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自主制作映画監督ドキュメント4


「女性の痛み」

今回の、自主制作映画のテーマは、
「母と娘が喪失の傷を癒す」というものなのですが、
女性の受難というのは、永遠のテーマですね。

思うに、男女の間には「痛みの差」があります。
女性は、痛みに耐えなければいけない状況が多すぎる。
男性は、それをあまりにも軽くみている。

よく聞く研究結果で「男性は、女性の出産と同じ痛みを経験したら耐えられず死ぬだろう」というのがありますが、そういうことです。多分、男性が女性と同じように毎月生理を経験したら、ノイローゼーになるでしょう。

そんな、女性の受難を、もっとよく理解出来るようにしたいというのは、
なんとなくいつも考えています。だって、バランスが悪すぎやしませんか。

女性ばかりが、大変過ぎますよね。

今回の映画のお話は、主人公以下女性陣は、過去、喪失を味わったり、現在、辛い目にあっています。(こんなストーリーを考えてしまって、大変申し訳ない)

受難。でも、淡々と「そんなのふつう」とか言われて、スルーされていく環境…。

理不尽とも思える世界に対して、どう距離をとっていくか、という難題があります。世間的には、よく「みんな大変なのは一緒だよ。なにかしら辛いことを乗り超えているんだから」とかなんとか言いますよね。

みんなが、自分と同じ経験をしている訳じゃないじゃない!
同じような苦しみを経験しているなら、もっと理解してよ!

と言いたくなるところです。

個人的には、「みんな辛いんだから」っていう言い方、全然いいと思わない。(「男だから、頑張ろう」も一緒かも)自分の痛みの大変さが、「みんなと一緒」であるなら、この世界はもっと優しくなってもいいのに。もっとねぎらってくれてもいいのに。と思います。

世間の人は、みんな心を鍛えているから、へこたれないで、毎日「頑張ろう」って言えるんでしょうか。本当に、そう言いたいのか、とても疑問なのです。


負った傷を癒すということ

偉そうですいませんが、女性であるがゆえに、割りを食ってしまうことが多いのを認めたり、自分が痛みを負っていることを認めることは、とても大変なのではないでしょうか。

いちばん、キツイのは「受け入れる」ことだと、オレの年齢でも感じます。自分で自分のことは、わかってるようで、最もわからないものです。自分って、こうだったのか、ここ痛かったのか!って気付くのって、納得することもあれば、怖い事でもあります。だから、認めるっていうのは、きついことなんですよね。


あらすじでは「傷を癒す」と明言しているものの、本当は、傷を癒す物語なんて、おこがましく感じたりもします。

傷というものは、「象徴」で、その都度、当事者が乗り越えるべきものが現れているように感じるからです。個人の悩みを、その人に代わって「癒す」なんて、全然想像つきませんし、そんなことが出来るなんて信じられないのが、オレの実感です。だからこそ物語は、非常に現実離れしたことに救われたりするのですが、そこは、ちょっとまだ内緒(どうか、完成した映画を観てほしいです)。

「痛みを癒す」というのは、「越えるべきことを越える」と置き換えることが出来るのではないかと考えています。それは、身体を酷使する試練の意味ではなくて、発想の転換とか、視点を変えるとか、思考の飛躍といった、ちょっとしたことです。なかなかその事に気付くのは時間がかかったりもするんですけど。

女性の人生の、耐えがたい痛みの数々は、つらいようだけど、痛みを認めて、それを前向きに利用することで、乗り切れるんじゃないかと思います。

考え方ひとつで、世界は変わりますから、なんでも明るく捉えて、どっしりと構えていた肝っ玉母さんというのは、先人の知恵というか、1つの乗り越え方なんじゃないかと思います。その考え方で、自らを癒し、前に進んだのでしょう。

痛みと「共存しよう」と思った途端、症状が緩和されることもありますし、「戦う」と決めることで、辛くなったりもします。明るく向き合うか、暗くヘビーに受け止めるかで、結果は全然変わっていきそうですよね。

だから、今、作っている映画は、

正確には「癒しを与える」映画ではなくて「こういう視点もありなんじゃない?」という、考え方をずらす感じの映画です。痛みと仲良く付き合う感じ。

題材が「痛み」から始まっても、最終的には、観て楽しい映画を作りたいなと、いつも思っていますので、引き続きがんばりまーす。




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