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『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀 日常性の構造2』(フェルナン・ブローデル) ‐鍵となる問題−エネルギー源

フランスの歴史学者、ブローデルの「日常性の構造」を読んでいくオンライン読書会の第11回目。2分冊の2冊目についに突入。1冊目も重厚な内容だった思考の旅の後編がいよいよ始まる。今回は第5章技術の伝播−エネルギー源および冶金の最初のパートである「エネルギー源」について。

【概要】
技術は人間が外界に対して行う努力。全ては蓄積した知の果実。その幅が歴史の幅でもあるが相関関係があるわけでもない。技術はあるときは既に可能となっていながら経済的・社会的理由、心理的理由により人類がまだ到達できず利用するにはいたらなかったりという限界だった。技術や科学自体の発展から障碍を突き倒すことはなかった。
例えば、ヴァイキングがアメリカ大陸に達したときは欧州がまだ必要としておらず見失われた。あるいは石炭が中国では紀元前数千年から暖房用として、鉄冶金用としても紀元前5世紀からも使われていたが、組織的には使われず産業革命の大扉を開かなかった。イギリスも18世紀に実現するが、使い出すまでには時間を要した。

エネルギー源と利用できた機械類の関連が革命に結びついた。
中世のエネルギー源は総量では動物の牽引力、次に薪、水車、人力、帆船(軍艦除く)という順になる。風車や水車は木材が材料という技術的理由のため、またエネルギーは伝送できなかったため、限界があった。ただ、ジャッキやチェーン、はずみ車など細かな道具類の発展が進んでいき、蒸気エネルギーが登場したときにそれらが組み合わされて一気に革命が生じた。

<詳細>
・人力
原動機としては小さいが動物に比べて非常に柔軟で複雑かつ複数の動きができた。道具を使うことでさらに効率も向上した。人力労働と代用エネルギーとの間で均衡をとっていくことが進歩の条件だった。人間がやっていると道具は進化しない。
・家畜力
世界的に偏在した。アメリカ大陸の高山ではリャマが唯一で、他の牛馬を始めとする家畜は欧州から来た。経済的に重要なのは雌雄の騾馬で運搬役に重宝された。大西洋のサハラからゴビまで続く砂漠地帯では駱駝だったが、7−8世紀のアラブの制服から大遊牧民の到来などから16世紀にかけて西方に広がっていった。馬は分布にむらがあり、中国は少なく、インドやアフリカはさらに稀少。イスラム圏は豊富で向き合っている欧州では良馬は高値で取引された。欧州ではナポリとアンダルシアで小型の良馬が、ドイツなどの北方では運搬や生産用の大型馬が飼育された。
・水力・風力
11−13世紀に西欧州は第一次機械革命が起き、水車や風車が増えた。水車は風車に比べて安定した。初期は水平設置で、地域によっては18−20世紀までそのままだった。紀元前1世紀にローマで歯車を用いて出力の大きい垂直式を実現したが、普及は限られた。水車が都市で生産に活用されていったことで産業も発達した。
イランで風車は7世紀に現れ、水平に回る車輪の上に帆を垂直に立てて動力にし、歯車を必要としなかった。西ヨーロッパでは水車同様の時期に垂直式になりキリスト教世界に広まった。14世紀にはヨーロッパ全体に広がったが北欧のほうが進んでおり、ドン・キホーテが風車に驚いたのはスペインに到来したのはだいぶ後だったからだ。
・木材
18世紀以前は重要なエネルギー源で石炭になるまで木炭の文明だった。薪としても暖房としても道具類や建物など様々に役立った。
・石炭
中国でも欧州でも古くからあったが暖房用や炊事用、冶金用だった。

【わかったこと】
人間の必要に応じて道具等の技術の発展していくことと、そのエネルギー源となる存在のバランスが進歩を促すということが見えてきた。
興味深いヴァイキングのくだりでは、10−11世紀ごろのヴィンランドの話が思い出される。

あるいはこちらの「ヴァイキング」にもヴィンランド(アメリカ大陸)が登場してくる。(同じ北方バイキングがモチーフだからではあるが)まさに当時のヨーロッパの人間はヴィンランドを必要としていなかったのだ。当時のネイティブの人たちは大航海時代と比べてもそう変わらなかったことを考えるとヨーロッパ人側の「必要性」が変化したのだと言える。

また、雑学的に興味深いのは駱駝。駱駝に単峰と二峰駱駝がいるのは知っていたが、単峰が寒がりで山岳に適していないため、砂漠向きだったとは初めて知った。どっちも暑いところ向きと思っていた。


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