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初めての針仕事

 大変なことになった。

この日、私は人生で初めてのピンチを迎えていた。時計の針の音が響く静かな居間のテーブルの前で、先の見えない苦痛と闘っていた。

この先どうなるの? どうしたらこのピンチから逃れる事ができるの?

 と心の中で自問自答しながら、その不安を言葉にする術を知らなかった。

私は、自分が何をしているのかさっぱり理解できてないのだ。

隣では、ゆみちゃんのお母さんが黙々と作業をしている。ことの発端は……

この日、近所に住む優秀で美しくて優しい年の離れたゆみちゃんに遊んでもらいたくて、ゆみちゃんのお母さんが営む駄菓子屋さんのおもてを素通りして、脇にある玄関の前で大きな声で叫んだ。


「ゆーみちゃーん!あーそーぼっ!」
期待していた優しいゆみちゃんの顔は現れず、ゆみちゃんのお母さんが玄関のドアを開けて、
「ゆみちゃんは留守でいないのよ」
と告げた。がっかりして家に帰ろうとすると、私の背中におばちゃんが言った。
「良かったら、私と遊ばない?そうよ! 遊びましょうよ!」
あまりの予想外のセリフに私はどんな反応をしたのか覚えていない。大人と「遊ぶ」なんて考えられなかったから。私はとても人見知りをする子供だったし、大人の前でどんな言葉を選ぶべきか正解が分からなくなると、いつも無口になってごまかした。だからおばちゃんと二人で「遊ぶ」なんてとても抵抗があったはず。それでも家に入ったのは、もしかしたらとても楽しい遊びが待っているのかもという誘惑に負けたからだ。
小学校に上がるか上がらないかの時の事だ。
居間に足を踏み入れると、テーブルいっぱいに花柄の紫の布が広げてあった。その様子を見て、不安が襲う。この状況でどんな遊びをするの? ままごとも着せ替え人形も無さそうだ。期待していた遊びは無い。やっぱりゆみちゃんのお母さんと遊ぶなんて無理がある。
あー、私どうして家に入っちゃったんだろう。心の声が叫ぶ。
そんな私の様子など構わず、おばちゃんは広げた布から裁断バサミを使って小さな四角い布をカットした。
「針は使ったことある?」
と私に聞いた。私は大きく横に首を振った。
「針を使ったら、お母さんに怒られるかしら?」
とまた聞いた。私は、それが怒られる事なのかどうか理解できず、首を傾げた。少し沈黙があって、おばちゃんは決心したように針に糸を通すと、糸の端に玉を作って、布を半分に折って、端から針を二~三目縫って見せた。
「どう? できる?」
できそうに無い。何をしたのかも分からない。でも、ここで「できない」と言葉にする勇気もない。わけもわからず、針を受け取ってやってみる。
「あら、そうじゃないのよ」
 私が刺した針をほどいた。えー!せっかく刺したのに、ほどくの? 心で叫ぶ。
「違うのよ。こうやるのよ。」
と、もう一度やって見せてくれる。しかし、私には到底無理だ。何が始まったのか謎。ここに母がいれば、できないよー。と甘えることもできるのに。あー、私、なんで今日、ゆみちゃんの家に来ちゃったのかしら。
おばちゃんは、涼しげな花柄の布でお洋服を縫いながら、時々私が縫ったのをチェックしてはほどいた。全然進まない。その頃、私はまだ左手と右手の区別がつかずぎっちょだった。真っ直ぐ縫うことができない。何度やってもやり直し。おばちゃんはなかなか妥協してくれない。私は、もう二度と家に帰れないのではないかと不安がつのる。泣きたくなった。そして遂に、おばちゃんは片方の縫い代を縫ってくれた。もう片方も、何度やっても納得してくれない。こんなこと、いつまで続くのだろう。とてもとても長い時間に感じる。あー、今日はゆみちゃんを訪ねるべきじゃなかった。何度も同じ後悔が頭の中で騒ぐ。
結局、もう片方もおばちゃんが縫ってくれた。時間をかけて、小さな布の両端が縫い終わった。これで帰れる! と安心したのも束の間、今度は布の上を二つに折って縫うように言った。そして紅白の紐をカットして、それを間に挟みながら、
「この紐を縫わないように気をつけて端だけ縫ってね。」
と指示した。しかし、ただ縫うのさえ難しいのに、そんな器用なことはできない。何度「違うわよ。」と言われたか知れない。でも、この部分だけは、おばちゃんが代わってくれることはなかった。しかし、そもそも、何を作ろうとしているのかさえ、わからないのだから、縫い方が違うと言われても、何も理解できていないのだ。ただただ、おばちゃんが「いいよ。」と言ってくれるまで続けた。
 何時間続けたのだろう。もしかしたら、ほんの数十分のことだったのかもしれないが、その時流れた時間は、それまでの人生で一番苦しく甘えが許されない長いものだった。
「あら。上手くできたじゃない。」
おばちゃんのその言葉で、わたしは、それが終わったことを知った。縫った布をひっくり返して、私の小さな手のひらの上に乗せた。
それは、小さな小さな巾着だった。紐を絞るとキュっと縮まって可愛らしい巾着だ。私は、そこで初めて自分が何を作っていたのかを知った。
何て可愛らしい巾着。これを、私が作ったの? すごい! 嬉しい!
さっきまでの先の見えない闇は一気に明るくなり、苦痛は誇らしさへと変わった。飛び跳ねて喜びたい程感激だ。
しかし、おばちゃんの前で、どれほどその喜びを表現できたかは覚えていない。早く母に私が作った巾着を見せたくてウズウズした。外に出ると、まだ日が高かった。私はスキップしながら家に帰った。
その巾着は私の宝物となり、大事なバッジを入れて、引き出しにしまった。
 何年か経ち、小学生の高学年になった時、
皆でお友達の誕生日プレゼントを買いにおばちゃんの駄菓子屋に行こうということになった。私は、ふと、引き出しからその巾着を出し、バッジを取り出して、小銭を入れた。その巾着を持ってお店に入り、皆でプレゼントを選んでいると、おばちゃんの目が輝いた。
「あら。その巾着。私と一緒に作ったのものよね。まだ持っていてくれたの! 物を大事にするのね。」
と嬉しそうに声を掛けてくれた。私は、覚えてくれていたことと、皆の前で褒められたことへの照れくささで、結局うまく言葉が出てこなかった。ただ、益々、私の大事な宝物となった。
今も私の引き出しにバッジ入りの巾着がしまってある。今見ると、褒めようのない、汚い縫い目の巾着だ。ひっくり返すと、見えない両端の縫い目はおばちゃんが縫ってくれたからとても綺麗。愛しい私の小さな巾着だ。


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