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ジャズ・アルバムのライナーノーツ(10)『菊地雅章/ワンウェイ・トラベラー』

あけましておめでとうございます。蔵出しライナーノーツ、2020年の初荷は菊地雅章の『ワンウェイ・トラベラー』です。大傑作『ススト』のセッションから制作された強力なアルバム!

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菊地雅章/ワンウェイ・トラベラー
                      

 これはまったく余計なお世話なのかもしれないが、将来「20世紀のジャズの歴史」などという書物が書かれるとき、絶対に外すことのできない重要な事項である「菊地雅章と『ススト』をはじめとする彼の音楽」について、わが国以外のジャズ・ライター諸氏はきちんとした認識を持っているのだろうか?、などと心配してしまうことがある。いや、もしかしたら日本のジャズ・ジャーナリズムやジャズ・リスナーですら、菊地雅章がどれだけ「ジャズ」と呼ばれる音楽の可能性を果敢に押し拡げ、マイルスやギル・エヴァンスが追究した音楽の本質(「現象」ではなく!)を正しく継承・展開し、あらゆるジャンルの音楽、いや「アート」全般に対して、ジャズが誇りを持てる音楽であり続けるために、もしかしたら絶望的かもしれない孤独な闘いを延々と行い続けていることを、実感としてわかっている人は少ないのかもしれない。

 菊地雅章の孤独な闘いは、現在でもますます精力的に続けられているし、その具体的な成果を、われわれはCDとして手にすることができるわけだが、作品としての完成度が高く、そのサウンドが「時代」とヴィヴィッドに絡み合い、歴史的なパースペクティヴで見ても「この時代を代表する一枚」だと断言できるアルバムとしては、やはり『ススト』(81年発表)を真っ先に挙げるべきなのだと思う。1980年11月、ニューヨークの「サウンド・アイディア・スタジオ」で2週間に渡って行われたレコーディングで記録された長時間のマテリアルから、菊地が編集・再構成した4曲(「サークル/ライン」「シティ・スノー」「ガンボ」「ニュー・ネイティヴ」)は、『ススト』(スペイン語で「突然の恐怖」の意)というアルバム・タイトルを付けられて翌81年3月にリリースされ、80年代の「真に新しいジャズ」、言ってみれば「パンク〜ニュー・ウェイヴを体験してしまった耳にとってヴィヴィッドに響くジャズ」を求める日本の真摯なリスナーたちに、熱烈な支持を受けたのだった。

 本作『ワンウェイ・トラベラー』は、『ススト』と同じセッションで録音された音源をもとにした、『続・ススト』とも言うべきアルバムである。あまりにも衝撃的だった『ススト』に比べて言及される度合いは少ないが、音楽のクォリティに関しては当然のことながらまったく遜色ないし、録音〜リリースから十数年を経た現在となっては、むしろこの2枚は<ススト・セッション>として一つのものとして扱われるべきだろう。

 この<ススト・セッション>について、菊地自身とレコーディングに参加した日野皓正がその様子や意図を語った貴重なインタビューが、「ジャズライフ」82年4月号に掲載されている。それによると、この録音の前には長期に渡るリハーサルが繰り返され、そこでの菊地は、ほとんどリズム・セクションばかりに何度も注文をつけては演奏を反復させていたのだという。日野は言う。「プーさんの家にも何回もいったんだけど、ただ僕は遊んでいるだけなのね。プーさんはリズムに注文つけてるわけだからね、バカヤロー、とか、オマエハコーヤレ……、ジョーダンジャナイ……とかいってやってるんだよね」「サウンド・アイディア・スタジオに入ってやりだしたときも(略)一日お金をもらいながら、ただ飲んでね、酔っぱらいながらみんなで歓談してるんだよね、そのホーン・セクションだけで。それだけなわけ。そして、たまに吹くわけ」
 なぜ、それほどまでに菊地は「リズム・セクション」にこだわったのか、本人の答えはこうだ。「オレがベーシックなシチュエーションを作って、そしてリズム・セクションはどんなサウンドでもホールドできるように、って決めてリハーサルはじめたわけだけど(略)、今までのリズム・セクションの人達ってのはある程度自分のヴォキャブラリーがあるでしょう。それに僕の考えている、僕に聞こえる音楽をさ、あてはめていくっていうのはどうしても多少無理があると思うのね。(略)スタジオやってる人っていうのはやっぱりある期間内に仕上げるってことにならされているのね。すると、いわゆるハチャメチャになるっていうのかな、120%でてくるってことがないと思うんだよね」

 菊地の考える音、彼の中で鳴っているサウンドを実現させるためには、それを可能にするための膨大なリハーサルの時間が必要であり、そのためには多忙なスタジオ系の売れっ子は使えないこと、そして器用なスタジオ系のミュージシャンには、菊地の要求する「120%のハチャメチャ」は実現できないということなのだろう。それまでのキャリアの中で、菊地が雇ったミュージシャンそれぞれが構築してきた「ヴォキャブラリー」を一度壊してしまうこと、そして彼らの持っている資質の、最もシャープな部分をすくいあげて、菊地雅章の中で鳴っている音楽に共振させること。これは典型的な「演出家的リーダー」の考え方であり、おそらくマイルスの考え方に非常に近いのではないだろうか。しかし、マイルスがメンバーをコンサートやライヴの現場を通じて鍛えたのに比べ(最も典型的な例は、72年の『イン・コンサート』から75年の『アガルタ』『パンゲア』に至る、アル・フォスター〜マイケル・ヘンダーソン〜レジー・ルーカス〜ピート・コージー〜ムトゥーメの圧倒的な進歩だと思う)、より完全主義者的であり、ライブの現場で鍛えるだけの時間と機会を持ち得なかった菊地は、集中的なリハーサルと、長時間に渡るレコーディングによって、リズム・セクションを鍛え上げたのだった。

 リズムが一応満足できるものになったところで、やっとホーンズに声がかかる。日野は言う。「どうやって吹こうか? っていうのをこう毎日酔っぱらいながら考えてる(略)どうしたら、彼が一番望んでいることをやれるのか、最初は全く見えないからね。それが段々ね、あれだけ何十回とリハーサルにいったからこそ、わかってきたんだよね」そして菊地は、リズムの上にソロが乗ったテープを、レコーディングが終わった後で聴き、サウンドの変化に即して、次の日はまた新たな指示をリズム・セクションに与えたのだという。
 自身も17種類のキーボードをその場で駆使しつつ、刻一刻と変化するサウンドを完全に把握して指示を与え、「自分の中で鳴っている音」を顕在化させることに全智全霊を賭けた<ススト・セッション>の録音は、スタジオ・ライブ的な一発録りで2週間に渡って行われた。おそらくはテープを回しっぱなしにして延々と録音されたものを聴き直し、レコードにまとめる際には徹底した編集・再構成・ダビングを行って「素材」を「作品」に仕立て上げる、というやり方は、『イン・ナ・サイレント・ウェイ』(69年)あたりからのマイルスの方法論と同じだ。ちなみに、ウェザー・リポートのレコーディングも同じ方法で行われていたらしい。この方法は、スポンティニアスなセッションの「勢い」や「乗り」を内包しつつ、無駄な部分を刈り込んで作品として完成度の高いものにするためには、最良の手段であるのだろう。

 そして、完成した作品としての『ススト』『ワンウェイ・トラベラー』は、複合的に絡み合うリズムの反復が、圧倒的な「グルーヴの快感」を呼び起こし、反復がいつのまにか新たな「差異」を生み出す、たとえて言えば螺旋状のループ構造をもったサウンドに仕上がっている。先ほど引用したインタビュー中での日野の言葉を借りると「同じことをやっているんだけど飽きない、次になんか輪を生んでいく、もっとでかい輪になってなんか大きくなっていく」音楽。菊地がキーボードで弾く音塊やフレーズは、あるパターンのきっかけだったり、反復を異化する「ノイズ」として機能したり、サウンドを多彩にするカラーとしての音だったり、ソロイストのプレイに対する反応だったりとさまざまだが、どれもが「ここしかない」と聴き手に思わせる説得力をはらんでいる。

 この『ワンウェイ・トラベラー』においては、「アラカルダー」と「マッドジャップ・エキスプレス」が、まさに「反復による差異の生成」そのものの演奏だ。ツイン・ドラムスとパーカッション群によるポリリズミックな反復、4本のギターが断片的なパターンでそこに絡み、ハッサン・ジェンキンスの力強いベースが全体を引っ張っていく。そして変幻自在な菊地のキーボードと、日野・グロスマンの充実したソロ。それはマイルスの『オン・ザ・コーナー』をより明晰に、かつスリリングにしたような音楽であり、80年代・90年代を通じて、これを乗り越える「ジャズ」(という名称が最適かとうかは難しいところだが)は、ついに現れなかったのではないか、とすら僕には思えるのだ。ポップな雰囲気をたたえた「サム・ダム・ファン」の爽快さ、菊地とサム・モリソンのデュオによる「スカイ・トーク」の静謐な雰囲気も、長い2曲があってこそより輝くのだろう。

 80年代後半から90年代前半にかけて、菊地はここでのサウンドをよりワイルドに、ハードにした「オールライト・オールナイト・オフホワイト・ブギ・バンド」を組織し、90年代半ばになって、再び日野をパートナーとして、「アコースティックな編成による<ススト>」とも言うべきクインテットでの活動を行った。それらの活動によって遺された音楽は、どれもきわめてスリリングなものだが、完成度の高さという点では『ススト』『ワンウェイ・トラベラー』に匹敵する作品は生み出されていない。冒頭に書いたことを繰り返すが、「20世紀音楽としてのジャズ」の歴史の中で、菊地雅章と<ススト・セッション>の存在は、冷静な視点で見れば見るほど大きく輝くはずだ。それを認識し、深く理解し得たことを、われわれは誇りに思うべきだろう。

 (November,1997 村井康司)

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