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「 短いスカート履いてるくせに 」

超満員電車に乗って通学をしていたJK時代。
1990年代終わりのことだ。
毎朝、なんとなく同じ場所に並び、
整列乗車する私の後ろにある日、ジジイが並んだ。

イヤな予感がした。

電車が到着し、ドアが開く。
車内はぎゅうぎゅう詰め。
そこに整列していた乗客がさらに乗り込む。

私はジジイに背を向けぬよう
カラダを翻したが、次の瞬間
後ろからの波に押されてあえなく 
元通りになってしまった。

「駆け込み乗車はおやめください」
駅員の少しイラついた声が響く。
試合終了。また、だ。

当時、私もその周りも当たり前のように
痴漢の被害にあっていた。

「 今日もいたんだけど〜」
「 やばー 」みたいな軽いノリで
私たちはそれをまるで
日常のこととして語っていた。

同時に口にすることで
少し荷を下ろしていた節もある。

被害を受けている立場なのに
どうしてこちら側が荷を背負わねばならないのか
まったくもっておかしな話だが
「 短いスカート 」を履きたいのなら
痴漢にあうのは仕方ない
いや履きたいのなら「 自分のカラダ 」を
危険に晒す覚悟を持たねばならない
そんな馬鹿げたことを思っていた気がする。


ジジイはピッタリ私の後ろについている。
すし詰め状態で、もう身動きは取れない。

スカートを捲ろうとする手を必死で押し返す。
それでも食い下がらないジジイも多かった。
足を踏んだり、股間を蹴り上げた経験だってある。
それでも、だ。
一体、どういうつもりなのだろう。
誰かの親かもしれないジジイが
JKに痴漢する世界線。
今考えると吐き気がする。

この話は、友達とはいくらでもできたが
父や母には、言えなかった。
なぜだか後ろめたい、そんな気持ちがあったのだ。
心のどこかで、まだ私はワタシではなく
親の所有物だと感じていたのかもしれない。


2024年の今もし、と考える。
子どもが同じ境遇にあったら?と。

痴漢は、120%加害者に非がある。
被害者に落ち度なんてない。
今はそのことを声を大にして言える。
それでも、不安は残る。世にはきっと、未だ
「 そんな格好しているから 」と勝手に解釈し
行為に及ぶ思輩がうじゃうじゃいるから。

何かあったときに堂々と
セカンドレイプ発言がされるのもその証だろう。

そんな奴らの前に立てば
餌食になる可能性はゼロじゃない。
これが現実だ。夢物語だけでは生きられない。

それでも、私は
「 短いスカート履くな 」とも
「 露出をするな 」とも言わない。

痴漢を容認したわけでも
親の責任を放棄したわけでもない。

私が選んだのは、自由だ。
子が好きな服を着る自由。
子が好きな服を着る自由を許す自由。

本当のこと言えば、ヒヤヒヤする。
それでも、やっぱり否定はできない。

だっておかしいのは完全にあっち。
どうしてこちら側が痴漢を制するために
動かなければならないのか…
なんてキレイゴトですまないことくらい
もう十分に分かっている。

それでも四六時中後ろをついて歩けないほど
大きくなった子には
自分で自分を守ってもらわなきゃならない。


背中に感じるジジイの気配。
私は息をのむ。
今日も負けないと腹を括り
グッと肘でガードする。
次のドアが開くまでの5分私は耐えた。

下車する時、ジジイが吐き捨てるように言った。
「 短いスカート履いているくせに 」。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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