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僕たちはいつも誰かと繋がって生きているんだから

毎日雨ですね。

前回の自分のとこを書きなよを恐る恐る書いたら、嬉しい反応が返ってきて、ちょっと浮かれてましたら、シェフタカシに「ぬるいな、綺麗にまとめすぎでしょ」と言われました。
うっさいわぃ。もう40歳超えてんだからいいじゃんよ。
おばはんの昔話なんて、若い子にしたら苦痛でしかないような気もするんですが
どーしても書きたいことがあります。
路上で絵を売って生活していた話
コルヌコピアとは関係ないので、お暇な方のみ、スピンオフ的な感じでよろしくどうぞ。

私は小さい時から、空想と妄想で遊ぶのが好きで、小学校の自主学習ノートに絵本を書いて、「自主学習とは漢字や計算などをするもんです」と先生に叱られる。
そんな子どもでした。
学生時代は友達から変わってる人ねと言われましたが、自分のどこが変わってるのかが分からない。
でも自分は人とは何か違うというコンプレックスを持ったまま、大人になりました。

地元の小さい世界で、私は保育士になりました。
子供達は可愛い、仕事は楽しい。
でも何か息苦しさを感じる。
その息苦しさの正体が分からないまま、もどかしい感情をノートに書き殴る、、、こんなことを続けていたら絵画教室(趣味)の先生に「印刷して、路上で売ってみたら?」と助言を頂いたのが、きっかけで大阪の心斎橋筋商店街で深夜、自作のポストカード数枚、道端に並べました。

ポストカードと言っても、自分の心の吐露をイラストと共に印刷した代物です。
小さい時から『変わっている』『変な子』って言われた【そのもの】を人前に並べてる訳ですから、まるで裸で見せ物になった気持ちで座りました。

初めて座ったアスファルトはヒヤリと冷たく、沢山の人たちが足早に通り過ぎて行きます。
恥ずかしくて顔も上げれないまま『なんで こんなことやってるんやろう。もうやめよう』そう思った時、ふと、一人の男性が目の前に座ったんですよ。

じっとポストカードを見ている。
わぁぁぁ、手に取ったぁー。
見て欲しいけど、見ないで欲しい・・・
そんな、複雑な気持ちのまま、俯いていると「ええやん。これちょうーだい」と言われたんです。

「ええやん!?」

え?
いいの???

まさか、売れるなんて思ってもなかったから「お金いらないです」って。

「アホか。作品やろ?お金とらなあかんで」と100円を渡してくれたんです。

今でも覚えてます。
自分の手が手汗でベトベトやったことも、もらった100円が暖かかったことも。

初めて、自分が認められたような気持ちで、今まで、心の中にモヤっていたものがスッーと晴れたような気がしました。

その快感にとりつかれた私は、それこそ、寝る間も惜しんで描き、毎週末、自作ポストカードを売るようになりました。
作品の数は300種を超え、露店のシートの長さは6メートルもありました(超迷惑!)

そのうち、一晩で100枚、200枚と売れるようになり、私の周りは人だかりが出来るようになりました。
と、同時に買ってくれた人から沢山のメールが届くようになりました。

実は今日、母の葬式の帰りでした。救われました」
「末期癌闘病中です。絶望の中、生きる希望が湧きました」
「こどもがいじめにあってます。これを渡そうと思う」

そんなメールが毎日、沢山、沢山届きました。

そして、必ず最後は「ヒロコさんも頑張ってください応援しています」でくくられておりました。

単細胞&若さゆえ、期待に応えてなきゃ。もっと頑張らなきゃ!と。

そこで、私は目標をたてました。
日本中の路上でポストカードを売ろう!
武者修行しようというもので、拠点を大阪から東京に移すと同時に全国行脚の修行に出向きました。

鹿児島の天文館商店街、福岡の天神、名古屋のななちゃんの前、横浜の桜木町、仙台の日本一長い商店街、東京上野、、、数えきれないくらいの夜(終電まで)を一人路上で過ごしました。

こうやって書くと、私が鉄のメンタルの持ち主で破天荒な人間と思われそうですが、実際には真逆です。
超絶ヘタレで打たれ弱い。
何度やっても、どこでやっても、ポストカードを並べる時は手が震えました。
誰かが立ち止まってくれるまで、顔を上げることすらできませんでした。
基本、劣等感の塊人間ですもん。

折れそうな時は決まって、カバンの中の貨幣を触るんです。
私は、いつも同じバックを肩から下げていてそこに、いただいたお金を直接、入れておりました。

だーれも立ち止まってくれない時。

心ない言葉を浴びせられた時。

私は鞄の中の硬貨をジャラジャラと触り
『大丈夫、大丈夫。売れた金額は認めれてた数』と心の中で唱えて負けそうな自分を励ましました。

そんな活動を諦めずに続けてると自身の本が出版されたり、パラパラと仕事が舞い込んだりと、それなりに生活できるようになり、私の5年間の路上活動は終了しました。

私にとって路上は、まさに人生修行の道場みたいなもんで、
沢山の大事な人達と出会い、自分らしく生きる爽快感を知りました。
反面、孤独や大人のきたない世界。
自分の無知と小ささを痛感した、地獄と宝物のような時間でした。

もう、路上でポストカードを売ることは、一生ないですが、共に過ごしたお守りのようなカバンは今でも大切にしまってあります。

(写真に写ってる茶色い斜めがけカバンがそれ!)
そんな話を現コルヌコピアでしていたら、私のお守りカバンの販売元がつくばにあるというではありませんか。
はい、須田帆布さんです。
幸運にも須田のボスに、このお話をさえていただく機会があり、正直、震えました!
なんというか、あぁ『人って繋がっているんだなぁ』しみじみと感じた瞬間でした。
(TOP画像も作品の一枚)

どこで、どんなふうに誰が繋がっているか。

年齢を重ねた今、改めて思うことは、
未来の自分に、過去の自分を恥じぬよう精一杯、自分に嘘をつかずやっていたか?
そして出来ないことは周りの力を借りて「助けて。教えて」と素直にやれたか?

自分に真面目に生きてたか?

昔の自分に逢えるのなら言ってやりたいです。
明日が怖くて自分の泣き声で目が覚める日々。あの時の自分に言ってやりたいです。

しんどくても満足するまで、思いっきりやりなさいよ。
大丈夫。貴方の未来は楽しいよ。

ヒロコとシェフタカシが人生をかけて現在建設中なのが次コルヌコピアです。ポストカードは売ってませんが、気持ちは同じです。これからも精一杯自分に真面目に生きていこうと思っております。

⭐️今日の新コルヌコピア状況報告⭐️

雨続きで水たまり。高額な貯留槽が埋まっているはずなのだが、、、




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