前記事の追加考察ー催眠レベルの見極め方・催眠と睡眠

私は、思わずかつてなく深い潜在意識の領域を冒険する体験をすることができたが(前記事より)、実は私は、ユングの方法で内界へ退行していく方法は、何度も試していた時期がある。

しかしこれは、上(顕在意識)から行くと、とてつもなく困難な作業である。

自分自身で、それこそ集合無意識ほどまでに深く深く下っていくのであるから。

もしかなり深く行くことができたとしても、これはユングの言った通り、本当にへたをしたら戻ってくることができない危険性を感じる。いや、行っている時は顕在意識の判断力が鈍っていてその危険性さえ感じていない可能性があるので、本当に強く強く現実に顕在意識を結び付けておく必要がある。

しかし、そうするとヒトというものは通常、そこまで深い催眠に、しかも自己催眠では入れないものなのだ。

だからといって顕在意識を緩めれば、危険なそちらの世界へ飛び込むことになるわけではなく、ただの睡眠へと飛び込む。

例えるならば、食道と気管どちらに飛び込むかというようなものである。

ここで催眠療法的に説明するならば、催眠下(潜在意識)に入るためには…

催眠というのは顕在意識が弱まって潜在意識が優勢になる、出てくる、とかいうイメージをしている人が多いが(実際わかりやすく基礎授業ではそのように説明せざるを得ない講師がほとんどであるため)、実はこれは大きな誤解を生む。

催眠とは、潜在意識だけではなく、実は深く入れば入るほど(ある意味)顕在意識も強くなる。

もっと簡単にいえば、リラックスが高まると同時に、集中もものすごいレベルで高まるのである。

ここで催眠を深くしようと思って、集中を手放してしまえば、これは決して催眠には入れない。睡眠である。

つまり、セラピストがもし、クライアントを催眠に入れる時、深く入れたいならば、深く深く入れる誘導だけでなく、その分、集中力をこちらにひきつけるだけの暗示もしっかりはっきりと、適宜ある程度の落差をつけて入れ込んでいく必要があるのである。

エスタブルック催眠、エルマン、クラズナー、エリクソン、全ての系統に共通するものがある。

これは、必ず、催眠誘導の中には、顕在意識に語り掛けている言葉と、潜在意識に語り掛けている言葉両方が組み込まれているということである。

セラピストはクライアントの潜在意識を扱う、潜在意識と対話すると思いがちだが、催眠中であれ決してクライアントの顕在意識を見放してはならないわけである。

誘導文をひとまず誘導文として教える催眠スクールが恐らくほとんどであるが、誘導文の一文一文、いや実は単語ごと…に、セラピストの顕在意識からクライアントの顕在意識へ語り掛けている言葉か、顕在意識から潜在意識へ語り掛けているものか、潜在意識から潜在意識へ語り掛けているものか、潜在意識から顕在意識(これはまずないと思うが)に語り掛けているものか、明確にセラピストはわかっている必要がある。

でなければ、言葉の掛け方も声の出し方や抑揚、ひいてはクライアントへの伝わり方も、全てが変わってしまうからだ。実は、これひとつでクライアントさんの顕在意識潜在意識の位置関係がひっくり返ってしまう(深くしているつもりが浅くなっていたり、その逆)ことが非常に多くある。

それによって、どれくらいのレベルの催眠に入れるか、セラピストがしっかりと調整することができる。(ついでに言えばこれがセラピスト側に備わっていなければ、クライアントの潜在意識も不安で一定以上に深く入ることはできない。クライアントの潜在意識は実は誰よりも確実にセラピストの技量を見抜いている)。同時に同じことを別の角度から言えば、クライアントがどれくらいの深さにいるだろうかと良くわからずふわふわしたまま見守ったりセラピーをすることは(ましてや途中でクライアントが眠ってしまったりするようなことは)ない。

催眠中のクライアントへ寄り添いは、まずはここが前提の前提となる。

当然ながらこれは別に催眠の入り方や所在を調整するだけではなく、その催眠下でのセラピーの深さ効果をとんでもない振り幅で左右する。

もうひとつ別角度から付け加えれば、それを、セラピストも、自分自身の催眠への入り具合でクライアントのそれをわかる(つまりいわば潜在意識で判断する)ことだけではなく、顕在意識でもはっきりとクライアントが今どのあたりの催眠状態にいるのかの所在をはっきりと掴んでおくことが必要であるわけである。

そして、これを自己催眠でやるとなると、もはや計り知れない難易度である。

ユングは、それこそどれほど計り知れない訓練と精神力、技量を、しかもそのバランスの微調整に至るまで、如何ほどに積み上げたのだろうか。


追記:催眠の文言は顕在意識にかけるものと潜在意識にかけるものがあり、セラピストはそれを明確に自覚している必要があると書いたが、これは許容的文言、権威的文言も同じである。
全催眠の系統にこれも共通することだが、誘導(その後の暗示にも)には、必ず許容的文言、権威的文言、両方組み込まれている。唯一エリクソン催眠には権威的文言は極めて少ないともいえるかもしれないが、その代わり「潜在意識にとっては強烈な権威的となる文言」は多い。
しかし、これも、セラピストは明確に自覚している必要がある。更には決まり文句通りでない誘導や暗示の場合は特に、権威的文言のつもりでも酷く許容的な文言になってしまっていたり、許容的文言を発しているつもりでも実は権威暗示となっている場合がある。
これは恐らく、(私の体験的なところなので恐らく、だが)特にエルマン的スタンスを持っているセラピストが許容的に反応しているつもりでも実は自覚なしに権威的な言葉選びになっていたり、エリクソン催眠手法を行おうとして許容的に暗示を入れているつもりでも実は(顕在意識に対する)権威暗示になってしまっていたりする。
また、エルマンやクラズナー的暗示を行っている時、権威的に命じる瞬間に、これは言葉遣いというよりも発声や抑揚的な要素の方が多い気がするが、酷く許容的に(許容的態度のまま)入れてしまうため、折角のその一言が通り過ぎてしまい、クライアントが深まらない(または僅かな筋力差で誤嚥してしまい気管に入ってしまうがごとく睡眠へ向かわせてしまう)ということも多い。
これらは、いくつか前に記事に残した、許容的催眠と権威的催眠を交互に行ったり織り交ぜたりする時には更に更に顕著に混乱が起こる(そして誘導している者は混乱すら感じていない場合も多い)。


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