【日記】2連鎖が限界



 幼い頃、友人たちと『ぷよぷよ』を遊んでいたとき、皆が6連鎖くらい普通にできている中、自分は2連鎖が限界だった。

 それが、今でも小さなコンプレックスとして自分の中に残っていることを自覚している。何をするにも、自分の要領の悪さを感じると思い出す。

 だけど、今の自分なら2連鎖以上できるようになれる気もしていて、このコンプレックスを思い出すときには、どちらかというと闘志が燃えてアクティブなマインドになる。

 そんなわけで、ここ2年くらい…?『ぷよぷよ』をガチプレイしてみようかと、ぼんやり思っていたりする。

 人生、できないことがたくさんあったが、ここまで生きてきて、「できっこない」と思っていたことでも、なんやかんやで割りとたくさんできるようになった。それに伴う自己肯定感を好ましく思う。

 「成功体験」は、ビデオゲームが与えてくれるものとして一般的に認識される内の一つに数えていいだろう。自分の場合、ゲーム無くして「できなくない」感覚を身につけることはなかったと思う。

 子どもたちがゲームをプレイする時間を1日1時間までに制限するというどこかの県の条例を、全ゲーマーの仇として打倒するために僕がインターネット上で声を上げたりするとしたら、エモい成功体験を140文字以内で発信して、ゲームの有益性を訴えたりとか…するのかもしれない。

 有益性なんかどうだっていいとして、NINTENDO64の『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』を4つめの神殿で詰んでから、9年の歳月を経て、Wiiのヴァーチャルコンソール版をクリアしてEDまで到達したとき分泌したナニカは、今の僕の心身を構成する成分の何%かであることは確かだ。

 『ぷよぷよ』で2連鎖が限界な今の僕は、『ぷよぷよ』で2連鎖以上できる僕になれる可能性の塊として存在している。


 1月は、ブレワイとデスストをプレイしながら眉村ちあきの「DEKI☆NAI」に励まされていた。

 励まされる、なんて言い方もなんか重くて、単に「好き」と感じた回数が「お気に入り」になる閾値に達した。そういう曲に定期的に出会える間は、幸福に生きられるなぁと思う。

 一聴して好きな感じで、キャッチーなフレーズが印象に残り口ずさんでいる内に、歌詞を意識して、心に落ちてきた。

 毎回、プレイリストの核として捉える曲を決めていて、今回は「DEKI☆NAI」がそう。核になる曲を中心に発生する重力を意識して、構成を考えていく。

 構成を推敲しながら、各楽曲のアーティストの詳細や、英語の曲の場合にはGoogle翻訳の助けを借りながら、曲名の意味や歌詞の内容を調べることがある。

 Mura Masa, Gergiaの「Live Like We're Dancing」は、曲調で2曲めに配置したけど、「DEKI☆NAI」に向かってプレイリストの始まりと終わりを接続できそうな内容に思えた。

 「DEKI☆NAI」の前に配置した「Blow The Wind Southerly」は、歌詞の和訳を日本語の検索結果から調べていくと「南風よ吹け」と訳しているページしか確認できないのに対し、Google翻訳は「風よ南へ吹け」と訳していることが気になり、英語の検索結果からも調べていった。

 分かったのは、船で海に出た恋人の帰りを待ち侘びる女性が、風が恋人の乗る船を自分の居る陸まで運んではくれないだろうかと懇願している内容の歌詞であることと、イギリスの北東に位置するNorthumberlandという地域の伝統的な歌であること。このNorthumberlandを地図で確認してみると、海があるのは東か北。

 英語の文法を正確に判別できるリテラシーを持ち合わせてはいないので断言はしかねるが、以上の判断材料から、「(北からの)風よ南(の陸)へ吹け」というのが正解なのではないかと思うに至る。

 今回のプレイリストに入れた「Blow The Wind Southerly」は、歌の無いInstrumentalだ。プレイリストを “南下” する意味合いと、「身勝手な願い」という意味合いだけが残っている感じがして、その後の「DEKI☆NAI」が纏う無垢な切実さを補助できているように思う。

 こういうのを一人で考えて楽しくなってる。楽しい…日記みたいなプレイリスト。


 1月のトピックとして、絶対に触れておきたいアルバムがあるので触れておく。

 年間ベストは、自分が選出するのも楽しかったけど、人の年間ベストから聴き漁るのも楽しい。

 この3776の『歳時記』が気になったのは、カバーアートが挑発的に感じたのと、サブスク解禁されていないというところと、「曲が全て繋がっている」というところ。3つめは、椎名林檎のKSK好きとして無視できない。

 366日を73分12秒に換算し、富士山ご当地アイドルとされる一人の少女が毎秒十二支を数え、一周するごとに日付けを告げる時報のようなものと並行して、富士山に訪れる各シーズンを表現した歌と音楽がノンストップで流れ続ける。説明するの、面倒くさいようで楽。

 リリースされたのは2019年8月頃だけど、1月に聴くのぴったりだった。と言いつつ、これからオールシーズン繰り返し聴くかも。

 何にしろ、まず掴みで「あ、これ当たりだな」って思わされた。このアルバムの仕組みが楽しいのは、予測できるんだけど予測できない感じ。最後まで退屈しないのは保証できるとして、ずっと色んな音が鳴ってるから、よく分からないまま通り過ぎちゃってる感じもあって、良い具合に繰り返し聴きたくさせてくれる。

 ハイレゾ買おうかな……

 Twitterでも同じことを言ったけど、どうぶつの森の24時間のBGMをこういう感じの構成で、1枚の作品として編集されたアルバムが聴いてみたい。個人的にはN64, GC時代のBGMを希望。懐古厨ゆえ。

 そういう意味でもバズって広く知られてほしいかも。歳時記。画期的という言葉を使うべきかは分からないけど、フォーマットになれそう。


 写真。冬空が裂かれていた。

1月


 プレイリストのアーカイブ。


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