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ジャズギター・アルバムのライナーノーツ(1)『サウンズ・オブ・シナノン/ジョー・パス』『キャッチ・ミー/ジョー・パス』

以前書いたCDのライナーノーツを少しずつアップします。最初はギター関係のライナーをいくつか公開してみます。

まずはジョー・パス初期2作品のライナーノーツです。『サウンズ・オブ・シナノン』は2002年に、『キャッチ・ミー』は2007年に書いたものです。


サウンズ・オブ・シナノン/ジョー・パス他 

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ジョー・パスにとってのジャズ・シーンへの本格的デビュー作であるこのアルバムは、麻薬中毒患者のための厚生施設である「シナノン」に入院しているミュージシャンだけで構成されたグループの演奏を収録したものだ。  
もちろん、だからと言ってここでの演奏を、なにか「特殊なもの」として色眼鏡で見る必要はない。実際、パスのギターと共に、トランペットとバリトン・ホーンによる柔らかなハーモニーがフィーチュアされたサウンドは、第一級のウェストコースト・ジャズとして先入観なしに楽しめるものなのだ。  
とは言え、アルバム・タイトルにもなっているシナノンという施設について、いくらかの説明をしておく必要はあるだろう。シナノンは、ここで演奏しているミュージシャンたちにとっての「生活の場」であり「演奏の場」であり、そして彼らの生命と音楽生活にとっての「救済の場」でもあったのだから。
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「シナノン」は、チャールズ・E・デデリッチ(1913-97)が1958年に設立した、アルコールおよび薬物依存のための厚生施設である。アルコール依存を克服する自助グループに所属していたデデリッチは、それを彼独自の方法で発展させた治療を行うために「シナノン」を設立した。1960年、麻薬中毒ですべてを失いかけていたジョー・パスが、カリフォルニア州サンタモニカにあるシナノンの門を叩いたとき、パスはまったくの無一文(ギターも持っていなかった!)だったという。ちなみに、シナノンに来ることをパスに勧めたのは、このアルバムでピアノを弾いているアーノルド・ロスだったそうだ。シナノンの創設者、デデリッチのイニシャル「C.E.D」を冠した曲が本作のオープナーになっているのは、参加ミュージシャンたちの感謝の表れなのだろう。  
ところで、60年代末期まではセラピーのための施設だったシナノンは、徐々にデデリッチをリーダーとしたオルターナティヴなコミューンと化してゆき、74年にははっきりと「シナノン・チャーチ」と名乗る宗教となった。それ以後のシナノン・チャーチは、カルト的ともいえる教義を掲げて集団生活を営む宗教団体、という、一般的にはネガティヴなイメージで捉えられている組織になってしまったらしい。初期のシナノンの流れを組む、宗教とは無縁に薬物依存を克服することをめざす一派は、誤解を避けるために現在は「シナノン」という名称を使わないようにしている、ともいう。このことはこのアルバムからはすっかり離れた余談ではあるが……。                   *  
このレコーディング・セッションの中心人物であるピアノのアーノルド・ロスは、30年代から活動しているベテランだ。グレン・ミラーのエアフォース・バンド、ハリー・ジェームス楽団などを経て、ある著名な歌手のバックバンドに在籍している時期に、ロスはヘロインにとりつかれたという。薬との闘いに破れ、59年にシナノンにやってきたとき、ロスは自殺しかねないほどにぼろぼろだった。  
トランペッターのデイヴィッド・アレンは1928年生まれ。12歳のときからジャズ・バンドで活動を始め、陸軍のバンドを経て南カリフォルニアのジャズ・シーンで活躍してきた。共演したミュージシャンは、ドン・フリードマン、チェット・ベイカー、オーネット・コールマン、ジョー・マイニ、ラス・フリーマンなどなど…。大学に入学したが、薬物中毒のためにドロップアウトを余儀なくされたアレンは、シナノンにやってくる前にはケンタッキー州レキシントンの国立病院に入院していた。  
このセッションでバリトン・ホーンを吹いているグレッグ・ダイクスは1931年生まれ。10歳ぐらいのときからトランペットを吹き始め、高校卒業後は陸軍バンドで2年を過ごし、その後テキサス州フォートワースの病院に入っているときに、トランペットからバリトン・ホーンとヴァルヴ・トロンボーンに転向した。そしてロサンゼルスでビッグバンドのメンバーとして活動、58年にはアート・ペッパーと共演したという。このアルバムのライナーノーツでダイクスは言う。「今、私は自分が音楽の表面をひっかいていただけだ、ということを痛感しています。作曲もここで始めました。私の音楽生活は、シナノンで生活している今、やっと始まったばかりなんです」  
ベースのロナルド・クラークは1935年ロサンゼルスの生まれ。高校の同級生にドン・チェリーとビリー・ヒギンズがいたクラークは、最初はアルト・サックスを演奏していたという。19歳のときにベースに転向し、チェリーやヒギンズと演奏活動を行った。この作品が録音された61年年末の時点で、クラークはシナノンに来て11ヶ月めだったとのこと。  
ドラムスのビル・クロフォードは1929年生まれ。ニューイングランド音楽院でクラリネットを専攻したクロフォードは、在学中にマリファナを覚え、10年間を麻薬漬けになりつつ西海岸で過ごした。59年にシナノンにやってきた彼は、そこでドラムスを始め、このレコーディングの時点ではドラム経験が1年しかなかったそうだ。  
コンガを演奏しているキャンディ・ラストン(1936年生まれ)は、シナノンに入るまでに音楽的なキャリアはなかった。コンガ・プレーヤーのキャンディドに憧れている、と語るラストンは、この時点でやはりコンガ経験1年、だとのことだ。  
そして、ジョー・パス。1929年1月13日、ニュージャージー州に生まれたパスは、9歳のときにギターを始め、14歳でジャンゴ・ラインハルトの演奏にショックを受けてジャズにのめりこんだ。プロとして地元で活動し、やがてニューヨークに出たパスは、しかし麻薬にとりつかれて苦闘の日々を送るようになる。麻薬で逮捕されてニューヨークを離れ、ラスヴェガスのホテル・バンドに在籍したが薬とは手が切れずまた逮捕、フォートワースにある国立の「パブリック・ヘルス・サーヴィス・ホスピタル」で3年8ヶ月を過ごしてラスヴェガスに戻るが、やはり依存症は治らず…といったハードな年月を過ごしてきたパスがシナノンにたどりついたとき、前述したように彼は無一文だったという。ギターもなかったパスがシナノンで弾いていたのは、施設に備え付けのフェンダーのソリッド・ギター(ジャズマスター・モデルであるようだ)だった。  
それぞれハード・タイムスを過ごしてきたミュージシャンたちは、シナノンでバンドを結成して演奏活動を施設内で行うようになった。シナノンのスポンサーの一人で、パシフィック・ジャズのオーナーであるリチャード・ボックがそれを聴き、アルバムの録音を勧めたのは61年年末のことだ。もちろん、ボックはこの中で飛び抜けて才能を感じさせるジョー・パスをフィーチュアすることを忘れなかった。そしてボックはパスと契約を結び、63年にはリーダー作『キャッチ・ミー』を録音する。その後のパスの活躍については、ここで敢えて言及までもないだろう。
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ここでの演奏のハイライトが、パスの端正でよく歌うギター・プレイであることはもちろんだが、決してそれだけが聴きどころではない。トランペットとバリトン・ホーンによるソフトな味わいのテーマ演奏、アレンの細やかなニュアンスに溢れたバラード・プレイ、そしてレギュラー・メンバーによるバンドならではの、ぴったり息の合ったアンサンブルを楽しんでいただきたい。  
ジョー・パスという天才ギタリストの出世作であり、「ジャズと麻薬」という重く大きなテーマをめぐる音楽的エピソードとしても重要なこの作品は、「生きて、仲間たちと好きな音楽を演奏すること」のすばらしさを、聴き手に音そのもので教えてくれるアルバムでもある、と僕は思うのである。  

(July,2002 村井康司)

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キャッチ・ミー/ジョー・パス


ジョー・パスがジャズ史上特筆すべき偉大なギタリストであることに、異論を差し挟む者はいないだろう。ギター一台をまるでグランド・ピアノのように駆使して、美しくスウィンギーで端正な演奏を聴かせるパスの天才ぶりは、73年のソロ作品『ヴァーチュオーゾ』(パブロ)によって、ジャズ・ファンにとどまらない広い範囲の音楽愛好家に知られることとなった。そのせいもあって、パスは、ソロやデュオ、あるいはピアノレスのコンボなどのフォーマットにおいて、メロディとコードとベース・ラインのすべてを総合的に弾いてしまうスタイルの名手として語られることが多いようだ。そのことはまったく正しいわけで、他のギタリストとは一味違うパスの才能は、「小さなオーケストラ」としてのギターの可能性を、正統的なジャズ、というフィールドで見事に開花させた点にある、と言えるだろう。
とは言え、シングル・トーンで管楽器的なアドリブを弾く「普通のジャズ・ギタリスト」的なスタイルにおいても、パスは圧倒的な名人だったことを忘れてはならない。ジョー・パスの初リーダー作であるこの『キャッチ・ミー』を聴けば、彼がチャーリー・クリスチャンの伝統を引く「ホーンライク・ジャズギタリスト」として、おそろしいほどの技術とセンスを持つ天才だった、ということがつくづく実感されるはずだ。
1929年に生まれ、十代前半のころからギターを「仕事として」演奏し、47年には初レコーディングも経験したパスだが、彼の二十代(それは1950年代とほぼ重なる)は、ドラッグ禍との闘いに費やされてしまったようだ。そして1960年、すべてを失いかけていたパスは、無一文の状態で、サンタモニカにある薬物依存更生施設「シナノン」へと入院する。そこで出会ったミュージシャンたちとのセッションを記録したアルバム『ザ・サウンズ・オブ・シナノン』が、パシフィック・レーベルによって録音されたのは、61年末のことだった。
結果として参加メンバーの中で最も有名になったパスの名義とされることが多い『ザ・サウンズ・オブ・シナノン』だが、正確にはピアノのアーノルド・ロスとパスを中心としたグループの作品だ。当然のことと言うべきか、パシフィックのオーナーであるリチャード・ボックは、パスのただならぬ才能に注目し、それ以降さまざまなレコーディング・セッションにパスを起用するようになった。そして63年の1月、2月、7月のセッションから制作された作品が、この「パスの本当の初リーダー作」である『キャッチ・ミー』なのである。
ここでピアノとオルガンを弾いているのは、当時から作編曲家としても高い評価を受けていたクレア・フィッシャー。ジャケットに大きく名前が乗り、裏ジャケにもパスと同じ大きさで写真が掲載されていることからも分かるように、パシフィックは一般的には無名に近かったパスを売り出すきっかけとして、フィッシャーの存在を借りようと思ったのだろう。ここでのフィッシャーはパスの引き立て役として堅実な演奏を聴かせているが、ビル・エヴァンスの「ウォーキン・アップ」「ノー・カヴァー、ノー・ミニマム」でのテーマ部分における緊密なアンサンブルを聴けば、おそらく選曲も含めてフィッシャーがこのアルバムに大きく貢献していることが分かるはずだ。リズム・セクションは、ベースがアルバート・スティンソンとラルフ・ペナ、ドラムスはコリン・ベイリーとラリー・バンカーが、それぞれ数曲ずつに参加している。
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1曲目は、ロジャース=ハートの有名なスタンダード「恋に恋して」。アップ・テンポに乗ったパスのアドリブ・ソロは、「オーセンティックなジャズ・ギターとはこういうものであります!」という説明にそのまま使えてしまいそうなほどに端正で破綻がまったくないものだ。胴の厚いギブソンのエレクトリック・ギターに太い弦を張り、それをピックで正確にはじくことによってソロ・ラインを形成する、という、ジャズ・ギター奏法の基本を、ここまで典型的に「お手本」化した演奏は、ありそうであまりないのかもしれない。8分音符の連続を中心として、3連符や16分音符の速いパッセージを随所に織り交ぜ、曲のコード進行がギターのアドリブ・ラインだけでも明確に分かるパスの演奏は、ビバップの音遣いをギターで弾く、ということがどういうことであるのかを、きわめて明快に示したもの、と言っても過言ではないだろう。  
2曲目の、ガーシュイン「サマータイム」、続くエリントンの「ムード・インディゴ」での演奏にも、ほぼ同じことが言える。どちらも曲想がゆったりとしたブルージーな雰囲気なので、パスのプレイもブルース的なフィーリングを強調しているが、代理コードを想定したモダンなフレージング、鋭く切り込んでくる速いパッセージなど、新しい感覚を非常に巧妙に採り入れている。このあたりのモダンな音遣いは、同時期のウェス・モンゴメリーとも共通するものがあるようだ。  
タイトル曲「キャッチ・ミー」は、このアルバム中唯一のパスのオリジナル。速いテンポのマイナー・チューンで、8分音符を延々と続けるパスのソロをより過激に突き詰めていくと、その数年後のパット・マルティーノのプレイになるのだ、ということが分かる。続く「ジャスト・フレンズ」は、ギターのオクターヴ奏法によるテーマから始まるスウィンギーな演奏。コーラスごとに溢れるようなアイディアが次々に湧き出てくるようなギター・ソロが圧巻だ。  
そしてビル・エヴァンスの「ウォーキン・アップ」は、入り組んだテーマ部分をパスのシングル・トーンとフィッシャーのコード奏法が見事なアンサンブルで披露し、パスとフィッシャーのソロ、そしてドラムスとギターの4小節交換があってテーマに戻る、という演奏。パスがこの時点でエヴァンスのオリジナルを2曲(録音されたが未発表だった「ペリズ・スコープ」を含めると3曲)も採り上げた事実はなかなかに意外で興味深い。エヴァンスとピアノ演奏のスタイルが共通しているフィッシャーの助言があったのでは、という気もするのだが…。  
「バット・ビューティフル」は、このアルバム中唯一のアコースティック・ギター(ナイロン弦ガット・ギター)使用曲だ。ここでは『ヴァーチュオーゾ』以降のパスを彷彿とさせる、コードとメロディを同時にたっぷりと歌わせる奏法を披露している。なお、未発表曲の中には、ガット・ギターを使ってボサノヴァ風に弾いた「酒とバラの日々」が含まれていたことを付記しておく。そして「ノー・カヴァー、ノー・ミニマム」は、ビル・エヴァンス作のスロー・ブルース。パスはソロになるといかにもブルース、というフレーズを気持ちよさそうに弾いていて、あまりブルース的ではないテーマ(パスとフィッシャーのアンサンブルで演奏される)との対比がおもしろい。  
最後を飾る曲は、古いスタンダード「ユー・ステップト・アウト・オブ・ドリーム」だ。ミディアム・ファスト・テンポであっさりと演奏されているが、パスのソロはここでも非常にテクニカルで端正なもの。ギターの音質が他のトラックより軽いのは、ギターが違うのか、あるいはピックアップ選択スイッチを「センター」(2つあるピックアップの両方が生きるスイッチ。ジャズ・ギターで多用される「フロント」より軽い音になる)にしているのかもしれない。                                                           

(April,2007 村井康司)

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