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布団の力

布団には強力な引力が生じている。そんな驚くべき「布団理論」が発表されたのは3年前のことだった。夜に布団へ飛び込むのは簡単なのに、朝起きるのがなぜあんなに辛いのか。人類が長らく疑問に思っていたこの謎は、1人の天才科学者によって解決されたのだ。今では擬似重力を生じさせるために宇宙ステーションに布団が持ち込まれており、これにより宇宙飛行士の健康は大幅に改善されたらしい。
同じ布団でも発生する引力が異なる。最新の「布団理論」を用いて開発された「引力が弱い布団」は起き上がるのが楽だと評判になり、睡眠時間を気にする経営者に爆発的に売れた。人類は睡眠を「無駄な時間」とみなすようになってきた。

「みなさん、そんなに睡眠時間を減らして何をしたいんですかね」
引力の弱い布団が並んだショーケースを布で拭きながら布団店の店員はそう呟いた。自分の給料が支払われるのはこの布団のおかげだが、自分が忙しいのもこの布団のせいである。一般人にはとても手の届かない値段の布団に、どこか妬みのような感情も抱いていた。
「まあ、睡眠は無駄な時間だからな」
「でも先輩、睡眠は無駄じゃありません。ヒトにとっては必要な時間ですよ」
先輩と呼ばれた男は抱えていた布団を運びながらも答えた。
「確かに生物学的には必要だが、社会的には無駄だ。何かの価値を生み出すこともなく、むしろいびきや歯ぎしりで騒音を生み出す。成長や記憶の定着には必要な時間かもしれないが、俺たちのような年齢になれば成長も止まるし記憶力も落ちる。寝なくて済むなら寝ない方がいい。」
「自分もセールストークで話すんでわかるんですけどねえ」
確かに納得できるのだが、それでも素直に頷くには抵抗があり理解を示すだけに留めておいた。自分が求めている答えではない。睡眠が無駄だからといって、起きている時間が有意義とは限らない。

ショーケースを拭く作業をしながら先輩と話していたら、杖をついた初老の男が来店した。杖をついているが姿勢は良く、歩幅は大きくないが堂々と歩いている。店員は手を止め、拭いていた布をカウンターの下に置き男へ会釈をした。先輩も会釈をするが、運んでいた布団を持つと倉庫の方へ行ってしまった。どうやらここは自分に任せるらしい。
「いらっしゃいませ、どのような布団がお好みでしょうか」
男は予め決めていたのか、店内を見渡しながらもすぐに答えた。
「引力が強い布団を探しているんだが」
「引力が強い布団、ですか。弱い布団ではなく」
予想外の答えに思わず聞き返してしまった。引力が強い布団はあるにはあるが、朝はもう全く起きれない。ペットボトルを布団の近くに置いておくと、勝手に転がって布団に吸い寄せられてしまうほどの引力があった。
「そう、引力が強い布団。ここなら品揃えも豊富かと思ったのだが」
「あるにはあるのですが…」
「あるのか、それは良かった!」
男は目を細めて笑った。随分長い間探していたのか、どこか安堵の表情を浮かべているようにも見える。その反応から冷やかしの客ではないのだろう。引力が強い布団へと案内し、横になることを勧めた。

引力の強い布団は店の入り口から最も遠い場所に陳列されており、ショーケースにも入っていない。男は杖を店員に預けて布団に横になると、満足げに頷いた。
「いい、これはいい。求めていた引力だ。これならぐっすり睡眠を楽しめる」
「失礼ですが、睡眠を楽しむとはどういうことでしょうか」
あまり聴き慣れない言葉に、店員は思わず尋ねてしまった。単純に顧客情報を収集する目的もあったが、それよりも自身の興味の方が勝っていた。男は引力に逆らいながら苦しそうに起き上がると、店員から杖を受け取り、さらに苦しそうに立ち上がって答えた。
「私は眠ることが本当に好きでねえ。仕事も引退したから余生は思いっきり寝ようと思ったんだよ。この布団の力があれば、それは幸せな睡眠になるだろう」
男は店員に支えられながら布団から離れた。
「君は遅く起きた休日の朝に罪悪感を覚えるタイプかね」
少し悩みながらも、はいと答えた。予定の入っていない休日だとしても、起床時間が遅くなるだけで一日が短く感じる。それはなんだかもったいないが、だからといって起きている時間は何もしていない。さっきの先輩との会話が頭をよぎった。男は続ける。
「それはもったいない。寝室から時計を隠したまえ。そしてカーテンを開けて寝るのだ。目覚めたければ日光で目覚めればいいし、まだ体が疲れているなら横になっていればいい」
「しかし、なんだかもったいなくありませんでしょうか」
「そんなことはない。君は趣味に費やす時間や食事の時間はもったいないと感じるかな。そんなことはないだろう。楽しい時間、美味しいと感じる時間は何も生み出さないかもしれないが、その人にとっては必要な時間だ。睡眠もそれと同じだよ」
男はその後も、睡眠中の夢を振り返る楽しさや、柔らかい布団に包まれる安心感、朝起きたときの小鳥のさえずりを聞くことなど、睡眠の楽しさを力説した。親にその日のことを伝える子供のように楽しそうな様子で。そのエネルギーは睡眠から来るのだろうか。
「最近の人はとにかく忙しい。睡眠を目の敵にしているが、それを言うなら悪いのは時間だ。一日が48時間あれば、誰も睡眠を悪く思わないだろう。48時間あれば、12時間寝てもまだ36時間ある!」
時間が悪いと聞いて腑に落ちた。そうか、睡眠が無駄なのではない。この世の中は起きている間にやることが多すぎるのだ。だから睡眠時間を削るしかなくなり、無駄な時間だと判断する。先輩から聞きたかった答えを得た気がした。

「君が睡眠を好きかはわからない」
初老の男は少し落ち着きを取り戻したのか、声のトーンを落として付け加えた。
「だが、一度楽しんでみたらいい。睡眠が楽しいなら、眠れない夜も、明日の朝を迎えることも、充実した瞬間になるはずだ」
男は杖を手放すと、その杖が先ほどの布団に吸い寄せられていく様を楽しそうに眺めた。

画像引用先 https://unsplash.com

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