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発達障害と診断されて。

『人と変わってるね。』



そう言われることは慣れていたし、………嬉しかった。
嬉しいと思うことも変わってるのかもしれないけれど、
人と違う、ということが生きてる証のような気がしてた___。



これは小説でもなんでもなく、私(ころん)のプロフィール的なもの。
今までを振り返ってみて、苦しかったことや悩んだことも、
全部そうだったんだと納得できた。



ふつーの家庭に生まれて、ふつーの弟にも出会えて、
ふつーの日常を送っていると思っていた。



けど………。



何かおかしい………。



そんな気がしてたのは高校生の時だろうか…。
今までふつーと思っていたことが少しずつずれ始めた。



友達との会話、先生との会話、家族との会話、、、
全てにおいて何かが変だった。



何かって言うのは具体的には言い表せないけれど、自分の本当の想いが届いていないような、ものの感じ方がみんなと違うような、自分だけ違う世界からやってきたような、………そんな思いがしてた。



多分ここから歯車は違う方へ動き出したんだと思う。
何も気づかなければ、もっと鈍感な思いでいれば、少しでもふつーの人と同じような気持ちで暮らせていけたのかな。



学生時代、数学だけは得意だった。
100点。
勉強はしてた。数学だけ。それだけ魅力的でそれだけのめり込んでいた。

他の科目はそれなり。
60点や70点。
英語は不得意。30点。20点。

………できることとできないことの差が出始めていた。

現代文は、基本分からない。
作者の心情?そんなの作者じゃないと分からない。
その時のAさんの気持ち?Aさんに聞いてくれ。

慣用句?尊敬語?手紙の書き方?
文章の読解力は苦手だった。
あれ、それ、これ、モノの名前言ってくれないと理解できないよ。

人の言葉には裏がある。
生きていくうちになんとなく分かってる。
言葉の裏には本当の思いが隠されている。
けれど、それが全く理解できない、しようにも仕方が分からない。
人は嘘をつく生き物。
嘘をついて生き残る。
何か過去にあったんだと思う、すごく辛くてすごく泣いていた記憶だけはあるけれど、それがなんなのか思い出すことができない。

嘘をついた、その言葉を発していたと言う記憶だけが頭の中にある。
言葉は………理解できない。

信用できるのは数字だけだと思っていた。

数学は自分が嘘(計算を間違わなければ)をつかなければ、相手も嘘(必ず正解してくれる)をつかない。

そんな思いでひたすら休みの日も問題を解いていた。

数学が好きだったのはそこからだったのかもしれない。


…ちょっと長くなりそうだから今日はここまで…。


ころんのほんとの物語。

今は29歳。
O型、右利き、洋楽洋画が好きな日本人。


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