家事における公平感・納得感を満たしたい



もともとは子育てについて考えていた

この数か月、子育て関連についていろいろと調べたり、話を聴いたり、考えを巡らせたりしていました。
そして、さまざまな課題があるということも、あらためて理解しました。

そうした中で、全体として感じたことは、こんな感じです。

  • ハードから取り組むことが不可欠(国や自治体や企業それぞれ制度や仕組みからの対応)

  • ソフトから取り組めることは対処療法的(制度や仕組みが連動しないと、揺り戻しが続く構造になる)というものでした。

もともとはソフトでどんなことができるかを考えていたので、自分の認識の甘さを痛感する体験になりました。

可能性のひとつは「家事」からのアプローチ

とはいえ、ソフトからの取り組みに有効性がないとは思っていません。現時点で、可能性をもつ観点のひとつと捉えているのが「家事」です。特に「家事の分担」。いや、「家事のシェア」「家事の共働」と表現する方が感覚に近い気がしています。(このあたりは、言葉遊びにならないように、自分自身も気を付けて扱っていきたいと思っています)

「公平感・納得感」を満たしたい

家事に関する痛みは、いろいろな記事やさまざまな方々との会話を通じて 「公平感・納得感の薄さ」という点に括れるという理解に至りました。
そして、話を聴いていく中で、自分自身の理解が深まったと感じた点は
 ・自分が担っている分量に偏りがあることは不満だが、それだけではない
 ・むしろ、その状態に対する認識の乖離(ギャップ)や、それに伴う行動から生じる不満と負担がきついというものでした。

実際、このような声を伺ったこともありました。
 ・90:10の配分で不満も負担も感じているが、それを理解した振る舞いも感じられる。
 ・ほぼ100:0の配分で、相手は仕事で忙しく会話もあまりできないが、丁寧で配慮のある言葉をもらうことで受容できる。

そうした充足を高めることに寄与したい

正直なところ、僕自身は、そうした感覚を体感をもって理解できたわけではありません。ただ、話をしてくれた方は、素直な本心として捉えていると感じました。
そこで、こういうことを思いました。
 ①分担を50:50にすることよりも、そうしたあり方を目指す方が、現実的かつ効果的なのではないか?
 ②環境や俗人的な要素に依存するだけではなく、ある程度の仕組み的なアプローチも可能ではないか?

このnoteでは、そうしたことについて、さらに掘り下げていろいろと記事を書いていきたいと思っています。


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