見出し画像

教育実習の学びを16年ぶりに振り返る

先日実家の片付けをしていたら教育実習の記録がどっさり出てきました。
日誌や、板書の準備していたルーズリーフ、教科書、ノートなどなど。
思い切って処分してきましたが、教育実習は学び多き時間でした。
教員にはならなかったですが、あの頃教壇で感じたこと、違和感や、気づきは確実に今の仕事の糧になっています。

大学4年時に母校で倫理を担当しました。
在校時の倫理の成績は非常に悪かったですが、担当の後藤先生の授業がとてもつもなく面白く、後藤先生に持たれているクラスの生徒は倫理の魅力にどっぷりとはまっていて、大学でのアクティブラーニングを考えるきっかけになった授業でもありました。

私が実習をする時には残念ながら後藤先生は異動されていていませんでしたが、新しい倫理の先生もやはり哲学者でした。
担当教諭の西倉先生との「教育とは」という対話は印象に残っています。
当時のノートを見て懐かしさが込み上げてきました。

大学のソフトテニス部で主将をしていた私は、チームを一つにまとめなければいけない、一人一人のモチベーションやベクトルを揃え、勝利することを目標としていました。主将として前で話をするときに話を聞く態度の悪い後輩には注意することが当たり前でした。

教育実習でいざ授業を行なってみると、拙い私の話に耳をしっかり傾けてくれる生徒(ソフトテニス部で部活を見ていた子が中心)、しっかりノートを取ってくれる生徒、内職をする生徒、話を聞かない生徒と表情が見て取れました。
どうにかして全員の集中をこちらに向けなければ、そのためには上手く授業をやらなければ、板書を取りながらだと話は耳に入らないから全員が手を止めてから話し始めよう、と自分が生徒だった頃の経験も重ねながら全員が理解できる授業をやることに必死でした。
他にも生徒たちからの満足度を上げるために授業の感想をもらって次の授業に活かそうと最後の5分の時間を使っていました。(これは最後の授業公開で教科主任の先生から生徒の大事な5分を感想記入に使うとは何事だ!先生は最後まで授業をすべきという意見をいただきました。いい問いをいただきました。)

生徒からの感想では私の授業に対して忖度なしで意見をもらうこともあり、そんな悩みも西倉先生との対話の種にしていました。

「全員をなんとかしようとすると苦しくなる。他のクラスの先生が助けてくれることがあってもいいじゃないか。」
はっきりとした言葉は忘れましたが、こんな内容のことを言ってくださって、少し気が楽になったのを覚えています。
クラスの一人一人との信頼関係構築を是が非でもしなければいけないと思っていた肩の力が一気に抜けた気がします。

実習時は銀行員になることが決まっていた私ですが、教育観へのこだわりが強かったので西倉先生に色々と自分なりの意見をぶつけていたら「教師にはなるんですか?(ならないんでしょ?というニュアンス)」と言われてしまいました。
あの頃の言葉を胸に今教育に携わっていることお伝えしたいな。元気かな先生。

今文章にしていて、まだまだこの癖は健在だということに気づきました。
肩の力を抜いて新年度の授業、ワークショップに活かしていこうと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?