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見えないところを把握して、適切に人の手を入れて豊かな自然を維持する考え方を学び、先祖たちに思いを馳せる

🌸2023年5月1日〜7日の振り返り

GWの怒涛の中国地方日本海側リサーチのあと、体力・知力ともに色々とアテられたのか、実は体調を崩していた。そのため、今更ながらのアップ。

・玉利くんを始めとするKyoto Kitchenのメンバーらと一緒に「土中環境」著者の高田宏臣さんをゲストに招いた「プラネタリー ヘルス アクション」主催のワークショップに参加。初めての高田さんの圧倒的な熱量を浴びる。

ワークショップの様子

大山のパワー、それに対する人の無知な営みと環境の破壊、土中環境改善から人の心の改善に繋がっていくことを実感。

大山の神聖な姿

そしてプラネタリーヘルスアクション主宰の桐村さんから、実はEcological Memesのオンラインクラスで講座を受けていたことに気づく。どうも話の内容がどこかで聞いて共感激しかったはずだ。

・鳥取の幻のグルメ食材とも言われる「モサエビ」を食す。濃厚な味わいと鼻腔を抜けていく香りが磯っぽさに加えてなにか違うと思ったら、夜に入りに行った皆生温泉と同じ香りと味わいだったことに衝撃を受ける。山と海はやはり繋がっているし、食材はその地の自然の味わいなのだと感じる。
・出雲路の各所を可能な限り巡り、イズモ族の人々の渡来したという稲佐の浜からの奈良へのルートを体感する。あまりにも濃かったので、本来5月3日中に帰れず。もう1泊延長して途中の佐用町の奥地にある玉利くんがデザイン等に関わっている日本酒「宿神」を作っている皆さんに会い、その味をホルモン焼きそばと共に堪能しながら、佐用町の自然と段々畑の美しさに見惚れて朝を迎える。

酒米づくりも行われる田

・妻のご両親とうちの親と合同で奈良の金剛山に登山する。実は人生初。大山の神奈備山っぷりを感じまくったあとで、子供の頃からずっと見て育った金剛山の神奈備山っぷりを感じる。高田さんのワークショップを受けた後だったので、山中の環境への解像度が半端ではなく高まっており、土の状況や森の状況を強く感じることができた。

金剛山はツツジが満開だった


しかも初めて知ったが、奈良には古来からの高天原が存在しており、葛城氏や鴨氏といった古代の日本を形作り、高度な技術をもたらした人々の根拠地でもある。自分のルーツにもつながるところにどんどん繋がっていく日々だった。今の認識する歴史とは、やはり誰かの意図によって書かれている一つの視点から見たものである。消されていることは多くあるが、人々の痕跡は消えない。

・このような日々を過ごしたために1日寝込む。
・DESIGN KYOTOの活動の一環で毎月7日に開催しているNANCAR DAYにて、アートや建築、デザインなど昔からの懐かしい面々も参加いただき、親交を深める。初期のころを一緒に運営してくださったArTRANDOMの前田さんとも再会したし、香港での活動をご一緒した盛さんも来てくださり、なんか心がウルウルした。

🌳岩、山、森、そして水に生かされている人間の営み

「土中環境」の改善に取り組む「地球守」の高田さんの活動を間近に体験できたのは、とても大きかった。全てが構造的に繋がっている。山の頂に存在する磐座。その磐座を頂点とした山に張り巡らされた菌糸が水を浄化し、森を育て、山を維持し、そして水の供給と浄化を繰り返している。何年もかけて浄化された水は伏流水として湧き出す。それは山の中の泉という見える形だけではなく、川の底や海の中にも湧き出している。
鳥取で食べたモサエビが皆生温泉の味がしたのも、この流れの中にあるのではないだろうか。山のエキスが染み込んだ水が海底で湧き出し、そのエキスを海底にいるモサエビは存分に吸って育つ。温泉も山のエキスが湧き出しているわけだし、そういう関連があるのかもしれない。
思えば水は全ての命の源である。海の中で生命は育まれた。だからこそ、人間は海のような羊水の中で原始細胞から数億年の進化を10ヶ月で終えて生まれてくる。血の成分も海だし、体の大半は水分でできている。食料は食べなくても比較的生きていられるが、水を3日飲まないと人は死ぬ。だからこそ生活インフラは、料金を払わなかった場合、電気→ガス→水道の順に止まっていく。水は最後。それだけ水は命に不可欠。
つまり人が生きていられるのは、水のおかげであり、遡れば飲める水を恵んでくれている山のおかげなのだ。
神奈備山を頂点に、神域=神社を設けて水源を守り、コミュニティの結束を固めてきた日本人の集落の形成の仕方をもう一度捉え直すべきなのだろう。その恵みの範囲内で、社会を再設計しないと破綻する。
このあたりのことは、いずれまた詳細に書いてみたい。

⛩イズモからの日本を形成する技術・文化・民族の流れ

稲佐の浜など島根に流れ着いた(海流の関係で朝鮮から流れるとこのあたりに着くらしい)渡来人たちは技術と文化を日本にもたらした。特に重要なものは製鉄技術であり、今も続くたたら製鉄につながる。この製鉄には、砂を大量に必要とする。型を作ったりするからだ。また高い火力を必要とするために大量の木炭を作る必要があった。そのため、森はどんどんなくなっていった。この製鉄によって森は失われ、砂は流れ出し、今の弓ヶ浜半島の形成にも大きな影響を与えた。
ヤマタノオロチは、このときの影響によって暴れ川として氾濫しまくっていた状態を指し、それをスサノオが高度な治水と植林の技術をもって抑え込み、稲作を豊かにしたというのが創世神話の実態と考えられている。
この製鉄技術は、東へと伝えられていき、上記の葛城氏・鴨氏の拠点でも製鉄が行われていたということなので、古代からイズモ〜ナラの交流はあったわけである。
こういったことをもっとリアルに歩いて気づいていくと、色んなことが見えてくるのだろう。解像度を知識だけではなく体感で上げていくことの大切さを感じる。

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