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学校の本質的な問題は、本当に「多忙」?

土佐町議員でいらっしゃり教育学者でいらっしゃる鈴木大裕さんの講演会に参加しました(Zoom参加)

鈴木大裕さんとの出会いは本。
この出会いは、私の教育への見方を大きく変えてくれました。

それまで、
なんでも学校のせい
学校変われ
市場原理が学校に入れば競争が生まれ教員の質の向上につながるのでは

なーんてことを考えたりしていました。

が、がらりと変わりました。
その後、学校現場で実際に働くという機会に出会ったのは運命!

さて、今日は講演を聴いて、学校に起きているシステムを発見。

それは、コアな問題をはき違えていることによる先生たちの苦しみ、無力感の強化のシステム。
教員が抱える問題の対策として「働き改革」が叫ばれている。
確かに、忙しい、本当に忙しい。
それは対策しなければいけないことと思う。

しかしそれ以上に問題なのは、「教員としての誇り」

この言葉は、私が鈴木さんの言葉でハッとパラダイムシフトが起きた大きな一つだ。

『先生が先生としての誇りを持てない学校』(多少言葉は違うけど)

教員としての仕事がパッケージ化され、クリエイティブな教員の力を発揮できなくなっている、させてもらえなくなってる。

それは今、現場に入ってみても実感する。
自分の仕事に対して、意欲に欠け楽しんで仕事をしている人が少ない。
心から教員という仕事に誇りを持てていない、そんな人が多いような、そんな気がしている。

そのご自身の問題について、その原因が『仕事を奪われているからだ」とは思っていない。

【多忙】が原因だと思っている。
そして、対処法は、【働き方改革】だと思っている。

それゆえ、こんなサイクルが回ってる。

「忙しすぎるから、あれはやりたくない、これはやらない、働かせすぎだ」「働き方改革だ」と主張する。

⇒なので、周りは先生たちの負担軽減と、いろんなものが降りてくる。
私の存在もその一つだと思う。
(キャリア教育の専門家として学校に常駐。)

⇒けれど、仕事を奪われるものか、という意識が働くのか、
仕事を抱え込み、手放さない。

⇒で、忙しくなる。

そうして、最初に戻る。⇒

私は鈴木さんの本に出合っていたので、
本質的な問題は、先生自身の教員という仕事に対する想いだ。と仮説を立てていた。
先生の自己肯定感、自己効力感が本質的な問題だ。と。

だから、私は先生の仕事を奪わない。
もちろん、プロフェッショナルとしてリスペクトしている。
(生徒一人一人を見て、勘づく力はやはりすごいと思う!)

(でも、たまに、あまりにも仕事に対して文句を言っているのを聴くと、
「だったら私やるけど?」と言いたくなるけどね)

おかげで、なのか少しずつ…私自身のこともキャリアの専門家として見てくれ、頼ってくれつつある(?)ような気がしないでもない。(勘違いかもw)

私は、学校にいろんな人が関わることは賛成だ。
1学級一人の担任制など古い体制など見直すところは多々ある。

しかし、侵してはならない先生の仕事はあり、それは守らねばならないと思う。先生たちがクリエイティブな力を発揮し、先生が先生であるために。

私は、生徒のキャリア教育推進のために学校に常駐しているが、私がここにいて本当に影響力を与えたいことは、「先生がイキイキと自分の仕事に誇りをもって働けるようになること」

数年先、それが実現できてたらな、職員室が笑顔でいっぱいになったらなって、毎日小さなことを積み重ねている、……つもり。

先生っていう仕事、本当に素敵な仕事だから。


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