込まれ、おそらくこの先ないんじゃないかというような経験をした。新たな自分を見つけたり、周囲との関係について考えた事を、ちゃんと書き記しておきたかったのだ。

でも ──とここまで書いた事をひっくり返すようで申し訳ないのだけれど、僕という人間は結局のところ変わらないだろう。もう四十年も自分自身と付き合っているからよく分かる。最初の頃はみんなと話せて楽しい、お仕事して充実してる、とさえ感じるかも知れない。だがそれも長くて1ヶ月くらいであろう、というのが僕の見立てだ。やがて「こいつ……しねっ……!」と人に対して思うだろう。労働を憎み、だがそれでも仕方がなく金の為に働くのだろう。コロナ禍においてぼんやりと見え始めたもう一人の自分に、周囲への感謝に時折目を凝らしながら、それでも生きていく。

出来るだけ楽しく、長生きしようね。

終わり。

べ、別にお金なんかいらないんだからね!