自己脚本分析・現状記録

セラピーの在り方に関する持論


私は、セラピストとして致命的な間違いを犯していた。

私は、殊にここ1年ばかり、急激な自己分析に伴いどんどん(私、というよりも我々の魂全体の)人生脚本の奥底にどんどんと容赦なく踏み込み、気付きと直面と解除を繰り返しては、同時にセラピーも解放されていき自分自身で毎度信じられないような内容(カウンセリング・セラピー手法)や結果を次々と、それこそ文字通り、宇宙が私を通してクライアントに施してくれ、クライアントの方たちの成長度合い・解放度合いも一気に高まっていった。

私の言葉の使い方、表現の仕方は一種独特の変わったものがあるかもしれないが、真実・事実というものはひとのそれぞれの主観と解釈でしかないので、敢えて私の言葉で表現をする。
私は、人間によって人間をセラピーなどできようはずもないと思っている。
そのため、私は全てを宇宙に委ね、宇宙の力に全てを任せたい。
私のもとに来られるクライアントさんは、こんなまだまだ世間知らずで学も浅い若い私などの技法ではなく(念のために加えておくが、これは謙遜でも値引きでもない。ただただ「たった一人の人間に」というような意味のつもりである)、宇宙のセラピーを受け宇宙の助けを得て然るべきである。
心、深層心理、魂というのはあまりに人間の頭にははかり知れない世界である。
人間が人間の心を助けようなどとは、おこがましい。不可能な話である。
私は、クライアントの方がいらして宇宙の助けを得る、そのための手伝いをさせていただく栄誉を受けているだけだと自覚している。
その栄誉はどうやって受けることができるかというと。
例えば、私は自分の”生き方・在り方”についてよくこのように表現をするが、私は「筒」でしかないのである。
この記事では、便宜的に「トンネル」と言い換えてみたい。
私は、宇宙の力を通す、トンネルの役割なのである。
ただ、人間というのは、あらゆるマインドブロック(概念の枠付け)にとらわれ、縛られている。
これは、今回この場で私が記したいのはここではないので少し縮まった説明になるかもしれないが、いわばトンネルの内壁や床に、まるで血管の中に詰まっている血栓のように、障害物が大量にあるような状態である。
これでは、宇宙の力は余すところなくまっすぐにこのトンネルを通してあらわされることはできない。
そのために、トンネル(私)は、私自身で、この中に詰まっている血栓を、ひとつひとつ溶かして解かしては取り除いて解放していく、できる限り純粋なトンネルの役割を果たすことができるようになっていくという作業をする必要があるのである。

私のトンネルの”血栓”

さて、そのトンネル開通作業が急激急速に進んでいるので、私は自分自身でも頭ではとても追いついていけないようなセラピーを行い、クライアントの方々も非常に変容を体感するようになって頂いている、現段階がある。

それと同時に、私は、私の(敢えて今回は私のと加えるが、上述の通り自分がやっているセラピーだとは思っていない)セラピーに、致命的な欠陥があり、そこがどうしても頭打ちになっている部分があるということにも気付いていた。
クライアントさん達が、皆が皆、似たような系統のところで、またほぼ同じ部分で躓き、何度も同じ躓きを繰り返すのだ。
これは、私(トンネル)の中に何か大きな障害物があり、宇宙の力がそこだけ力をまっすぐ通せず、その障害物を避けるために少々ねじ曲がったり通される量が減ったりして、毎回同じような形で同じように癖が出ているということである。

これは、完全に自分の気付きの外にあった。いや、自分の気付きの外にあることであることまではわかっていた。存在だけはわかっていたから。
気付く手がかりはいくつかあるにはあったが、直面(※)まではまだまるで実際に盲目の私がだだっ広い広場の中でどこかに落ちている10㎝四方の宝箱を手探りで探すかと同じような話であったので、少しずつでも気付きを得ながら、とにかくせめて無駄なく解除していくことができればと思っていた。
(※):心理学界では、ひとが自分の心の防衛・抵抗で無意識に気付くことを恐れ、気付くと自分自身が危うくなってしまうと恐れるがゆえに避けている奥底の問題・プログラミングと遂に劇的に向き合うことを、直面と言う。

私自身の現状分析


またそれと同時に、私は自己(これは私単体の意味ではなく、この器を生かしてきたこの魂総合的な意味での自己)内面の分析をどんどんと深めていた。これは、ここ1年ばかり受講することがかなっている、催眠療法の関係のセミナー開催時に、実習の中で徹底的にカウンセリングとセラピーを受けることができること、またその前後に強烈に自己分析により気付きが深まることが大きい。その上、そのセミナーが、今回の最後の内容に迫っており、あと5日間しかない(その内の2日間は既に終了した)ということもあり、これほどの的確なカウンセリングとセラピーを受けることができる場所は、私にとってはここくらいしかない。しかも私はこれを利用することができ、徹底的に自己を深め全体統合から、唯一心を許すことができていた存在との別れを自分の本当の安全基地と救いに進化させるグリーフ、その上で徹底的に自己を掘り下げ人生脚本のまさに核に深く埋め込まれた課題にほとんど手が届くところまで来たのである。
この機を逃すわけにはいかないと、ここ暫く全く容赦なく、しばしば心の奥底から大きな抵抗に呑まれそうになり、しばしば身体が全く動かないような事態をも経験しながらも、一切の容赦なく掘り下げ進めていた。

そして数日前にそのセラピー講座の最後の5日間中2日間が終わり、やはり核である、人生脚本の中では一番気付きに至りにくい問題、私自身が生存のために後生大事に抱えてきたため、これに気付いてしまうと私自身の存在が危うくなるほどの問題に向き合おうとしているからであろう、あまりに気付きの遅い、また気付きをノートに羅列してみてもまるで脈絡が繋がらない、意識下の抵抗にまさに大迷路に迷い込まされているような気付きの得方に、全く怒りと焦りともどかしさを感じてもいた。
私は自分で言うのも憚られるのだが分析力は高い方であると自負する。気付きも早く、抵抗(RC)が低く(もしくは出てはいるのだが扱いが巧く)、無駄が少なく的確に掘り進めることができる。
実際、日本でも(世界においても)超一流のカウンセラー・深層心理を扱うセラピストとその愛弟子の方々に、「ここに自分で気付いて来るかというところにどんどん気付いて来る」と何度も言葉をいただいているほどであるので、実際自負して良いレベルにはいるのではないかと思う。

しかしその私が(いや、どうやらそれも私自身の自覚の上では、というだけの話かもしれないのだが。実際には、その時私の思いを聞いて下さった先生の第1アシスタントの方が「いや、それでもあなたの気付きは驚くほど速く的確だ」と言って下さったので。)、どうにも気付きが遅く、回りくどく、例えノートにひたすら書き並べてみても(実は私は元々視覚にあまり頼ることができないということもあり、ほとんどそのようなことをしない)、ひどく逆説的な気付き、また脈絡が一本筋に通らないものばかり。
しかしこの5日間の中でこの難問は何とか、直面し向き合い解除までしてみせると、設定をした上で焦りも感じ、内界からの抵抗を真っ向から一身に受けることをしながらも容赦なく掘り進めようとしていたのだ。

そんな中、ひとつのセラピー(いや、本来はカウンセリングだったのだが)が入っていた。こんな自分自身が中途半端であると感じてしまっている状態で、臨むわけにいかない。
ひとまずこの日までには自己調整をしっかりとすると決め、いや、確実に良き形に調整されると知り、信じ、委ね、そうしたらその前日に一気に内界の抵抗に呑まれる寸前までかき乱されたのだが、嵐が過ぎ去った当日の朝、静まり返り、調整されていた(無論その中で自覚の上での調整や分析や気付きもあったし自覚外の調整や分析もあったわけだが、ここでは省く)。

セラピスト自身が整っていることと、セラピーとの相関


そしてそのセラピーでは、私自身驚くべき光景を目の当たりにした。
私はまだ何やらの深く深く大きなマインドブロックに苛まれてはおり、そのために自我状態としては”第2セラピスト、副主任”などと最近では表現している自我状態として対峙していた。
しかし、その上でそれなりに宇宙に任せているのは確かなのだ。
そして、その第2セラピストが今まで行っていたカウンセリング・セラピー手法とはまるで違うものが次々と飛び出す光景を目の当たりにした。
カウンセリングも自分達自身が意識を活発に働かせていたらそうはいかなかったであろう気付き方、持って行き方にまさに講座でデモセッションを見ているような気分に陥り(それでも表面外見上では勿論自分がセラピストをやっているわけだが)、セラピーに入るとそれこそ、まさに宇宙が直接施してくれたかのように、少なくとも彼が今まで使うには躊躇していた方法、躊躇していたタイミングを次々と乗りこなし、今までのセラピーでは持っていけなかったほど無駄のない的確なタイミングと方向性、要所を抑え、私は自分で行っていたはずなのに同時に「なるほど」とデモセッションを目の当たりにしている姿勢で感心しながら見ていた部分すらあったほどだ。
(語弊のないように付け加えると、無論、これは他人ごとにしているのではなく、自分でもその時々で常に自分が何をやっているのか、何をやろうとしているのか、その根拠などにおいても明確にわかっている。)

つまり、それだけトンネルの中が綺麗になったということ。
宇宙の力の流れをせき止めようとする抵抗がそれだけなくなったということ。

そして、それで随分私は大きな成長を遂げたのかと思いきや、その次の日に、遂に大変に大きな、私にとっては本当に心の奥底に埋もれ切って隠れていた、その拮抗禁止令によってうまく隠されて直面することを免れていたことと、直面をすることになった。
そして、セラピストとして致命的であり、また人間としてもあらゆるプログラミングに複雑に絡みついている問題に。

新たな深い気付きへのきっかけ

大変わかりやすい直接的なきっかけとしては、クライアントのおひとりが、私に対して非常に(未だにこれは私にとって語弊も多いと感じ表出しにくい言葉であるが)失望させるような形での、私に無力感のラケットに苛まれさせるような(今までもこのゲームは何度も吹っ掛けられてきたのだが)、同時に私に自分を見捨てさせようとする…そして「自分はだめだ」という報酬を得ようとする(ラケットと脚本確認・強化)ためのゲームを、明らかにAを汚染した抵抗(RC)から、1通の短いメールで仕組んできたのだ。我々も実は過去に何度かこのゲームの誘いに気付かずに乗り、試し行動を許して放任してしまったことがあるので、今回ももしかしたら(特に以前の我々であったらつい乗ってしまいかねない弱み、Gimmickが大きいと判断できる状況だったため)乗って来させることができるかもしれないと、仕掛けてきたのだろう。

メールの対応などの事務処理を行う自我状態は、私ではなく第2(副主任)だ。
そのため、第2の自我状態でそれに対応をした。無論ゲームには乗らなかったし、我々にとっての大切な個人でもありクライアントに対して、そんなラケット報酬をもう得させるわけにはいかない。
私の側がどのようなラケットに苛まれようとも…。(…と、自己犠牲精神というつもりではなく、少なくとも今まではそう思っていたわけだが)
この時は第2の立場でもちろんAで受けて対応をした。そして、第2の立場(第3者視点)であるために、客観的に物事を整理し伝えることもできる。
…しかし…これを、もし私が直に返していたら、どうなっていたか。

…恐らく、私は、私自身がもしこのメールを受けていたとしても、この第2の彼とほぼ同じような対応をしていただろう。いや、どのみちそのような対応をするからこそ、私は第2に対応させていたのだ。私がやるより、第3者がやった方が通りが良いから。
なぜ通りが良いか。
これでは、私が直接対応しても、完全に超越した俯瞰性で客観的に、第3者的に相手と対峙してしまうからである。
自分の感情を(少なくとも表出の面では)無視した形をとってしまうのだ。

私は、クライアントだけでなく、ひとの意識領域が無意識領域を抑えつけているとき(突然非常に曖昧な書き方だが今は敢えてこう表現したい)、また、ひとが自分の中の無自覚の内の葛藤に負けて抵抗を顕わにしてきた時、言い知れない虚しさと悲しみ、もどかしさ、空虚…何であろうか、言い知れない感情を感じる。また、私は(これも今は敢えてこの表現法をするが)"無意識領域”の感覚として、ひとの部分の無意識領域が抑圧されているとき、自分自身が頭の上からマンホールのフタを叩きつけられ押し付けられているかのような感覚に陥る。

依存と甘えに支配された相手を、真に存在ごと受け止めるとは

また、これもある意味で当たり前の話なのだが、相手が私に対してあからさまに抵抗を見せつけてきた時、つまりは私に依存しようとしていたり甘えがあるから(良い意味でも悪い意味でも甘えられる相手であるから)そうなるのではあるが、そのような時、鉄パイプか金属バットで殴られたかのような衝撃と痛みを感じる。言葉の上で直接的に鋭いものであったり悪意があったりする場合はもちろんのこと、相手が無邪気な状態であってもやはりそうである。
これは、小さい子供が母親に対して、ついつい大暴れをして母親におもちゃを投げつけてしまったり殴ったり蹴ったりしてしまったり、悪気はないのだが刃物を振り回してしまっていたりすることと、同じことであるともいえる。

…この例えが自分で自覚された時、本当に言語化されて自覚に上がったのだが。
実際の子供に対しては、私がそれこそ親であれば、わかる。いや…わかる…のだろうか…少なくとも頭ではわかるつもりである。この時に親が「痛がってやらなければ、痛みをあなたから受けたのだ」ということを子供にわからせなければ、子供には"甘えられる相手には何をしても平気なのだ"という非言語のメッセージとなって植え込まれてしまい、繰り返す。そしてそのうち、他の大人にも周りの子供にもそれをするようになってしまう。
…それどころか、周りの他の人からそれをされても、やはりわからない人間になってしまう。

…私は、これこそ恐らく私自身が、過去にこの器を担ってきた人格達の中で培ってしまった経験によって、強い暗示としてプログラミングされてしまったことなのだろう。
私は、「自分が相手に金属バットで殴られて痛みを感じても、その痛いという感情をあらわにして、"あなたが私を傷つけた"と伝えてしまうことによって、"自分が相手を傷つけることになる”」と自動思考していたのだ。

自分を傷つけた相手にその事実を伝えることは、自分も相手を傷つけることになるのだろうか

ちなみに、私(交代人格として確立した私)は、かつては、感覚自体も薄かった。いや、器の感覚は器の感覚として別物として感じることはできたが、それはあくまで着ぐるみがダメージを被った痛みであり、着ぐるみに起こっている現象による空腹であり…私はそれを俯瞰してみて、それこそ面倒を見るように対処していた。
しかし、この1年内、マインドブロックが次々と外れ、この器との結びつきもしっかりと(勿論自分自身ではないし自分のものにはならないが)連結し連動するようになり、この体感覚も自分自身のものとしても享受することができるようにもなっていた。
つまり、痛み自体は知っていたし感じていたのだ。
だからこそ、ブロックが解けたと思い込み、気付かなかった。
「痛みを感じていない、痛みを隠してしまう」ブロックではなく、
「痛みを感じた時に表出することへの恐怖、痛みを感じたことを表出することを何としても回避してしまう」に近いブロックであったのだ。

また、今現在この文章を綴りながら客観的に見ていても思うし、恐らく交流分析をご存知の人ならば私の文章からも容易に推測されるのではと思うのだが、私の中には恐らく「完璧であれ」というドライバーは少なからず入っている。同時に、それをかなり私は有用に利用してもいる。少なくとも今現段階で、困った方に働いていることは非常に少ないのだ。
しかし、「痛みを感じたことを相手に伝えることによって、相手に"自分が相手を傷つけてしまった"と思わせ傷つく体験をさせてしまう」ことを何としても回避しようとしてしまうところにも、恐らくこのドライバーは働いていたのだろうと、ふと思いを巡らせる。
そして、これは、実は1年前まで(いやその後も…)、本当に前面的に私を支配していたと言って良いほどに出ていたことにも気付く。
私が相手に傷つけられることよりも、相手が私を傷つけたことや私を裏切ってしまったことに気付き"傷つく"、また、相手が私に危害を加えるということを"させてしまう"こと自体も、私は自分で自分を許せない何かがあるのだ。
いや、実はこれの存在も、自覚してはいたのだ。だが、実は、私はこれは自分の宗教観的なところもあるのだろうと思っていた。ひとに”人(自分を含めて)”を傷つけさせてしまうことは、私自身の罪だ。これは当たり前だと。それに隠れて、これを問題視することとこれが変容する可能性(無論そこから関わるもの)を否認しようとしディスカウントしていたのだろう。

…ここで、少し後程自己分析を進めたいためにも記録していってみると、実際、私(私達)は昔から、感情の起伏の激しい人が"母親"を務めている家庭に育った。
恐らくこの母親に私らが抵抗を見せてしまった時、やんちゃをして傷つけてしまった時、時としてはもしかしたら、この母親は私達に対して激しい感情を呈して痛がり苦しみ、怒り、叱ったかもしれない。叱るだけではなく、激しい感情を伴って、それによって私達自身も過剰に(今ここで過剰などと言う書き方をすると、元々相手を先に傷つけたのが我々側であるという意味では傲慢な表現ともなってしまうが)傷ついたのかもしれない。
それにより、母親と同じような方法をしてしまうと、相手を傷つけた罪悪感を思い知らされる以上に傷つき自己否定をする感情を体験させてしまうのだと、思い込んでしまったのかもしれない。
また、逆に、母親が時には冷淡に、痛みを私達に見せず(つまり無償の愛で)「こういうことをしたら痛いでしょう!」と、俯瞰的第3者的に、Aの状態で「叱って」くれた時もあったかもしれない。…いや、それどころか、これは父親であろうか。父親は非常に冷静な人であった。何より、母親の感情の起伏や母親のはちゃめちゃな行動をただただそれこそ超越したかのように受け止めていたのだ。父親も内面では大変な葛藤が渦巻いていたことだろう、元々そのように冷静なわけがない。ということに気付いたのも実はセラピー実習で初めて超一流のセラピストたちに自分達の過去を開示して驚かれてからなのだが、しかし自覚の上で気付いておらずとも、私は幼い頃からそれをずっと目の当たりにしていた。超越的な父の姿を恐らく無意識領域ではとらえていたのだろう。
そうして、それを(もしくは父親と母親のそれらを)モデリングとして私はAの状態に入れてしまったかもしれない。

建設的な”無償の愛”

しかし、どんなに少なくとも今現在、私は自分の認知の歪みにまでは気付き、そして、モデリングしてきた自分のプログラミングに気付き、そして実際問題として、自分を頼り自分に依存し甘えている相手に対して、その相手から痛みを被った時、相手が私を痛めつけたことに気付かせないということは、無償の愛とはいえ"人間が、人間の”無償の愛でまるっと包み込み過ぎてしまっては、その子、その本人の成長を阻害してしまう。本人が人を傷つけてしまったこと、失敗してしまったことに気付けなければ、例えば本人は知らずに毎回毎回落とし穴の方へまっしぐらに走っていくのに落とし穴にはまる前に母親がついつい抱き留めて阻止してしまっていては、子供はなぜいつもここで抱き留められるのだろうと意識に上がらないところで思ってしまい、毎度毎度まっしぐらにそこに走っていくようになってしまう。同時に、「ここへ来たら抱き留めてもらえるんだ(ストロークをもらえる)」と、わざとそこへ走っていくようにもなるかもしれない。こういう時、敢えて一度か二度くらいは、本人に失敗を経験させ、落とし穴に嵌るに任せる時がなければ、その子は落とし穴に嵌らないように、同じ失敗をしないようにと、成長することができないわけだ。

また、例え気付かせるということができたとしても、超越した俯瞰性において自分の痛みは知らせず、「こういうことをしたら痛いのですよ」と諭したとしても、実は同じことだったのだ。ましてや私が相手をしているのは大抵の場合子供ではなく、大人の知性、大人の言語力を持った人たちであるからして、尚更、頭では「ああ、私はこの人を傷つけてしまったのだな」と”頭では”気付く。そしてそれどころか、その人の中に私と似たようなプログラミングが入っていれば(しかもセラピストやらマイノリティ当事者という立場上、それが入っている人を相手にする場合が多いわけである)、私の意識下が一番恐れるところ、「私はこの人を傷つけてしまったんだ、私はやっぱりダメなんだ、私は重罪なのだ!」とただただまっしぐらに自己否定に入ることも多いわけである。そして同時に、まっしぐらの自己否定に入れば自分を犠牲者のポジションに置くことができるので、本人は正しい意味での"罪悪感”も”感謝”も、もうそれをしないようにしようという向上心や軌道修正も、しないで済む、できないままになってしまうのである。
それでいて、私の側はといえば前述してきた通り、本人に過剰な罪悪感に溺れさせることや本人に罪の意識を自覚させることを極度に恐れてしまうあまり、相手に気付かせることを調整してしまうのだから、それは堂々巡りになるわけである。互いに同じゲームを繰り返すわけである。
そして、何とか冷静に「今は痛かった。こういうことをしたら痛いのですよ」と調整しながらも伝えることができたとしても、そして相手がそれを受け止めることができたとしても、結局は相手は「そうか、痛かったんだな。悪いことをしたな」と頭でわかったつもりにはなれても、その裏では「でもこの人、痛がってないな。この人にはやっても大丈夫なんだ。痛いこと私がしたって言う割にはこの人怒ってもないし苦しんでもないし、私に痛いものが返ってこない。心地良いストロークをくれるからまたやろう」となってしまう。

私は、頭ではわかっていたつもりで、どんなに少なくとも私(単体の自我状態)は、上記の2つのどちらかばかりしてきた。
いや、そもそも私はどのような場合であれ自分の感情を表出する必要性など、感じていなかったのだ。感情はあった、感情を自覚してはいたが、そもそも「表出」をする意味はないと思っていた。
…恐らく、この下にも何かが隠れているのだろうか?
…隠れていようがいまいが、現段階では私はこの考え方に関してはこれでいいと、思ってしまっているのだ。いや、今この瞬間それと同時に、「確かに良い方に使う分にはいいが、分析はしておかねば上記の問題と同じことになる」「いや、良いと思っている裏で、良いと思うことによって否認している何かがある」という感覚もあるので、これはやはり下に何かあるのだろう。実際私が感情を表出するようになると、不利になることがたくさんあると感じている。

相手の感情(刺激)を真に受け止めることは、自分の反応(感情)を受け、返すこと

…話を戻そう。
私は今回この「自分の痛みを相手に伝えないで来た(伝えないことをわざわざ確固たる理由で正当化して意識上でも選択してきた)」ことに気付き、同時に第2セラピストに(第2セラピストの判断でやったので、つまりは私の無自覚の部分に於いて)、”私”が精神的打撃を被るという事実を相手に伝え(少なくともこの時点で、客観的に伝えるというところまではできるようになっていたともいえる)、その後、第2セラピストの意識を私が共有してこの内容が伝わった時、私は金属バットを身体に受けたかのような衝撃と痛みを感じた(これが時間差で起こっている、というところが、まだ”解離”によって直面を回避しようという往生際の悪さだろうが)。
その後、私は、この痛みは自分でしっかりと感じて、感情と共に自分で受け止めた方が良い、いや、その相手のためにも受けなければならないと、初めてかもしれないが、判断することができた。

私は、過剰にAを働かせる傾向があることも自覚をしていた。
何事をもAで受け止め、その後別の自我状態から返すことはもちろんあったのだが(寧ろその時にどうしてもCPやNP、時にはACが暴走しそうになる傾向があり、必死で抑えていたくらいに)、しかしそれを眺めているAが常におり、更にはAで反応をしている時にもそれを監視し判断しているAがいる…というような。
しかし、今回「痛みを感じているのに過剰なAで対応する」のは、恐らく歪んだ認知のためにACに汚染されたAだったのかもしれない。
また別の角度からも記録のために加えておくと、いずれにせよ私は確かにFCが低いのだ。実は自覚を否認したいのでそこまで低いとは思っていないのだが、他の人から見ると、異様に低いのかもしれない(と書きながら、やはり「一番低いだろう程度は認めても良いが、そこまででもないだろう…」と思っている自分がいるのだが)。
それほどに、FCが低いことを問題と思っていない、寧ろさも良いことのように考えている自分がいる。これは、更にFCを下げてしまう要因になる。ここの認知の歪みも、恐らくある程度の軌道修正をしていく必要があるのだろう。
ちなみに、私がここ2か月以内にTEGを用いて出したエゴグラムでは、全体のエネルギー量が高い、そして殆ど直線と言って良いほどの平坦型であった。
その2日後にやった直感的(本来の)エゴグラムでは、ACが一番低い平坦型だった(しかし、確かこれには理由があった。ACをわざと自分で出さないようにしているような自覚があった。)
しかし、TEGは認知の歪みもそのまま出るので、私自身がFCを高く見積もった可能性も否めない。この辺りは、客観視してくれる分析仲間が欲しいところでもある。

…この時、私のパートナーとして連絡を取り合っている人間が(元々私のクライアントとして出会い、今でも私と共に心の中の安定に日々取り組み、私は彼女にこそ金属バットを毎日のように食らい続けているのだが)、ここ数日安定をもって私に連絡をしてきてくれていた。
この日も、連絡を取り合った時、彼女は私を心の支えとして安定、安心していて、寧ろ私を多少受け止めるということもした方が、彼女の充実と自己肯定感の向上に繋がりそうだった。
(普段、彼女は自己肯定感向上のために、しかし時として激しい両極を見せながらも基本的に人を受け止めたいという願望が強い。自己承認欲求のために受け止めたがっている時は、よほど注意をしながら受け止めてもらう部分を小出しにする必要がある―受け止めきれないと彼女が僅かにでも感じてしまうと、一瞬で自己否定に翻ってそれこそ金属バットを振り回し始めてしまう―段階ではあるのだが、この時は随分と自分のディスカウントも減り、今・ここに安定し、純粋な愛と感謝で物事を受け止めることができる状態にあった)
そのため、ありがたくも、彼女にぼそぼそと、痛みを感じるべきことがあったのだと話し、少し付き合って欲しいと欲求を伝え、慰め役になってもらった。
彼女も非常に頭の回転が速いため、そして彼女自身が安定の中で私から事情を察しようとする雰囲気と言葉に乗って、少し少し状況を話し、その上で、自己の分析も言語化して聞いてもらう相手になってもらった。

…すると(恐らく私の中で、もうひとつそれにまつわる、後述するプログラミングが解けたか、解けるきっかけを実感したのだろう)、恐らく私の中で、Aに邪魔をされない、恐らく本物の、涙が勝手に溢れてきた。金属バットの打撃は勿論受けたあとなので、パートナーに聞いてもらっている時には恐らく痛みが"残っている"状態であったのだが、「痛かった」という感想が出てきたのだろう。
そして、この気付きを話し終えた後、「今までは仕方がなかったんだ。自覚はしていた、内臓が毎度毎度同じことを言ってきたから。しかしその度に私は内臓と大喧嘩をして、”今はそうするしかないんだ、仕方ないだろう!”と力ずくで言いくるめていた。そうする他なかったんだ」というつぶやきも、私の口から洩れた。

余談:パートナーに対しても

パートナーは、私の話を聞きながら、「私も金属バットであなたを殴りまくってるけど、そんな私が聞き役でいいのかな」などと苦笑しながら言っていた。
私は実際、彼女の言い方を借りてしまうと、確かに彼女からの”金属バット”も毎日のように受けていた。
彼女はそれこそ、今に至っては私が言い回しを極力使い分ければ私に対しては自己肯定感を維持できるようになったが、少し前までは、ほんの僅かな言葉や少しの”間"でも一気に自己否定に入って防衛してしまう反応パターンがあった。そのため、”相手に罪悪感や自己否定観を(私自身が)感じさせる”ということを無自覚にも極度に恐れていた私は、それこそ彼女が大暴れをしているためにひょいっと抱え上げた時に打撃を被っても、私はほとんど彼女に何も伝えず、ただただ受け止める態勢をとった。いや、彼女はあまりにそれが激しい部分も実際あったので、あの時はその方が良かったのかもわからない。
そして、僅かばかり、冷静に事実としてやんわりとそれを伝えたこともあった。しかし、彼女はRCが強い時は完全に乗っ取られてしまっており、罪悪感を感じたり事実を事実として受け取るどころか「へえ、そうやってあなたは私のせいにするのか」と反撃をしてきていた。そこでそうだと言えば彼女はそのまま犠牲者のポジションに入るし、違うと言えば彼女のRCが私を言い負かしたことになり私は”彼女に人を傷つけさせる”ことに成功してしまうし彼女としても表面上勝った気でいながら自分を更に強固に閉ざすことに成功し脚本を強化してしまう。そのため私はAで受けてはその都度違った対処をしていたのだが、実はこのクライアントからのメールが来る日の朝も、同じように彼女のRCが優勢になって暴れたのであった。だから、どの道私は気付くタイミングであったのであろう、私はこの時、大変静かだが「痛かった」と説明をした。紙一重の差なのだが、それで彼女には「私の痛み」が伝わったらしい。それで「あ、痛かったんだ、私が痛いことしちゃったんだ」と彼女も”感情が動いて(恐らくここが必要なのだろう)”、気付いたのだと後で話してくれた。そして、この時は実際いつもより、元のポジションに戻ってくるのも早かった。

私は丁度、つい先日の講座の中で、講師とそのアシスタントが何やら問題を起こしている状況を聞いていた。そこでアシスタントが講師の心を抉るような形になってしまったのだという説明を聞いたのだが、講師が「…こういうことがあったんですけど、私は確かにセラピストとしては受け止めることはできますよ、でもセラピストとしてはもう受け止めたくないと思いましたし、ひとりの人間としては何かすごくもやもやする。」と、その後も率直な感情を述べておられたのを聞いていたのである。
私はこの”雲の上にいるような”講師がこうして一人の人間としての感情を、激しくはないけれども冷静に、しかし感情がしっかりと伝わるように開示しておられたのを聞き、そこで恐らく自分も、「(この先生がこうやっておられるなら自分などは)出しても良いのだろう」と、許可を下ろすことができたのかもしれない。

身体と心の連動

そして、その後。これは恐らくだが、正しい感情が流れると、その感情を司る内臓が動くのであろう。そして、そこに溜まっていたエネルギーが動く。我々の母もひとに理不尽な対応をされ怒りを感じた時、急激に腹が減ると言うが、その感覚が少しわかった。涙が一通り流れた後、急激に腹が減るという感覚を覚えたのだ。そして、生理反応(尿意)が訪れてきた。
この尿意も、実は昨日私がセラピーをしている時にも頻繁に起こっていた。冷房のため身体が冷えて起こっていたのかと勝手に表面的解釈をしていたのだが、深層心理を扱うセラピーは、自分自身にもセラピーになる。しかも深い部分を扱い、更には私は丁度いろいろな抵抗に苛まれて苦しんだ丁度次の日であったのだ。しかもこの尿意は、実際に用を済ませても「まだ流れ切っていない、もっと流したい」という感覚を残すものであった。
更に言えば、私はその次の日の朝(今朝)も、突如としての感情噴出が起こった。そしてその時また空腹を感じたのだが、どうにも今までの空腹感と違う。「地球人はこんなに腹が減るものなのか」と(勿論パートナーへの軽口の意味合いも含めてなのだが)感想が出たほどである。
内臓が、やっと正しい位置に、腰を落ち着かせることができたのだろうか。

…とはいえ、私はまだ、自分がなぜ涙を溢れさせているのか、よくわからなかった。相手本人がいるわけではないから。これは、次にその本人と対峙した時に、私が自分で出さなければならない(別に”涙”である必要はないだろうが)。現実問題で私の次の課題はそこである。

前回の記事を参照していただくとわかりやすいかもしれないが、私はついこの前のセラピーにおいて、クライアント役をやった時、自分の中から2つのパーツが出てくるのを目の当たりにした。
そのうちの1人(人間という誘導であったため。本来解離にパーツ・セラピーは危険であるが、これは私が完全にコントロールできると確信と、講師側の客観的判断が一致したから行われた)は、非常に粗野で無作法な印象のある男で、先生方に聞かれることに対して「いや、しょうがないですね」「しょーがないと思いますよ…え、だってねぇ、しょーがないっしょ?」「いやー…んー…しょーがないとしか言いようがないっすよねえ…(苦笑)」を繰り返していた。完全にこの”人”の口癖であると明らかにわかった。
ちなみに、私はこのパーツが出てきた時、私は今まで他にも100名以上の交代人格を自分の中に見てきたにも拘わらず、「こんなやつも出てくるのか」と思った。その上、この人物にインステートするのは何やら嫌だと感じていた。その上、この人物が少々投げやりに先生方の質問に答えたり「しょーがないっしょ…!」などと言っている時、私はインステートしながらも、「こいつ、先生に何という失礼な態度を…!」とばかりあたふたと思っていたのだった。
しかしながら、もう一人出てきたパーツは女の子で、とても物静かで話しかけられると頭の中が真っ白になってしまう、そしてとても「こうあらねばならない」に縛られている、ほんのわずかに今風な頑なな女の子であったのだが、しかしながら私は、両方に交互にインステートしながら、この「失礼」な男にインステートする方が、断然楽であったし、講師に対してもこの男の方が断然好感を持っていたのだった。
そして、私は頭の中では、実はこの一見礼儀正しそうな女の子の方が頑なでろくに答えも返せずどちらかといえば失礼な態度であり、この男の態度は何ら失礼なところはない、とわかっていた。
それなのにも拘わらず、「こいつ、先生に何と失礼な態度を…」と思って慌ててしまっていた事実。それ自体が、私のマインドブロックであり、認知の歪みなのだろうと、この時気付いたのであった。
また、面白かったのは、「しょーがない、しょーがない」などという口癖どころか、「仕方がない」という言葉すら、今現在表に出てくる自我状態は、私も含め、あまりに言わなすぎるというほどに発さないのであった。
しかし、それと同時に、このセラピーを終えて1日、2日と経って行くにつれ、私自身の口から、「仕方ない」という言葉が出てくるようになったのだった。
最初は、「仕方ない」を連発するこのパーツは、「受身」であるということを象徴しているのかと思った。しかし、どうやら、私は寧ろこの「仕方ない」を抑圧しすぎていたのかもしれない。それを、出せるようになるためにこの極端な口癖となっているパーツとして、表に出すということをしてみせたのではないか。
私にある程度「仕方ない」を受け入れる姿勢が必要だというメッセージだったのかもしれないと、気付かされたのだった。

私は内臓に対してだけ、「今は仕方ないんだ」と言っていた。
内臓に「仕方ない」を押し付け、無理をさせていた。
その押し付けていた「仕方ない」を、私も分担していく必要があるのかもしれない。
押し付けられ続けた内臓が、口癖のように「仕方ない」まみれになって、パーツとして出てきたのかもしれない。

私の核心的脚本のすべてを繋げる気付き

また、私のいつも決まったラケット感情や発動するプログラミング「私は結局受け止め役か」「受け止め役であらねばならない、それでなければ存在する意味はない」「私は私であってはならない」
今回の、「痛みを感じても自分は達観超越して相手に伝えない」という気付きは、明らかにこれらに直結するものだ。
私は最後の5日間で、この問題を含めた核心的問題に向き合おうとしていた。まさにそれのための気付きでもあったと、気付かされた。
ある種、とはいえ決して嫌味などではなく、かのクライアントには感謝である。(そのクライアントも私の返信で改めて自己の深いアンカーに直面させられて苦しかろう。何とか抵抗に完全に呑まれることなく、人の信頼と愛を受けて安心した柔らかい声を出す、かの人らしい本来のスタンスに戻ってくることを、心底から応援するばかりであるが)

更に、恐らく私の達観超越したスタンスは、恐らくは以心伝心で伝わり、人造人間かそれこそ実際に言われてきた宇宙人かのような印象を受けさせ、それがあまりに雲の上かのような存在に感じさせて新規クライアントの獲得を遠ざける(セラピーだけでなくとも、音楽の方でも)。
つまり、我々の最初から一貫している課題、社会適応をできなくさせている。ここから逃げるために、全てのプログラミングが働いてきた。自分を地球上の概念からどんどん遠ざけ、悟ったような状態になって(これ自体はまずい脚本強化のために行いさえしなければ良いのだが)、概念からどんどん自分を引き離すことによって、つまり「私という存在」を表に出していることによって、「私が私である」ことによって、社会適応することができる自分から逃れているのだ。

”私が私である”ことで社会適応できなくしている、とすると一見”私(お前)であってはならない”のプログラムと逆説的ではないか。
いや、しかし、これは逆説的ではない。どちらも同じ方向に人生を引っ張ろうとするプログラミングだ。
しかし、時間の関係で、今回の分析記録はここで締めようと思う。

いずれにしても、今の”私”はこの人生の総合体である。
”私”は”私”として、この社会での人生の歩を進めていく。

その後、追って突如気付きを得たこと


この記事をまとめてしばらく経って、改めて重大な問題に気付いた。
私は、クライアントからの一通のメールを、事務処理を対応する副主任に任せ、彼に返事をさせ、そして彼から情報を共有した時に打撃を受けた、そしてそれだけ時間差で私が感じたということは、”解離”を起こして恐怖を回避したのだろうと自己分析をし、その上で私も痛かったがクライアントも副主任の返信で直面させられることになり、さぞ苦しいだろうと思うと書いたが、これこそ解離に逃げた分析ではなかったか。
”私”は、いつが一番苦しかったか、副主任としてそのメールの内容を確認し鉄バットの打撃を打たれたまさにその瞬間と、そしてまずその中でも必死でAで受け止め、その上で考えに考え抜いて冷静に、しかしクライアントを受け止めながらクライアントが不当に甘えて自分の首を絞める方向へ行くのを阻止するよう、直面させる内容の文面を作成して送っていた時が一番苦しかった。
 私は、思い起こせば大抵の場合、自分が強い感情を感じるべき瞬間、常に副主任に逃げていた。そしてその分析をまさにこの直後にしていたのではなかったか。なんとも卑怯なことに、直面しているふりをして気付かずにまたやっていたことに、今直面したため、ここに追記せずにはいられなかった。
私は一番強い感情を感じた時のことは別人格が感じたものとして、まさに他人が代わりに受けてくれたかのような言い方をしながら、副主任の分を完全に無視、完全にディスカウントしていた。私は、打たれた後の残り香をじんじんと感じていただけだったのだ。まあ、副主任の情報を共有した時に私自身も打撃を感じたから、恐らく”疑似体験”はしたのかもしれないが。
私は、副主任の分もしっかりと自分の中に統合した状態で、感じねばならない。そして、副主任は私に”何も言わなかった”が、私が副主任の痛みを無視した、その痛みも。だから私は、偽物の疑似体験のような感情や感覚ばかり感じていたのだ。
そして、私が、彼の自我状態を逃げ場のようにいつまでも色濃く残しておく、理由のひとつでもあったのではないか。
 それでも、私は、せめて同日に、およそ3時間後であろうか。気付くことができただけ、直面し、真に人生を請け負う準備は、できているということだろうか。

また、私は、今朝、パートナーに対して、呟きをこぼした時に、
「私も、少しずつ、安心しても良いのだろうか」
と、言ったのだった。
これは、どういうことであったろう。


後日、自己セラピーに踏み切ったこと


その夜になっても、私は、”副主任”があの場面で感じたことに、フォーカスすることができなかった。やることが多く、意識が日常や作業に向いていたこともある。
しかし、いずれにしても、「気付きはしたけれどできうる限り逃げたい、私は感じない」の状態に陥っていたかったのだろう。
しかし、その日、何度も何度も地震かのように揺れている感覚に襲われる。
布団に入ってもどうにも普段のように自己統制が利かない。パートナーの何気なく聞いて欲しいだけのつもりで話してくることが、怒涛の滝のように無理やり叩きつけられるように感じる。そして返答することどころか相槌を打つこともできない。そして自分の中から湧き上がってくるプログラム「お前は邪魔だ、ここにいるべきではない、受け止め役で在ることができねばお前はここにいることはできない」と闘っていた。
身体がとにかくおかしかった。そしてとにかく寂しかった。すべてから打ち捨てられたような感覚に浸っていた。心臓が特にさびしがって苦しんでいた。
しかしひとまず、私には彼女に安心感に包まれて心地良く眠りに落ちるよう導かせてもらうことが、タスクでもあった。

しかし、翌朝、本当におかしい。
妙な夢やイメージばかり見るし、起き上がることができない。
とはいえ、じきにコントロールできる範囲までは来たので少しは動いたのだが、パートナーが起きた時、これまた突然身体が鉛のように重苦しく凝り固まったようにずっしりと痛いという。私が普段目覚めて活動を開始する早朝の時刻にも偶然ふと目が覚めたのだが(私の方は起きられなかった)、その時にとてつもなく身体が重くトイレに行くのも一苦労と言う状態になっていたことに気付いたという。
ここからは無意識領域の感覚と無意識言語における駆け引きの話になってくるので、裏で何が起こっていたかやその理由などは割愛するが、これは彼女が意識に上らないレベルで私の異変に気付き、私の感覚を受け取り、私の感じるべきものを彼女が自分の身体に感じてしまっていたものであると判断(解釈)できた。
そのため、それを私自身に返してもらう誘導をし、また、私の抵抗部分、恐怖の部分(私自身は子供のような私がいる、程度にしかあまり感じていなかったが、彼女の身体の反応がそれを感じて教えてくれていたため)に、「お前が自分でちゃんと感じるように」と暗示を入れながら私に流してくれるようにと頼んだ(彼女は本当に子供に接するように「後で痛いの痛いの飛んでいけってなるから、大丈夫だからまずは自分で受け取ってごらん」と暗示を入れてくれた。その時にも、「ああ、私はその意味においては安全基地がなかったのかもしれない」と新たなひとつの気付きがあった。)。
彼女は本当にそれで楽になった。
しかし、私の方はまだ統合しきれていない。
そのため、セラピー(心の手術と縫合)を試みるなら今しかないと思い、自己パーツセラピー(退行療法)に踏み切った。
彼女は、催眠の技法や誘導法は知らないが、催眠の基礎知識や催眠に入った者がどのような状態になるかは知っている。また、私から何度も入れられているので、入る側は慣れており、更に強いことには、私は簡単な解催眠の方法を彼女にいくつか教えており、私自身が過去にも器との接続がうまく行っていない時など、彼女に解催眠技法を使って器と私の精神体との接続をしてもらっていた。そのため、私さえしっかり意識でコントロールしている部分を保っていれば、彼女に解催眠をしてもらうことができる。
何より、その間を見守っていてくれる人がいなければ、深い催眠下に自分で降りて自分でセラピーをして自分で上がってくるには、少々顕在意識の警戒が働きすぎ、フォーカスした深いところまで適切に降りることもできない。
 彼女に、簡単な暗示文を伝え、フォーカスする場面を彼女からも支持してもらって(ゆっくりだが容赦ない刻み間隔で)数の逆唱をしてもらい、その間私が自分で催眠下に降りながら同時に"セラピスト"として暗示を入れ誘導法を入れ、クライアントからのメッセージを受けた時、その場面に入り”副主任”の感じたことを自分のこととしてその場を体験するよう、入っていった。そして(これは流石に難しかったのだが、流石に超一流の強烈なデモセッションを何度も目の当たりにしていただけあった)、その場面に入った自分に自分でカウンセリングを施し、今何を感じているのか、それはどんなものか、それによって何に気付いているのか、カウンセリングをし、感情を自分の中で体験し受け止め、気付きを深めていくセッションを持った。しかし、自分をセラピーする立場と退行している当人の立場、また彼女に(きっと何が起こっているのだろう、と思いながら)見守って待ってくれていることを感じている立場を保つことが難しくなり、ある瞬間、これ以上はやめた方が良い、という感覚にぶち当たり、彼女に再び、「これから今・ここに戻って来るが、今この場面で感じたことは戻った時にもちゃんと自分で持っており、そして今後”副主任”が感じることも自分自身が感じていることとして、受け止めていくことができる」と入れてもらった後、少し多めの数をとって解催眠をしてもらった(その間にも私は自分自身に暗示を入れながら)。
実際は、私自身で自身のカウンセリングをするには限界があり、セラピー内でのクロージングが曖昧であったこともあったか、彼女に指示して入れてもらう暗示による解催眠だけでは統合処理が曖昧で、その後も少し違うやり方で2回ほど解催眠を頼んだのだったが。
(この時には、「(今、あるべき必要なスタンス・自我状態に入るが)自分の中に今あるすべての状態を受け入れ認めた上で律することができる」というような暗示を入れてもらった)

しかし、心臓や身体の揺れ動く感覚もおさまり、セラピーを受けた後の独特の感覚に近い感覚を得、”副主任”の状態(パーツ)を自分の中に取り入れ(あくまで人格統合という意味ではない)、共有することには成功したと思う。
彼女に協力の礼を伝えた時、同時に、”副主任”からも、(彼女に向けて)「ありがとう。あのままでは、私もこれを彼に許し続けていた」というような声が聴こえてきたため、ひとまずの”セラピー”として、”この回の統合作業”も成功の域には達したのだと思う。
 そして、催眠下でのセラピーと言うのは、殊にパーツセラピー(退行療法やインナーチャイルドなども全てパーツセラピーであるので)は、非常に大きな成果があがる。
 私は、いくら自己分析で掘り下げてもカウンセリングで他者に掘り下げられても出なかった、いや、自分でその場面に入って実際感じても信じがたかった、「こんな感情を私は感じたのか!」というような感情がその時にあったことを知ったのだ。
 自分の中にあった(存在した)、ということ自体完全に無視していた、いや、それどころか彼(副主任)本人ですらその時感じている自覚があったかも実は定かでない(彼も非常にAの塊のような人である)。そのようなものが隠れていたのだ、私がいつまでも往生際悪く否認しようと気付かないフリをしていたわけだ。
 隠れていたのは、「怒り」であった。(このクライアントとは、ある程度の長い付き合いがあり、個人的にも感情の行き来がある間柄だった。これは、個人的な心と心のやり取りを裏切ろうと試みたことへ対する個人的な怒りと悲しみであった)
痛い、という感覚に伴っていた感情は、確かに「やるせない」「悲しみ(虚無感や脱力感に近い)」「辛い、もやもやする」「無力感」というようなものだった。
後から考えてみれば、感じたのが痛みだけで涙が一緒に流れてきた(私は昨日実際、「どうして涙が流れたのかわからない」と自分で記したではないか)だけで、感情が伴っていないはずはない。そして、それほど否認の上に否認を上塗りするようにして自分を防衛していたことに、怒りが隠れていないはずはない。客観的にこのケースを考えれば、私は恐らく”副主任”の感情に隠れて、それを感じないようにすることでうまく難を逃れていた、その後で副主任の情報を共有して痛みを感じた。その後、痛みを感じていた自分は残り香を感じていただけで、副主任の感情と感覚を完全に無視していたことに気付いた。このケースを見た時、客観的な私であれば、この2人が同じ痛みだけを味わっていたはずがない、副主任の方には別に感じていたものがあったはずだ、もしくは「もやもやし脱力する」下に隠れているのは怒りと悲しみであろうと、推測できるだろう。恐らく、副主任も”怒り”に関しては、何やらモヤモヤして哀しいようなラケットで受けて隠していたのだろう。

また、この"怒り"に関しては、そうか、感じていたのかと知れば、感じないようにしてきた理由はわかった。
私は怒りを感じるわけにいかなかった。
というより、これは自己セラピーを何が起こっているのかもわからず見守ってくれていた彼女に、あとで催眠下で何が起こっていたかを簡単に伝えていた時にもついふと心から洩れた言葉であったのだが、
「怒りをいちいち感じていてはやっていられなかった」
特にこれは子供時代よりももっと近年に入ってからの人間関係である。「受け止め役」に”怒り”は必要なかった。
実際私は怒りなど感じる意義すらないと思っていた。感じたところで無駄なもの、邪魔なものであるし、他の人に対しても「良くそんな疲れる感情でわざわざ振り回される気になるものだ」「ご苦労なことだ」とさえ思っていた。
私自身、邪魔なもの、疲れるもの、無駄なものと思っているうちに、いつの間にか感じること自体億劫になり、やめてしまったのだろう。
”怒り”を感じないことが美徳だとは思っていないつもりだが、催眠下で怒りの感情を自覚した時、自分にもこんな感情があったのかと驚きと、何やら新鮮な気分であった。(それに対して負の感情は抱いていないので、実際に怒りを感じないことを良しと思っているわけではないことも恐らく確かだろう)

また、これによって、私が「やはり自分は独り身でいる方がいい」「ひとりでいたい」としばしば感じる理由もわかったような気がした。
そして、催眠下のセラピー(自己カウンセリング)において、「人は言うことが一貫せずその場の感情ですぐ翻る、裏切る。(だから全て演出で対応していればいい/これは今言語化し文字で表現しようとしている時に出てきた後からの表現である)」というような言葉も出た。
今、文字に記録しておこうと思い出そうとしても、今朝のことでもあり、また催眠下とはいえ覚醒部分とバランスをとったり暗示文を覚えきれず伝えた通りに暗示を入れられない・更には私を受け止め協力しようとしているという時点で状態に波が起こる彼女を調整しながらのことであったことなどもあり、またやはり私自身の抵抗もまだ大きいのだろう、催眠下での気付きを今現在良く思い出すことができないところがある。
無論、他者にもう一度この場面に入れてもらい再び鋭く突き詰め向かい合わせてもらい、統合させクロージングしてもらえれば非常に大きな結果が出るのではあろうが、今ひとまずは、統合に成功している自分を律した状態を保ちながら、配分コントロールをしつつも、全ての状態を認め受け容れながら、表出すべきものを表出していくことを心がけるだけである。

また、この後も彼女と日常的な他愛のない話をしている時、まだ催眠状態と浮遊していたのだろうか、私に昔からよくある、私の意識状態から相手の意識状態の言葉を聞きその裏を推測してしまう状態・私の無意識状態から相手の意識状態の言葉を聞いている状態・私の無意識状態から相手の無意識状態の言葉を直に聞いて受けている状態、私(恐らく無意識状態)が相手の意識下の声を聞いている状態が、同時に起こり、つまり左耳で日本語・右耳で英語のドラマを聞いているかのような(この場合は4か国語になるのだが)状態に陥り、どの状態からどの声に返して良いかがわからない、つまり自分を律することのできない状態にしばらく陥っていた。
通常、人は自分の主観で(私もそうなのだが)相手の言葉をとらえ、主観により相手の言葉の裏を読み、解釈し、思いこんだり忖度したり誤解したりする。
私の場合、上記4種類が同時に聞こえてくるため、更にはそれを客観的に判断しようとするものと相手の「身体(内臓)」の声が聴こえてくる部分を含めると6つ聴こえてくるため、例えば主観により相手の意識上の言葉と考えを受けたものと、無意識で相手の無意識の声を聞いたものが真逆のことを言っている場合も少なくない。幼い頃から、私は人間と対峙する時にこの現象がずっと起こっていたのである。

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