統合的段階(ティール段階)の特質とコーチング的関り方

■統合的段階(ティール段階)の特質

昨日の勉強会で成人発達理論でいう統合的段階の理解が少し進みました。
恐らく端的には以下のように表現できるのだと思います。

世の中に対する根本的な批判精神をもって
物質的な意味で得にならないにもかかわらず
世の中のあり方を正そうと考え
変人と言われることも意に介さず
その実現可能性も気にせず実践すること

例えば、とある教育関係者の方は、教育が学習者の”外発的動機づけ”に基づいている限り教育は健全ではあり得ず、それを温存したままの”改善”は根本的な問題の解決につながらないといいます。

現教育制度に欠けている”内発的動機づけ”を根本思想に据えない限り、問題は解決しないといいます。

上記根源的な問題はまことに大きな石であり、市井の一教育者であるその方には手に余る問題と思いきや、彼は”自分のいる場所”でその価値に基づく取り組みを展開していします。目立たない仕事です。

また、かなりベテランの方なのですが、人の”内発的動機づけ”を刺激する方策を求め、若い人たちに交じりコーチングを学習されています。

基本的に彼は、「世の中に対する根本的な批判精神をもって」いることを隠そうとしないので、周囲の人たちからは「付き合いづらい」「変わっている」という見られ方をしています。

しかし彼はもはやそれを意に介しません。人の”内発的動機づけ”を刺激する態度が、もっとも自分らしいと思えるからです。

周囲には、彼に共感する人はほとんどおらず、孤独に感じることもありますし、彼の取り組みはお金にもならないもので、「なんだかな・・・」と思う部分もありますが、まあ自分の心の羅針盤がそこに向いている(要するに物好きな)ので、物質的・精神的報酬なしに自分の考えを発信し、他者に関わります。

彼は別に世の中を変えようとは思っていないし、別い変わらないとあきらめているわけでもありません。”内発的動機づけ”を中核に据えてブレークスルーする若者の姿があまりにも輝いていて、そういった人材を育てるという何事にも代えがたい価値ある体験を生きてきる限り味わいたいと思うだけです。

何ら力むことなく、気張ることなく、自然なありようで自分なりの本質的な価値を歩むこと....。意訳と脚色がありまくりですが、ある種見事なあり方だと感歎を禁じ得ないのが、統合的段階と言えましょう。

陶酔的ヒロイズムではなく”思わずやってしまう”というさりげなさが、欠かせない特徴のようにも思います。

いくつかポイントがあると思うのですが、統合的段階の意識のあり様は、実践が伴っていることだと思います。

それがものすごく小さな範囲に留まっているとしても、「世の中に対する根源的な批判精神」を、ただただ嘆いたり、批判する態度と”自ら働きかける”態度には雲泥の差があると感じました。

また、そのような実践を行うということは、周囲にいる大多数の人からの「承認」を捨てる、というか意に介さない精神的態度を伴います。

「誰かに認められる」という次元を超えて、「これが自分らしいや」という、ある種ピュアに自らの実存(生きる意味)と向き合う態度も特質だと思いました。

ついでに余計な一言ですが、このように統合的段階(ティール)のあり方を考えるときに、 ティール組織 って何?という素朴な疑問が湧いてしまう部分があります笑。

また、これも余計な一言ですが、瞑想やらで意識のあり方を向上させるのが統合的段階と解されている方もいるような気もしないではないですが、その解釈は違う気がします。特殊な経験や洞察に耽溺せず、自らのラディカルな理想実現のため、周囲に少しでも影響力を行使するのが統合的段階なのだと思います。

■統合的段階(ティール段階)人をコーチングする時はどうするの?

恐らく大前提として、統合的段階に意識の重心がある方をコーチングする際、コーチ側がその視座の特性に関して感得している必要はあると思います。それができなければ、クライアントの世界観を完全には理解し得ず、理解し得ないということは共感に困難をおぼえてしまうからです。

統合的段階の人の悩みは、その理想のグラウンディング(現実社会での理想の体現)だと思っていて、クライアントにとってはこれが人生の重大事になってくるわけです。間違っても、「そんな理想にかまけていないで、世の中と折り合いをつけて生きていればいいじゃない」というアドバイスを言ってはならないと思います。

それは、彼の中に涵養された内面を裏切ることになり、返ってフラストレーションを増大させてしまうからです。統合的段階の人が悩むとき、それを私は「フェラーリで公道をゆっくり走るようなもの」と表現します。

根本的な問題を抱える社会の特質が目に見えすぎているのに、その社内システムの中で淡々と毎日を過ごさざるを得ないことは、心臓に刺さるトゲのようにクライアントの内面を蝕んでいくわけで、これをどうにか成仏させる必要がある。

革命を起こそうとすると結構難しいし、下手すれば投獄される可能性もあるので笑(実際、米国の研究でも歴史的に統合的段階の知性を持った人は殺されたり投獄されたりしている傾向はあるそうです)、より穏便な社会実験を経て、自らの仮説を世に問うていく必要があると思っていて、私としてはそれを支援することにします。

なんか根源的で良さげな洞察をしていても、それはあくまで仮説であり、現実にはワークしない可能性もあるのですから、ちゃんとした検証が必要な分けです。統合的段階のコンセプトをしっかり自己主導段階的知性のレベルまでかみ砕いて、実践に落としていくように働きかけます。

ある意味、やることは明確なので、セッションとしてはシンプルと言えなくもないですね。ただし、高度な知性ゆえにあらゆるコンセプトが錯綜しているケースもありますから、その際は心にある思考、感情、その他もろもろを紐解いていく必要がありますね。


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