介護の場における「30歳の独身男性」としての存在価値について

21歳に大学を卒業してから、約10年間。
ずっと介護の仕事をしてきました。
生活相談員、支援員、デイサービスの職員。
そして現在、有料老人ホームの介護士をしています。
日々目まぐるしく動く業務の中で、ふとこう考える事があります。

「自分が、ここで働き続ける意味はあるのだろうか」
「自分がやらなくても、誰かがこの仕事をしてくれる。それなら、果たして現在の自分にどれほどの存在価値があるだろうか」

実際、お金の動きや、経営の部分。
お給金との兼ね合いとか、そういう部分を見ていて思うのです。
現在の介護業界って、これ以上の発展は無いんじゃないかと。
一カ月のお給金は25万。
良い方だと思います。
でも、これから急激に上がるのか、良くなっていくのかと聞かれると、
そんなには良くならないんじゃないかなと思うのが本音です。
変わらないお給金、増えないお休み、日々の労働、夜勤で擦り減る魂。
果たして、そこに自分がいる意味はあるのかどうか、と思います。

とはいえ、やはり転職すること、他の世界に飛び込むことは、
年々怖くなってきている、というのも正直な所です。
今からでも遅くないんじゃないか、いやでも失敗したら、と思っている方はきっと多いはずです。

そんな時に、今の職場でコロナが流行りました。
過半数が陽性反応が出て、日々のルーティンが大きく変わり、
正直、亡くなられる方もちらほらいらっしゃいました。
こういった、「看取り」というものは、高齢者施設や医療施設ではほぼ必ず、ついて回ってしまうものです。

この「看取り」が私を大きく変えた事がありました。
誰かの最後の瞬間に立ち会うこと。
確かに悲しい事からもしれませんが、これって凄く貴重な事だと思うんです。
その中でも、私を強く動かした事。
それは「死化粧」でした。
初めて、心を動かされたのは、去年の4月。
叔母が急逝した時の事でした。
その時は納棺士の方が化粧を施してくれたのですが、
正直、納得できないものでした。
肌色に馴染まないファンデーション、明るすぎる赤色の口紅。
亡くなられた後、どうしても肌の色が変わってしまう事はあります。
それでも、その人に似合っている色を探すのが、プロとしての責任ではないのでしょうか。
正直、一番憤りを感じた部分ではありました。
勿論そのままよりも塗った方が断然マシに見えるでしょう。
それでも、その姿は本当に「その人らしい」のでしょうか。
もっと、色々あったのではないでしょうか。
半年以上経った今でも、そう思っています。

少しズレてしまいました。
それがきっかけで、今まで「可愛いメイク」という部分に加え、
「その人らしいお顔とは何か」
似合う色は、眉の形は、もし認知症を患わなければ、どんなお化粧をされていたのか。看取りをした際、そう考えるようになりました。

「化粧」と「介護」。
それを重ね合わせていくこと、これが私の課題であって、
本当にやりたいこと。
正直、介護なんて誰にでも出来ることだと思います。
勿論人によっては、清潔感だったり、どうしても無理という方はいると思います。
けれど、それを除けば、引く手数多な世界。
そんな世界の中でそれぞれの個性を見つける事ってとても難しいことだと思っています。
自分の好きな事って何か、介護をしている時に何が楽しいと思えるのか。
そこに自分の存在価値の種が眠っていると思うのです。
これってきっと介護だけじゃなくて、他の仕事にも言えることなのではないでしょうか。

ただ過ぎていく日々。
勿体ないです。
どうせなら、自分の楽しいように、夢中に日々を生きてたいと、常々思っているのです。


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