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生存率5%以下の大病を経験した話⑦

ICUの光と影

ICUの看護師さんには本当にお世話になりました。

食事がなかなかできなく、ずいぶん時間がかかっていましたが、根気よく付き添ってくれていた大野さん。これからのことを心配して、生活のアドバイスもしてくれた横山さん。娘の脱臼癖を治してくれていた森さんの奥さんもICUにいらっしゃって、世間は狭いものだと感じました。他にも多くの看護師さんに助けていただきました。

日中は薬の準備、確認作業。食事の介助。体を拭いたり、服を着替えさせたり。ヒゲまで剃ってくれていました。本当に大変な仕事だとつくづく思いました。常に時間に追われ、ミスも許されない緊張感の連続、私にはとても無理な世界です。(私がもし働いていたら精神が壊れます)

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こんなデカいのをオムツ変えたりするのですから、体力も要ります。

緊急手術から2週間ほど経つと、2歩ほど歩けるようになり、スプーンを自分で持って食事できるほどになりました。

日中のICUはこれから頑張るぞ!という気持ちになります。頑張っている看護師さんの姿が本当に刺激になり前向きになってきます。しかし、夜になるとその状況は一変します。夕方から夜にかけては、ダンダンと静かになり、淋しくなってきます。ICUにどれだけベットがあったのでしょうか?近くの5台ほどのベットまでしか見ることはできませんが、ほとんどいっぱいでした。隣のベットの方を勝手に同士のように感じて応援していました。けれど、ドンドンと亡くなっていくのです。回復されて一般病棟に行く方もいましたが、惜しくも亡くなる方もやはりいました。看護師さんが配慮してくださっているのはわかるのですが、音や雰囲気でそれとなく感じてしまいます。それが夕方から夜にかけて起きることが多かったので、自分もいずれそうなるのではないかと不安になり夜が来るのが怖かったです。命の最前線は本当に過酷です。

一般病棟へ

自分の記録では、11月19日に移ったことになっています。

緊急手術から、2週間です。一般病棟に移ることは嬉しかったのですが不安がやはり大きかったです。

「まだ私はひどい状態ですから、ICUにおいてください!」

と言いたかったですが、治療を必要としている人は自分以外にも沢山いることを知りましたので、自分はそれほど回復したのだと言い聞かせました。

一般病棟に移ってからは、外の景色が見えるようになったので一日の流れがわかるようになって良かった半面、自分の置かれた状況をヒシヒシと感じました。病院の窓は20cm~30cmほどしか開かない構造になっているのは、私のような考えをする人がいるからなのですね。

自分の体への不安、経済状況への不安、いずれ決断しなければならない廃業という二文字。

ストレスが病気には一番良くないので、考えないようにしてもそれは変わらず私の前にあります。

一般病棟に移ると、点滴の痛み止めから飲み薬の痛み止めに変わりましたが、とても耐えられる痛みではありません。胸の手術跡も痛いのですが、何より左足の痛みはずっと針でえぐられているような痛みが続きます。

こんなに痛いならいっそ切ってくれ!

痛みが続くのは本当に辛いです。けれど整形の先生に怒られました。

足が無い痛みはもっと強いぞ!

幻肢痛という痛みは足が無いけど痛いそうです。必要なものが体にくっついているだけでもいいと思いなさいと。

⑧へ続く

生存率5%以下の大病を経験した話①
生存率5%以下の大病を経験した話②
生存率5%以下の大病を経験した話③
生存率5%以下の大病を経験した話④
生存率5%以下の大病を経験した話⑤
生存率5%以下の大病を経験した話⑥
生存率5%以下の大病を経験した話⑧
生存率5%以下の大病を経験した話⑨
生存率5%以下の大病を経験した話⑩


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