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序章:もう一人のジャニーさん

少年隊についての連載の続きになります。

少し話がそれますが、筆者はライフワークとして、哲学者のルドルフ・シュタイナーという人を研究していまして、最近そのシュタイナーの思想についての講義を受けた時に気になる言葉を聞きました。その講義では人間の思考と感情と意志がテーマになっています。

それによれば、いつもは隠されているけど腕や手指や足や足指の中に思考が生きていて、その思考が光であるのを魂の目で見る時、いつもは肢体の中で眠っている意志が変化するという。変化すると、思考が意志の魔術師となって現れるという。

そして「ダンス」というものは、この思考と意志が結びついて一体となり輝いている状態だと言っていたんですね。つまり、思考が意志の魔術師となって生きて現れている状態を指します。だから美しいと感じる。

どうかここでポカーンとしてしまわないでください。

これは人間の精神的な部分の表現ですから。

さて、前回では少年隊のプロデューサーであるジャニー喜多川氏について触れましたが、彼の原点は日本にもアメリカのショービジネスに負けないような、オリジナルのミュージカルを作ることだったのではないかと述べました。

その壮大な夢に賛同した方々、演者をはじめ裏方までたくさんの人たちが関わっていたと思うんですけど、その中の一人に劇作家・演出家の森泉博行という方がおられました。この方については私も存じ上げておりませんでしたので、調べようとしたのですが資料が殆どなくて詳しくはわからず仕舞いですが、簡単に彼の経歴をご紹介します。

★森泉博行
劇作家・演出家。名古屋芸術大学特任教授
ストレートプレイの劇作・演出をこなす一方、シェイクスピア作品のミュージカル化、東宝や松竹のミュージカルなど数多くの舞台の作・演出を担当。また、ジャニーズミュージカルの脚本、演出も担当した。
主な舞台作品は、「夏の夜の夢」(東京グローブ座)「賢者の贈り物」(本多劇場)、「MASK」「ANOTHER」「SHOCK」「Dream Boy」(いずれもジャニーズ・ミュージカル)など。

ここにはごく僅かのデータしかありませんが、少年隊の「PLAYZONE」初演から幾つかの作品に関わっている上、「滝沢歌舞伎」でも脚本を手がけておられたみたいです。(他にもご存知の方がおられたら教えてください)

その森泉博行氏が、少し前に偶然、あるアーティストと対談しているのを映像で見たんです。

その内容は、「エンターテインメント」についてなのですが、最も本質的なところに迫る切り口で語っておられるものすごく濃い〜お話でね。

お話の中に名前こそは出していなかったけれど、劇作家だった彼がミュージカルを手掛けるきっかけとなったのはどうやらジャニー喜多川氏だったようなのですね。

86年に行われた「PLAYZONE 」初演の「MISTERY」という作品に関わった時にアメリカから喜多川氏が呼んでいたマイケル・ジャクソンの「スリラー」の振付師のマイケル・ピータースという方と一緒に作品を手掛ける中で、それまで関係者の殆ど誰もアメリカのショービジネスに触れた人はいなかったから話が噛み合わず、とても悪戦苦闘されたようで。

その後、これではいけないと思われてアメリカに渡ってショービジネスについて勉強されたのですが、当時のアメリカの本場を見た感想としては、どう頑張っても追いつかない、無理だと思った、ということでした。それではどうしたらよいか、ということを考えて話し合ってそこで二つの意見に大きく分かれたそうなんです。

・アメリカでもっとより深くショービジネスを勉強する

・日本の持ち味を生かす方法を考える

もうお分かりでしょう。彼らは後者を取ったのですね。
私、この方の対談の中での一つ一つの言葉にとても共感いたしましてね、
とても大好きになってしまって。
大変謙虚な方で、まるで少年のような笑顔の輝きが印象的でした。

森泉氏が対談で語っておられたのは

「エンターテインメントというのは、演者、作り手の心の中を旅することであり、その心が豊かに充実していればアメリカのショービジネスに対抗出来ると思った。」と仰っておられてめちゃくちゃ感動したんですよね。

ジャニー喜多川氏の陰に隠れてこんな素晴らしいお方がおられたことに嬉しさを感じました。
しかし、その後は良い作品を作ることと、客席を満員にすることを求める制作側との間でずっと葛藤しなければならなかったという矛盾に満ちた時間が共にあったといいます。

それこそ表舞台には出ていないが、彼も日本のエンターテインメントの為に貢献し、闘って来られた方だったのだなと感じました。

ジャニー喜多川氏と森泉氏は同じ原点を持つお二人であるけれど、対照的なお二人でもあるなと思ったんですね。根っこの部分はきっと同じでも、ジャニーズはそこからもっと大衆性と商業的な部分を追求していったように感じます。

森泉氏はその後ずっとジャニーズの舞台ばかり手掛けておられたわけではなくて様々な作品に携わっておられたようですし、名古屋芸大でアーティストの育成にも力を注がれていました。

しかし森泉氏はその対談があって間もなく逝去しています。

私、今回いろいろと調べてゆく中で、実はすごく重大なことに気がついたのですが、ジャニー喜多川氏と森泉氏のお二人は、奇しくも同じ日に亡くなられていたのですね。

それは偶然といえば偶然だとしても、
表面には見えないけれど、そこにはどこか因縁めいたものを感じました。
とても深くご縁があったお二人だったのかなと思います。

日本のショービジネスの基盤を作り牽引してきたお二人ですしね。

エンタメの裏側には様々なドラマが潜んでいるんだなと、静かに感動していました。

12月にリリース予定の少年隊35周年記念DVD「PLAYZONE」を観るのが本当に楽しみです。これまでの少年隊ミュージカルの歴史全てが詰まっています。

(まだまだ続きます。)


「少年隊」とは
田原俊彦や近藤真彦のバックダンサーなど、数年間の下積み期間を経て
1985年12月12日『仮面舞踏会』でレコードデビュー。
デビュー時のキャッチフレーズは「日本発、世界行」
デビュー当時のレコードレーベルはワーナー・パイオニア(現ワーナー・ミュージック・ジャパン)全米デビューも予定されていた。

1986年に少年隊主演ミュージカル「PLAYZONE」開幕。
その後2008年までの23年間に渡って、毎年オリジナルのミュージカルを上演していた。
この間少年隊としての音楽活動だけでなく、それぞれ個人での舞台、映画、テレビ番組、ラジオ番組出演など多岐に渡って活動している。
2008年のPLAYZONE公演を最後に、現在までグループとしての活動はほとんど行われていなかったが
2020年9月20日、メンバーである錦織一清と植草克秀が同年を以てジャニーズ事務所を退所することを発表した。
尚、東山紀之は今後も事務所に残って活動をする。グループとしての活動は事実上活動休止ではあるが、同事務所所属のグループとしての「少年隊」という名前は存続する。
2020年12月12日、デビュー35周年の記念として、全シングルベストアルバム 『「少年隊」35th Anniversary BEST』をリリース予定。
完全受注生産限定版では全シングルを含め過去にリリースされた楽曲の新録音版、未CD化の曲も収録。(現在、受注生産限定盤の申し込みは終了しています。)












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