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コルソライフという会社について

こんにちは。Corso Life株式会社の大田和高志です。
栃木県栃木市に本社を置いて、サプリメント製造のサポートをしています。
「ひとりはみんなのために、みんなは笑顔のために」が合言葉です。今日までサプリメント業界に身を置いてきて、いろいろ勉強させてもらったので、これからサプリメントを作りたい人、製造で悩んでいる人のヒントにつながれるような想いを綴っていきたいと思います。

右も左もわからない世界でした。

私は、2003年にサプリメントの業界に入りました。なぜ、サプリメント業界だったかというと、仲のいい先輩が働いていたというのが理由です。今思うと、ちょっと情けない理由だったと思います。
私が転職を決めて親に報告すると「薬を作っている会社なんて大丈夫なの?」と言われたことを今でも覚えています。転職して最初に配属されたのは、スティック包装の現場でした。まだ、立ち上げたばかりの部署だったので、手探りな毎日でした。仕事を教えてもらいながら、どうやったら効率よく製造ができるようになるのか。なんて言うことを考えながら仕事をしていました。

年に数回展示会があって、私も手伝いで行ったりしていました。ある日社長からお前の顔は忘れられない顔してるから営業行け。と鶴の一声で現場もやりながら営業にも行くことになりました。今だったらきっとモラハラになっていたんじゃないかと思います。
勉強をしてこなかったので、OEMという意味も分からず、先輩に何度も聞いて理解しました。それから、スティック現場だけではなく、殺菌、粉砕、秤量、打錠、造粒、充填と部署を転々として、カラダでそれぞれの工程のやり方を覚えていきました。

最初の営業先は、業界の風雲児でした。

現場と営業の二足の草鞋を履いて、経験を積ませてもらったわけですが、結構大変でした。現場にはお客様の資料がないので、電話が回ってくれば事務所に行って、現場が終わってから見積をやって。若かったらからできたことだけど、今はきっとできないだろうなー
展示会で名刺交換した先に、営業に行くのですが、私が一人で初めて営業に行った先は、結果にコミットする会社を作った方でした。営業のデビュー戦だったので、あでもない。こうでもないと3時間くらい商談していたのは、今でも良い思い出です。あの時チャンスをつかんでいたらまた違った人生だったかもしれません。あのチャンスを逃したことで今日まで取引になったことはありません(笑)いつかは取引させていただきたいと思っています。思えば叶う!

色々経験させてもらいました。

結局私は、現場を1年ちょっとだけやらせてもらって、営業専門になりました。本当は営業やりたくなかったから、製造に入ったのに結局営業になってしまいました。ただ、今思えば営業になってよかったと思います。成長期の業界だったので日々変化がありました。業界でいえば、TVで放送があるから納期間に合わせてほしいとか。会社では、何十トンも原料がくるから荷下ろしを手伝うとか。個人的には、初めて飛行機に乗りました。海外にも初めて行きました。新幹線も修学旅行以外で初めて乗りました。社員旅行の幹事もやりました。そして、営業として何を大切にして行かなくてはならないのかをお客様に教わりました。その経験が今でも活きていると思います。
見積も当時はエクセルを使うことがなかったので、裏紙に計算書を作って、テストの採点を受ける気持ちで、上司に確認してもらって見積を作ったりしました。パソコンもこの時覚えた気がします。

コルソライフ誕生!!

色々なことを経験しながら、順調に経験を積ませてもらい、営業として3年目のクリスマスに約1億円案件を受注をするまでになりました。この案件が単発案件ではなく、始まりで今でも独立する前にお世話になった会社では仕事を請け負っていると聞いています。
私は、この案件で営業として、いや人として究極の選択をしなくてはならない局面に遭遇し、会社の意向に反する選択をし、会社を突然辞めました。これだけが原因ではないのですが、これが最後の引き金を引きました。母に泣きながら電話しましたもんね。「もう、会社に行けない」と。

それから、3ヵ月くらいフリーターとしてプラプラしていたのですが、お客様に面倒を見てもらい、2008年3月31日にCorso Life株式会社を設立しました。当時いろいろありがたいお声掛けをいただいたのですが、ある方と一緒に会社を設立する選択をしました。それから1年後方向性が違うことに気が付き栃木に戻り、3畳の事務所から再スタートを切りました。

つづく・・・

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