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【ライフハック】図太さは罪悪感との戦い。会社を気軽に休む為のたった一つのポイント

図太さとは、罪悪感との戦いである。

別の言い方をすると、自分の意志と社会から植え付けられた常識や固定概念との戦いともいえる。
急に休むと普通であれば「きっと上司や同僚に嫌味言われるだろうな…」と不安になって、つい部屋の隅にガタガタと震えて命乞いをしたくなる気持ちになるが、ほとんどの場合は言われることのない、まやかしである。
(ある程度信頼関係が構築されていたり、環境にもよるかもしれないが。)

こう…言葉で言うのは簡単であるが、いざ実際に自分の身に降りかかると対処がなかなか難しいものである。

この厄介な休むことへの罪悪感に対してのポイントは、「休んで寝ることも仕事のうち」と休職中の患者に優しく言葉をかける精神科医の言葉を頼りにすることである。


ところで、突然だが会社を休んだ。


きっかけ

きっかけはこうだ。
いつも通り重苦しい頭を起こした後パンを食み、お茶に口づけし、満員電車に飛び込む。
ワイヤレスイヤホンを装着し、お気に入りのYoutubeを開くことで鬱々とした現実から逃避する。
しかし満員電車に乗っているとなぜだか首から上の様子がおかしい。

…やばい、朝押し込んだパンが急に食道を逆流していく感覚がある!

しかし、今は「急行」の満員電車の中。
途中下車をして体制を整えようと思うがなかなか降りられない…
早く出して出してと言わんばかりにパンがノックしてくる。
待て、まだ慌てるような時間じゃない。
このままパンが出てきてしまうと、駅の電光掲示板に「お客様救護」と遅延の情報と共に公開処刑に遭ってしまう。
ちなみに田舎では「お客様救護による電車の遅延」はかなりレアケースらしい。
都内では週に1回ぐらいのペースの感覚でほぼどこかの路線で起きている。
しかもよく起こりがちなのがこの朝のラッシュの時間帯。
都会の社畜の皆様がどれだけ会社に身を捧げ、満員電車でジリジリとHPを削っているかが分かる。

ようやく駅から降りられた。
少しだけ出勤時間まで時間があるので、駅のベンチに座り調子を整えることを試みる。
まるで祭りの神輿のようにさっき食べたパンであろう物が胃液と共に、えっさほいさと食道を上がっては下がる感覚をもたらしている。気持ち悪いからやめろ。

ふっきれ

さて…今日は休むか休まないか。
今日行くと約束した件が2件もあったな…これ休んだら事務所は軽いパニックになるだろうな…だなんて。
周りからすれば「吐き気なんて我慢すれば?」と思うかもしれない。
そういえば3月だな…まだ有休あるし、4月で復活す…

あ、会社休むわ。

あっという間に吹っ切れた。
会社を休む為の引継ぎの文章を打つ手は早く、ひたすら夢中になれた。
これが自分の悪い所かもしれない。我ながら図太いと思う。

帰宅後は惰眠を貪った。
春を彷彿とさせるほどの穏やかな陽気をうらめしく思いながら、カーテンで
光を遮って暗い室内で寝た。
普通であれば「お散歩日和だ♪ルン♪」と心を躍らせるようないい天気。
自分はそんな心を持ち合わせていなかった。

むしろ休んだことによる罪悪感が少しずつ蝕んできていた。

「このまま日中に寝てて良いのだろうか?」
「我慢できるような症状ではなかっただろうか?」
「今頃大迷惑をかけているだろうな…」

…だなんて、通勤中にはなかった思考がグルグルと回り始めた。

数年前に精神科医の「休んで寝ることも仕事のうち」と励ます動画を見たことがある。
そう言い聞かせながら日中のほとんどを睡眠に費やした。

多少のズル休みは良いと思う


ここで話を変えるが、多少のズル休みは良いと思う派である。

しかも有休であれば問題ないと思う。
ただズル休みをするからには、しっかり休む連絡を入れたり、引継ぎのメールを送ったりと多少の労力はかけておくのが、マナーである。(…だと世の中では思われているはず)

こう書くと「責任感がない!」と世のベテランサラリーマンの皆様方にお叱りを受けそうではあるが、「我が人生の責任をお前が取るのか?」と逆ギレしても良いと思う。
もし休みを取らず我慢ばかりして出勤して、ある日突然パタリと倒れたり、うつ病を発症して就業不能になったら責任が取れるのだろうか?
きっと「自己管理能力不足」だと吐き捨てて、ごみ箱に投げ入れるだろう。

以上をふまえると、俗にいう「ズル休み」は自己管理の結果、戦略的休息を取っているのであって、ズルではない。


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