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生存率5%以下の大病を経験した話⑨

リハビリ

私の姉は、東農地方の病院で理学療法士をしております。

弟の病気を知った姉は、「死んだな」と思ったと言っていました。

姉は毎日、今でも手術から何日経ってるのか、カレンダーに印を書いています。

とても難しい病気だし、予後のケアが難しいと言っていました。

「姉だから、はっきり言ってあげる」

「一年後、生きているか難しいし、回復しても車いす生活になるか」

「一番良くて、杖をついて足を引きずりながら生活することになる」

病院の先生方は、気を使って優しく言ってくれるかもしれないが、身内である姉だから本当の事を教えると言って言いにくい事を教えてくれました。

ただし、この病気はドンドン悪くなるものではなく、リハビリや治療を頑張れば良くなっていくから死ぬ気で頑張れと姉オーダーがかかりました。

私は男と書いてダンと読みます。

姉は二人いて、上の姉とは11歳違い、下の姉とは8歳違います。

田舎ですので、後継ぎが居ない家は格下に見られ、両親は男の子が生まれることを期待しておりました。そこで10年ほど経って生まれたのが私です。  名前にも表れているように、待望の男児です。どれほど親から可愛がられたかは想像することも容易いと思います。

私にとっての姉は、姉弟というよりも母親に近い存在です。年が離れているので、姉弟喧嘩にもなりませんし、困ったときの姉ちゃん頼みです。

一日おきの人工透析も、数値が回復したことにより手術から一ヶ月で、外れることになりました。あとは定期的に肺に水が貯まるので、直接針を刺してその水を抜く事とリハビリが治療の中心になってきました。肺の水を抜くのは痛みよりもその治療の怖さだけでした。背中から太い針を刺して20~30分かけて呼吸しながら水を出すのですから、めちゃくちゃ怖いです。

とにかく頑張れば社会復帰できるかもしれない

リハビリが進んで車椅子で病棟内を移動できるようになり、松葉杖をつきながら最初は3歩、3日ほどで17歩、歩けるようになりました。

毎日少しずつ体が変化していくこと、出来るようになることが一つずつ増えることこれが言葉に表現できないほど嬉しい事でした。

やはり想像以上のストレスが体にあったのか、後頭部にかなり大きな円形脱毛がありました。

リハビリを頑張れば社会復帰できる。希望が見えてきました。

頑張ってリハビリに励むのですが、張り切りすぎると貧血や血圧が下がりすぎて、白目を剥いて倒れます。焦る気持ちばかりが先走ってしまいますが、体がそれを許してくれません。

このころになると、一人でトイレに行けるように、お風呂も自分で入れるようになりました。年内に自宅に帰れるかもしれない。希望が少しずつ現実になってきました。体は良くなってきていますが、もう一つ突き付けられる現実があります。

仕事がつづけられるのか、お金は大丈夫なのだろうか?

体が少しばかり動けるようでは、とても機械のメンテナンスや1個40kgほどの重さがある製品をとても運べそうにありません。車いすや松葉杖で出来る仕事ではありません。

毎日 病院の廊下に貼ってある就労支援のチラシを眺め、とても自分のような状態の人を雇ってくれる会社はないだろうとため息をつき、家族の負担にだけなってしまう自分をどのようにしたらいいか、答えが出せないで毎日を過ごすしかありませんでした。

⑩に続く

生存率5%以下の大病を経験した話①
生存率5%以下の大病を経験した話②
生存率5%以下の大病を経験した話③
生存率5%以下の大病を経験した話④
生存率5%以下の大病を経験した話⑤
生存率5%以下の大病を経験した話⑥
生存率5%以下の大病を経験した話⑦
生存率5%以下の大病を経験した話⑧
生存率5%以下の大病を経験した話⑩

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