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。・。・・。受け取ること。・。・。


 ☆  ☆  ☆

 
  受け取ることについて・・・


  受け取ることは、とても大切です。


  受け取ることなく、アウトプットをし続けると、
  それはただの、ざわめきのように
  響きます。 


  息を吸わずに、吐き続けるのと同じです。


  自分の小さな器の中にあるものを、
  ただ、ひたすら吐き続けるのと、同じです。


  ですから、やがて、息が切れるのです。


  そして、息が苦しくなるのです。


  そうすると、吐き続けることが苦しくなって、
  こんどは、ひたすら、
  吸い続けようとするのです。


  あれも、これも、あれも、これも・・・


  自分の枯渇してしまった器を、
  いっぱいに満たすために、

  それを埋めてくれるものを探し、
  奪うように、自分の中に取り入れるのです。


  そうして、自分の小さな器が
  水が注がれたコップのように満たされたら、


  こんどは、また、吐き続けるのです。


  これは、本当の呼吸ではありません。


  吸って、受け取り、
  吐いて、手放し、

  受け取り、与える。

  それが、自然な呼吸です。
  宇宙のシステムです。


  自分の小さな器からは、
  与えることはできないのです。


  それは、与えているのではなく、
  排出しているのです。


  それは、分かち合ってるのではなく、
  放出しているのです。


  本当に、与えるとき、

  それは、「受け取ること」から、はじまります。


  受け取り、自分の小さな器ではなく、
  大きな器と繋がったとき、


  まず、自分がとても満ち足りて、
  しあわせになるのです。


  自分の小さな器がまるごと、
  大きな器に包まれ、幸福感に満たされるのです。


  「自分」は、これほど大きな愛の中にいたのだと気づき、
  感謝の心で、満たされるのです。


  それが、「受け取る」ということです。


  受け取ることは、取り込むこととはちがいます。

  受け取ることは、手に入れることとは
  大いに違うのです。


  ほんとうに、受け取るとき、
  そこには、感謝があふれるのです。


  それは、自然にあふれるのです。


  でも、取り込んだときには、それは起こりません。

  ただ、枯渇した器が、
  枯れずにすんだだけなのです。


  この感覚は、大いに違うのです。


  わたしを、感じてみてください。


  (大きな羽をもつ、蝶のようにみえました)


  わたしたちは、受け取ることと与えることが
  瞬時に、起こります。


  それは、器があって、受け取り、
  器から与えるというプロセスが、ないからです。


  わたしは、受け取りながら、与えます。


  受け取りながら与える、その歓びの中に
  いるのです。


  それはまるで、
  振動しながら回る、コマのように
  渦を巻いているのです。


  わたしたちには、
  受け取るための準備も、
  与えるための準備も、必要がないのです。


  受け取ったと共に、与えているのです。

  わたしのなかに、とどめることも、
  わたしのなかに、しまう必要もないのです。


  ですから、いつも、
  清流のように、それは濁らないまま、
  クリアなまま、流れ出してゆくのです。


  わたしたちは、「受け取ること」が
  とても上手なのです。


  笑


  なぜなら、迷いも、ためらいもないからです。

  受け取ることに、恐れも不安も、
  もちろん、遠慮もないからです。


  受け取ることに、何の意味付けももたないからです。


  それは、与えることも同じなのです。

  なにも惜しまず、
  なにも出し惜しみしません。


  わたしと共に、受け取り、与えることを、
  ダンスをするかのように、
  楽しんでいるのです。


  そう。それは、まるで、歌うように・・・

  そして、踊るように・・・。

  楽しんでいるのです。


  あなたがたは、「受け取ること」に、
  すこし、構えすぎてるように思います。


  「もっと、受け取らなきゃ。
   そして、もっと与えなきゃ。」


  「わたしは、受け取れない。
   だから、与えられない。」


  笑


  受け取ることは、たいせつです。
  それは、先ほども言いました。


  けれども、深刻なことではないのです。


  ワクワクと、それが楽しくないのなら、
  受け取ることは、苦痛です。


  苦痛からは、感謝は生まれません。


  無邪気な子供のように、
  すなおな心がなければ、
  
  すなおに手を差し出し、
  「ありがとう」といって、

  受け取ることは、できないのです。


  受け取ることに、必要なのは、
  遊び心、好奇心、すなおな心です。


  そんなに構えるものではありませんん。

  たのしんでください。


  たのしめば、たのしむほど、
  あなたのエネルギーもスムーズに
  回転をあげてゆきます。


  たのしさに、心が躍るように・・・
  
  あなたのエネルギーも、踊りはじめます。


  まるで、蝶のように・・・。・・。


  楽しいワークには、

  自然に、エネルギーが高まってゆくのです。


  そして、軽やかになってゆくのです。


  まるで、蝶のように。・。・。・


  そうして、やがて、
  受け取ること、与えることの間に
  境界線がなくなります。


  わたしたちのように、
  受け取って、与えることが

  瞬時に、起こり始めるのです。


  それは、幸せな風の中で歌うように・・・
  とても、自然に起こります。


  わたしたちは、蝶のように、  
  その感覚を、羽をふるわせて
  たのしんでいます。


  そして、だれが受け取り、
  だれに与えるか・・・などは、

  なんの意味ももたず、

  ただ、大きな愛の中で、
  歌だけが響くようになるのです。


  愛の歌は、だれが歌い出してもいいのです。

  だれかが、歌い、
  だれかが、きくのではなく、

  ただ、そこに、愛の歌が響き渡り、
  それと共に、あるだけなのです。


  わたしたちの受け取ること、与えること。

  それは、歌のような
  自然な響き合いです。


  歌のように、ただ、響き合うだけです。

  2009年06月24日


 ☆  ☆  ☆

   ほんとだね。

   構えすぎずに、遊び心をもって

   受けとり、与えることが

   呼吸のように、自然であることを思い出すように・・・

   2021.2.13.