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ジャズギター・アルバムのライナーノーツ(3)『ムーンライト・イン・ヴァーモント/ジョニー・スミス』

以前書いたCDのライナーノーツを少しずつアップします。最初はギター関係のライナーをいくつか公開してみます。今回はジョニー・スミス『ムーンライト・イン・ヴァーモント』のライナーノーツです。2002年に書いたものです。

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ムーンライト・イン・ヴァーモント/ジョニー・スミス 

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 「ジャズ・ギターの歴史」を漠然と考えるとき、ジョニー・スミスをどこに位置づけるか、ちょっと困ってしまったりもする。
 チャーリー・クリスチャンを「モダン・ジャズ・ギターの開祖」として、クリスチャンに大きな影響を受けた20年代から30年代前半生まれのギタリストたちを「第二世代」と考え、さらにその第二世代ギタリストたちを「黒人ギタリスト」「白人ギタリスト」と二分すると、スミスは当然のことながら後者の一員ということになる。
 その中で、タル・ファーロウやバーニー・ケッセルといった、すさまじいテクニックでぐいぐいドライヴするギタリストたちは、存在感あふれるアドリブ・ソロを演奏することにプライオリティを見いだす「ジャズ的価値観」に問題なく適合するミュージシャンだ。ジョー・パスもそちらの系統に入れていいだろうし、正確さということではいささか問題のあるハーブ・エリスも、あの田舎っぽいフィーリングが漂う音色やフレージングが、ジャズにとって望ましい「ユニークな個性」として広く受け入れられている、と言えるだろう。
 また、控えめでクールなコード・ワークと、いっけん地味なようで実は大胆なソロをポーカーフェイスで奏でるジム・ホールは、パット・メセニーやビル・フリゼールといったコンテンポラリーなジャズ・ギタリストにきわめて大きな影響を与え、現在ではジャズ・ギター史上屈指の巨人として神格化されるようになった。

 さて、ではジョニー・スミスは? 繊細で正確なテクニック、美しい音色、技術的なアイディアの幅広さ、といった点では、スミスは掛け値なしの超一流だ。また、同時代における一般的な人気という点でも、スミスは他のギタリストたちより数倍も上だったのだ。ギブソンが「ジョニー・スミス」の名を冠したギターを市販し、現在でも愛用者が多い人気モデルとなっている、という事実だけを見ても、50年代のスミスが広く認知される人気ギタリストだった、ということが分かるはずだ。
 しかし、「ジャズ・ギター」という視点から見て、現在スミスの人気は必ずしも高くないし、その真髄が広く理解されているとも思いにくい。ルーストからリリースされた十数枚のリーダー作のうち、繰り返し再発されるアイテムが、この『ムーンライト・イン・ヴァーモント』ばかりであり、しかもそれはスタン・ゲッツのおかげかもしれない…と、いささかひがみっぽい推測をしてしまうほどに、現在のジャズ・ファン、特に日本のジャズ好きの間で、ジョニー・スミスは聴かれていないギタリストなのだった。
 その理由はある程度は分からなくもない。一言で言ってしまえば、ジョニー・スミスの音楽は、見事なまでに「ジョニー・スミス個人の音楽」であり、ジャズにつきものと思われている「セッションの醍醐味」が希薄なのだ。この『ムーンライト・イン・ヴァーモント』では、スタン・ゲッツ、ズート・シムズ、ポール・クィニシェットの三人がテナー・サックスを吹いているのだが、実は三者の個性の違いはここではさほど問題にはならない、とすら言えるはずだ。パット・メセニー・グループにおいて、ヴォイスを担当するのがペドロ・アスナールであってもマーク・レッドフォードであってもリチャード・ボナであっても、各人の個性以上に「メセニー・グループのヴォイス」という役割がまず意識される。唐突な比較かもしれないが、ここでのテナー3人の役割はそれとよく似ているのだ。
 もしかしたら、「ジャズ」という枠組みを取り去って、たんに「きわめて繊細にクリエイトされた美しい音楽」として、われわれはジョニー・スミスを聴くべきなのかもしれない。あるいはまた、「ジャズ・ギター」などという狭い限定をとっぱらってしまって、アメリカン・ギター・ミュージックの完成形のひとつとして、ジョニー・スミスの音楽を捉えることが、スミスの遺した美しいサウンドにふさわしい聴き方なのではないか、という気がするのだ。実際、スミスの影響は、むしろジャズ系以外のギタリストにこそ大きい、とも言える。カントリーの名ギタリストであるチェット・アトキンスのサウンドに、スミスからの影響を聴きとることは容易だし、「ウォーク・ドント・ラン」がスミスの曲だ、ということだけではない奏法的な影響を、われわれはヴェンチャーズのノーキー・エドワーズから感じ取ることができるのだから。

 簡単にジョニー・スミスのバイオグラフィーを紹介しておこう。1922年6月25日にアラバマ州バーミンガムで生まれたスミスは、ジャンゴ・ラインハルトとアンドレアス・セゴビアをアイドルとしてギターを習得し、39年にヒルビリー・バンドの一員としてデビューした。40年にはボストンでジャズのギター・トリオを結成、その後空軍に入隊し、そこではトランペットを演奏したという。その当時、ギタリストのルー・メッカがスミスに出会ったときの思い出を「ジャスト・ジャズ・ギター・マガジン」95年5月号のインタビューで語っている。それによると、スミスが目の前で「ラプソディ・イン・ブルー」を含むソロ・プレイを弾いてくれたとき、メッカは「自分は今、すべての時代で最もすばらしいギタリストを目の当たりにしている」と実感したという。
 空軍を退役したスミスは、40年代末にニューヨークに進出、さまざまなミュージシャンとセッションを重ねて、やがてNBC放送のスタッフ・ミュージシャンとなり、50年代のほとんどを過ごすこととなった。この『ムーンライト・イン・ヴァーモント』は、52年に「ジャズ・アット・NBC」というタイトルで放送用に録音されたセッションをもとにしたレコードである。
 『ムーンライト・イン・ヴァーモント』で人気ギタリストとなったスミスは、ルースト・レーベルから次々にアルバムをリリースし、50年代いっぱいを過ごす。60年代前半は一時引退してコロラドで楽器店を経営、ギターを教えつつクラブなどに出演していたようだ。67年から68年にかけて、ヴァーヴから3枚のアルバムを出し、70年代はビング・クロスビーの伴奏者として活躍した。最後の公式リーダー録音は、76年のソロ。これはコンコードから『リジェンド』というタイトルでリリースされた。その後のスミスはコロラドで悠々自適の生活を送っているようだ。

 『ムーンライト・イン・ヴァーモント』の中で、僕が個人的に注目してほしいポイントをいくつか挙げてみる。
 まずは、ギター〜テナー・サックス〜ピアノが速いフレーズを密集和声のハーモニーで弾き、他では聴けないユニークなサウンドをかもしだしている箇所を聴き逃さないでいただきたい。「タブー」や「ジャガー」のテーマで聴けるこのサウンドは、現在でも十分に応用が可能な、きわめて新鮮な響きを持っている。
 速いテンポでのシングル・トーンのソロ・フレーズは、やはりクリスチャンの影響が大きいようだ。タル・ファーロウのようなダイナミックさはあまりないが、実に正確できっちりとまとまったフレージングが特徴。「タブー」「チェロキー」「カブー」などでのプレイが代表的なものだ。
 バラード系の曲では、まずは中音域が持ち上がった、ブライトで温かい音色が気持ちいい。この音色と、1〜3弦を主に使ったハーモニーをグリッサンドさせて得られるサウンドは、スティール・ギターを彷彿とさせるもの。6thの音を多用することも合わせて、スミスのこうした奏法は、カントリー系のギタリストに直接的な影響を与えていると言えるのではないだろうか。そしてその影響は、前述したようにヴェンチャーズにも及んでいる。「ホエア・オア・ホエン」「ムーンライト・イン・ヴァーモント」「アラバマに星落ちて」「テンダリー」「アイル・ビー・アラウンド」「イエスタデイズ」などなど、この奏法がスミスの最も特徴的なものだろう。
 ここぞというところで効果的に現れるハーモニクス奏法も忘れてはならない。「ヴァーモントの月」のベース・ソロでのバッキングにその典型が登場するので、くれぐれもお聴き逃しなきよう!
                  

 (March 2002,村井康司)


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