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言葉の罠にハマってしまった

突然ですが……。
私は作文を書くのがとても好きだったんです。小学校の時から。

でも、別に国語が好きだったとかではなくて、むしろ算数の計算のほうが好きでした。本の音読とか緊張するし、大嫌いで手を挙げるなんてもってのほか。何が嬉しくて、みんなの前で大きな声で本を読み上げるのか不思議で仕方なかったです。(大勢の前でスピーチするのが好きな人がいましたら、すいません)

ですが、作文の時間だけは楽しかったんですよね。自分の思う通りに書いていいのが嬉しくて「自由に書ける! 夢みたい!」って感じでした。
多分、それが今の作家活動に繋がってる気はします。

とはいえ、小説と作文って全然違いますよね。作文って自分の考えを書くわけで、全部妄想で書くってわけにはいかず。そんな作文の限界を知ってしまったのは、高校に入ってからでした。

作文を書いていたときは、わりとカッコいい言葉を使ってました。人前で音読できないから作文の中ではカッコよくありたかったのかも。その影響もあってか中学校の答辞とか送辞とかに選ばれたこともありました。
選ばれたのは嬉しかったんですけど、クラスの音読より大勢の前でスピーチすることになるので、これほど嫌なことはなかったっていうのが正直な気持ちだったり。

高校に入学してから小説を書き始めて、作文の限界を超えたとき「ヤバっ!」と思いましたね。完璧な世界を自分で作れたんですから。作った世界は即ネットにアップしました。読んでもらえる幸せがこの上なかったです。
あんなに音読するのが嫌いだったのに、読んでもらうのは嬉しいんかい!って感じなんですけど。

初めの頃って自分の世界を作るだけの喜びで満たされていたんです。でも、何作か書いているうちに「この表現の方がいいか」とか「もっと良い伝え方があるかな?」とか色々考え始めました。(これは今も試行錯誤。って当たり前か)

新しい作品ができるたびに毎回違う喜びが生まれてくるんですよね。不思議なんですけどね。(短編でも長編でも)

そんな喜びを感じるのが楽しくて、小説を書くのが大好きなんですが、今は仕事で忙しいとか書く暇を探せないとかで小説が書けず。その結果として「小説」が出来上がった時の喜びが遠のいてしまっているわけで。

「時間ができたから小説を書こう!」と、思っても短編がちょろっと書けるぐらい。長編はあらすじを立てるだけで本編を進められない。「小説」ができた時の喜びを得るのが果てしなく遠ざかってしまいました。

そこで、ひらめきました! エッセイなら短時間で書けるのではないか? でも、今までエッセイってあまり書いたことがない。どうしたものか……。

頭を抱え始めました。30分だけ。

結論
「やってみたら、よくない?」

ということで、とりあえずエッセイの書き方をネットで検索。
どうも日記のようで日記とは違うとのこと。「読んでもらう」ことを大前提で書くこと。らしい。

まぁ、それは小説と一緒か。納得。
ここで原点回帰。
「小説を書き始めた時は全くわからなかったけど、どんどん書くにつれて技術(そんなに持ってない)を学んだ」はず。
これも一緒だと思えばいいか。

よし! とりあえず書き始めてみるか!
で、今に至ります。

「随筆」なんて言葉を使うから堅苦しいんじゃない? と思ったわけです。
そんな言葉の罠にハマらないように「随筆」を書いていこうと思います。
あーやだ、やだ。その言葉の罠。

日本人だけど、「エッセイ」の方が丸みがあって、とっつきやすいもん。あ、それはカタカナと漢字の問題?
日本人なら「随筆」がいいの?

あれ? 「エッセイ」と「随筆」?
まんまとハマってる気がする。言葉の罠に。

この際、どっちでもいいと考えよう。結局、書きたいのは一緒なんだから。
待って。「どっちでも」は、よくないかも?
だって、言葉を操る人間だよね。

気がつけば、延々とハマっている。

色々考えずに思いのまま書くことにします。
今はこれが答えでいいや。
日記でも作文でもないけど、書きたいことを文字にします。
どうぞよろしく。

随筆家(エッセイスト) 兼高貴也

小説の立ち読みの掲載、プライベート日記の連載を主に更新していきます。 フォロー、likeお待ちしております。 よろしくお願いします。