海外ノマドの日本語講師が思う、日本語講師として大事な要素
海外ノマド生活。私は今、ある海外の国Aに暮らし、他の海外の国Vで日本語をオンラインで教えている。
私の専門は言語学習だ。「どうやって外国語を勉強するのか」第二言語学習という分野で勉強してきた。
私は現在
●日本語講師
●通訳・アテンド通訳
等の仕事をしている。しかしながら、私は大学生の時になりたくない職業を
●日本語講師
●通訳
と言っていた。
それはなぜかと言うと、イギリスの大学で勉強していた私は、自分の専門科目に関係した仕事がしたいと思っており、イギリスにいるから、英語ができるからという語学関係の仕事をしたいと思っていなかったのだ。
それがなぜ私が結局そのやりたくなかったという仕事を現在しているのだろうか…そしてそんな仕事をしながら思う、日本語講師として必要なこと、をただの経験から、だけではなく、少し論理にあてはめながら綴りたいと思う
私がどうして日本語講師になったのか
まずは私がどうして日本語講師になったのか…から話していこうと思う。
私は、フランス、イギリス留学をして、英語やフランス語を学習し、その他にもスペイン語、イタリア語など私自身が様々な言語を学習した。
元々は自分の留学の経験を生かした仕事がしたいとも思ったことがあるが、自分が外国語学習に興味があって、最終的にその興味が
「どのように言語を学習するのか」という「第二言語学習」という勉強に興味を持った。
元々は日本語講師には興味がなかった。けれど、実は17歳の高校3年生の時に、学校が終わった後に専門学校に通って日本語教授を勉強する学校に通っていた。それは
「外国に行ったら、日本人として日本語を教える機会もあるかもしれないから、日本語教師養成講座で勉強しよう」と思ったのだ。
高校生の自分でも、それくらいちゃんと考えて行動しているのに、なぜ、オトナが「日本人だから」という理由だけで「日本語教えます」と、何も教える基礎もないまま、かなり高額な料金で教えていることにも少し疑問を持ってしまうことがある。
「国語」と「日本語文法」は異なるし、文法なども日本語を教えるのであれば、少しでも知っておく必要があるのではないか、と思ったりしたのだ。けれどそういう意志というのは、自分の生活にも関係すると思う。自分が幼い頃から留学をしたりして、言語を学ぶことに敏感だったこともあって、日本語を教える、ということも、ただただ「日本人だから」で教えられることではないとその時から知っていたんだと思う。
結局、それはただ日本人として日本語を教えて欲しいと言われた時用に、ちゃんと準備をしておきたいと思ったからだ。結局その時は日本語を教えるということはなかった。
そして、自分が様々な語学学校に通って、様々な言語を学び、その経験を生かしてできること・・・を考えたら、自分が日本語を教えることだとも思ったのだ。
また私の専門が外国語学習なので、私の興味は「外国の方がどうやって日本語を勉強するのか」ということなので、その調査をするには日本語学習者に出会わなければならない。一番の環境は日本語学校や大学の日本語学科などになる。ということは自分の研究を継続するには日本語講師になるのが一番だった。
多言語話者の自分はどうやって語学を勉強したか一番よく分かっているので、今度はその経験と能力を最大限に生かせるであろう、日本語講師になろうと思ったのだ。
どうして日本語講師になりたいのか
最近ではオンライン日本語講師が流行っているようにも思う。資格がなくてもできるし、日本語学習者と教師を繋ぐサイトやアプリも多く出てきているし、特にコロナ禍後ではオンラインクラスというのが流行ってきた気がする。
私の興味のせいもあって、NOTEでもオンライン日本語講師、フリーランス日本語講師のNOTEもよく見かける。ただ、自分が日本語講師をしていて思うことはどうして日本語講師になったのか、ということは学習者の学習意欲や学習そのものにも影響するのではないかと思うことがある。
日本語講師は実は外国語ができなくてもできる。私はクラスではなるべく外国語を使用しない。こういう勉強も、日本語教師養成講座では勉強するので、とても役に立つ。教師はどうやって学習者と話をするのか。学習者のレベルによって、使用言語、使用言語の単語などを考慮しないといけないと思うので、外国語ができた方がもちろん教えやすいし、説明などするときに便利だけれど、日本語講師は日本語しか話せなくてもなれる。
日本語講師になるのにまず大切なこと、それはその意志、動機だと思う。だから、まずはどうして日本語講師になりたいか、という問いにたどり着く。
●外国人と交流したいから
●英語ができるので、英語と日本語を生かせる仕事がしたい
●家からできる仕事がしたい
●オンラインでの仕事がしたい
●ノマドワーカーとしてできる仕事だから
●海外が好きで、日本語を教えたい
様々な理由があると思うが、日本では語学学習が趣味の一環であることが多い反面、日本でも、海外でも日本語学校は趣味だけの為ではないことが多いと思う。日本語教師も(小・中・)学校の先生と同じように「教師」、「先生」という職業なんだと思う。
だから、この仕事は自分の仕事への便利さとか楽さ、よりも学習者主体で考えらえる人に合っている仕事なんじゃないか、と思うのだ。
先生が「便利な仕事」だからと思っていたら、「教える」ということへの熱意は薄くなってしまう。もちろん、この仕事に就いた後に教えることへの熱意があって、生徒とちゃんと向き合えればそれでも良いとも思う。
「先生」はそれが学校でも日本語などの語学学校でも、「先生」は「生徒」もしくは「学生」と向き合う、相手のいる仕事なのだ。だから、自分の前に優先順位は相手である生徒や学生になると思うのだ。
教師の仕事は教えるだけなのか?生徒のモチベーションの向上
私は良い先生だと思っていない。教え方も上手だと思っていない。まじめな先生だと思っていない。
けれど、ずっと「熱心な先生」と言われることが多かった。
私にとって、例えば教える時間だけが重要だと思っていない。1時間の授業で生徒が覚えていることなんて恐らく7±2のことくらいなのだ。これは人間の短期記憶に関するマジカルナンバーと呼ばれる論理から考えている。
★マジカルナンバーとは、人間の「短期記憶」に関しての原則を示すキーワード。 そのような短期記憶の原則的な数値として、ジョージ・ミラー教授が1952年に発表した論文によると人間の短期記憶の容量は7個前後(7±2個)まで覚えられる。
だから、1時間一生懸命教えても、生徒が覚えていることはその1時間授業のうちの7つのことに過ぎないと思っている。
ではどうやってその1時間学んだことをもっと覚えさせるのか…それはその短期記憶を今度は長期記憶にしなければならない。長期記憶へ移行するには3つの方法がある。
●強烈なイメージで脳に情報を刻み込む
●感情をともなう情報は忘れにくい
●何回も繰り返しインプットする
この3つを行うために、私が念頭においていることは
●強烈なイメージで脳に情報を刻み込む
➡なるべく絵や動画などを使って、字だけではなく、教える、もしくは身体を使って教える。
●感情をともなう情報は忘れにくい
➡なるべくオーバーリアクションをしたり、笑って授業をするようする。
➡テキストの文章を喜怒哀楽をちゃんと表現できるように、心掛けて読む
●何回も繰り返しインプットする
➡そしてこれが一番大事なところだが、生徒が教室だけではなく、自学学習をするように、モチベーションを高めるよう心掛ける
➡そのために、日本語を勉強する目標などをきちんと立てる。
という、教えることだけ、ではなく、教えたその先、ちゃんと生徒が予習、復習をしているか、もしくはしたいと思うように授業ができるか、が先生として大事な役目だと思っている。
オンラインクラスでの注意①日本語会話、話し方
オンラインでもオフラインでもそうだが、よく聞くことは
「会話の授業なので学習者に沢山話をさせる」という先生も多い。けれど、第二言語学習理論において
その第一人者であるKrashenは、インプットの重要性を述べている。
例えば、理解可能なインプット(comprehensible input)というものが習得には重要だと説いている。この理解可能なインプットは「 i+1」とよく言われている。これは自分が既に習得した言語レベルを「i」とすると、それよりも少し高いレベル「+1」のインプットが習得につながるということだ。
だから、先生がゆっくりはっきり、学習者が分かる日本語よりも少しだけ難しい単語や文法を入れながら、話をすることも、学習者の言語習得に繋がるということだ。
私が今まで他の先生の授業を見た時に感じたことは、意外と早く話している先生も多い。学習者の中にはネイテイブと話し慣れていない学習者も多いので、最初のうちは少しゆっくり、はっきり、分からない場合は2,3回繰り返して話すと良い。インプットは学習者が理解しなければ、学習に繋がらないということだ。
また、特にオンラインでは聞こえにくいこともあるので、さらにはっきり、少し大きな声で話す方が良い。学習者に沢山話させようとする先生もいるが、理解できる日本語インプットを入れることも、学習の向上につながる。特に、言語理解重要なポイントで、よく話せるのに、先生の話を全然理解できていない学習者もいる。
これは、独学を多くして、多くのリスニングも勉強しているのだが、ネイテイブとの日常会話に慣れておらず会話が難しい学習者もいる。だから、上手に話せていても、相手の日本語をちゃんと理解していないこともあるので、そこも1つの注意点だ。
また、環境にもよるが、マスクをして教える先生がいるという話を聞いたことがある。(これは自宅でオンラインで教えている先生ではないと思う)マスクをしてしまうと、やはり顔も見えず発音なども聞こえにくくなるので、特にオンラインの時はマスクはしない方が良い。
リラックスした空間作り
これもまた、第二言語学習論にも関係するが、情意フィルター」をあげている。クラッシェンは情意面の大切さを述べ、不安感やネガティブな感情があると、情意フィルターがあがると考えられている。この情意フィルターがあがると、習得の障壁となり、習得が阻まれる。だから、学習者がリラックスして、安心した状況で学べるよう、情意フィルターを下げた環境作りも先生の役割だと思う。まじめな授業も大事だが、外国語を話す環境は緊張もするので、その緊張を解くようにリラックスできる環境にすることも重要な要素だ。
先生はクラス時間=時給ではない…
また、学習者の学習意欲向上させるためにはなるべくわかりやすい、面白い授業をすることも心掛けなければいけない要素の1つだ。よって、生徒に日本語をちゃんと勉強してもらうために、授業そのものの時間だけではなく、きちんとした授業の準備や、宿題作成、その宿題のチェックなどもある。
よって、先生はその場で教えるだけが仕事ではない。だから、通常時給換算した時に高めに見えるがこれは1時間=3時間分の料金というイメージで考えてもらえると良いと思う。
1時間準備ー1時間授業-1時間宿題、宿題チェック
だからこそ時給換算した時に通常のバイトよりも高くなるが、それでも、個人レッスンや個人でクラスをしている人方が1時間レッスン4000円~5000円と書かれたものを見ると、少し疑問を持つこともある。
大学で講師をしたって、恐らく3000円~くらいだろう。大学で教える際には大学院卒の必要もある、それだけ専門性を勉強してから教える場合であって、それでも3000円ほどなのだ。
だから、例えば「日本の平均月収がXXX円でそこから算出して…」という方もいるが、日本の平均月収は会社の社長の月収も含まれている。だから、そこから簡単に算出するようなものでもないと思うのだ。
今は円安なので、海外の生徒さんがオンラインで学習する場合はもちろんもらえる額が高い時もあるが、それでも、やっぱり偶にどうしてこの料金なんだろう?という疑問になることもある。
もちろん、個人事業主で、自分で集客できて、自分で料金を決めている場合はそれでも良いのだと思う…。
ただ、安すぎてもいけないと思うが、「どうしてその値段なのか…」ということをちゃんと考えて欲しいなと思う。
日本語教師に資格は必要か
これは、最近この記事を見ることがあるが、今年から日本語教師は国家試験になった。では日本語教師の資格がないと日本語教師になれないのか。
答えは「NO」だ。
日本語教師の資格がなくても日本語教師にはなれる。私も日本の国家資格は持っていない。
私が目指しているのは日本語講師ではなくて、大学講師で、どちらかというと大学の日本語学科や、大学の語学センターでの仕事を希望している。
これは逆に日本語教師の資格が必要ないこともある。
日本語教師資格、というのは
「公認日本語教師」は日本語教師の国家資格の名称。これは近年日本語学習者増加にも関係し、日本語教師の質の向上も含め、日本語教師に求める基準を国が明確に定めていこうとするもので、日本語教師の「教員免許」のようなもの。
https://www.nihongokyoushi.net/national_qualification
そして、資格を持っていなくても、日本語教師になることは可能だ。日本語教師も、家庭教師のような形で個別に指導したり、オンラインで教えたり、無資格でも日本語教師として働く方法は色々とある。ただし、無資格でも日本語教師として働くのを許されるのは、認定日本語教育機関(従来の法務省告示校のようなもの)以外の日本語教育機関で働く場合になる。
外国人に日本語を教える場合、日本語教師の資格はないが、英語ができる、フランス語ができる、中国語ができる、という外国語ができるということで教え始めている「オンライン日本語講師」も多いなという印象もある。
けれど、私が今回書いた記事で、日本語を教えるにあたり、考えなければいけないことも多くあること、そして日本語教師資格を勉強する時には「どうやって教えるか」ということを日本語学習用の教科書を使って教えてもらい、教案作成、実習などもあり、仕事をする前に基礎を勉強できる環境でもある。
語学に関係する仕事は資格があってもなくてもできることが多い。通訳なども資格がない。英語やフランス語など語学力を知るためのテストは多くあるので、それで語学力を知ることもできるが、そういった語学の資格がなくても通訳ができることもあるし、語学の資格があっても、通訳はできない、苦手だと言う人もいる。日本では英語学校もそうだが、本来英語教授の資格があるのに、それがなくても英語ネイテイブの人が日本の英語学校で英語を教えていることもある。
資格問題はなかなか難しい…。
需要と供給さえあれば、個人でオンラインで教えていても、集客させできれば資格がなくても教えられることができる。
私も、国家資格前で言えば420時間日本語教授のコースを受講していたので、以前で言えば一応日本語教師の資格を持っていたことになる。
また、大学院で日本語学科修士を取得し、その後フランス語も教授法の修士課程を取得したので、資格というところでは日本語もフランス語も教えることができる。
もうひとつ、+すると、言語学(専門、日本語教授)で博士号も取得した。
だから、どちらかというとこの国家資格で教える日本語学校ではなくて、大学で教えるための資格を色々持っている(と思う)
ずっと日本語を教えるために、というか「日本語学習」「日本語教授」を専門として勉強してきた者にとっては「日本語を教えるのに資格はいりません」と言い切ってしまう「先生」方を見ると、少しだけ、切ない。
もちろん、専門で勉強したって、勉強することと教えることは別のことだから、教えるのがうまいかどうかは又別ことだと思っている。けれど、先生になるためには常に先生も勉強をし続けることが大事だと思う。
私が大学で日本語を教えていた時は先生たちは本当によく勉強していた。分からないことを常に調べて、自分で勉強していた。そして、自分たちがもっと上を目指すため、大学院で勉強を続ける先生もいた。
日本人だから、と自分の言語を簡単に教えられるわけではない。
色んな教科書が存在し
どの教科書が良いか、そしてその教科書を使ってどうやって教えるかという
教科書分析
文法分析
など自分でした方が良い勉強もある。
そして
学習者に合わせて発話のコントロールなども必要だ
相手に理解してもらえるように話すことを念頭におき
相手のレベルに合わせてゆっくりはっきり話すことが大事だ。
ここで相手母国語を使ってしまえば、文法説明など楽になるので、外国語ができれば教えられると思う方もいるかもしれないが、語学学習に必要なのは
外国語のインプットである。だから、学習者の負担は多いかもしれないが、初心者でない限りはなるべく日本語インプットの量を多くするように心がけることも重要なポイントだ。
資格がある、と言うことは教えることができる資格でもあるが、教えるために何をしなければならないのか、を自分で一人でも考えることを学習する能力を培うものだとも思う。
資格は必要ないけれど、資格があるに越したことはないし、資格があるということは日本語を教えるための勉強をちゃんとした、という証明なのだ。教えながら経験も積めるし、だんだんプロになれるのかもしれない。けれど、1つの道を究めるのに10年かかると言われているので、最初から高額を提示していたり、単純に1クラスの単価をサイトなどで調べてただただそれで料金を決めてしまうので良いのかなと思うのだ。
資格の要らない通訳をしていた時も、私は最初は
ボランティア➡学生のバイトほどの料金➡通訳としての最低賃金➡通訳として一本立ち
と時間をかけて経験を積んで料金も上げていった。最初から現在まで10年ほどかけていたと思う。それこそ、時給1000円、日給1万円~なんてところから初めて、少しずつ料金が上がっていくと言う感じだ。
私は日本語講師も同じじゃないか、と感じたりしている。
これは私個人の意見で、日本語教師を仕事にしている人は私の考えに反対する人もいるだろう。
けれど、この記事を書くのに、ほんのちょっと調べて、引用して…自分で考えて…
そして、私がいつも思うことはただ一つ
日本語教師をする理由はたとえ自分のための「オンラインでできて便利だから」「どこにいてもできるから」という理由もあるが、それよりも学習者主体で考えられる、それが一番大事なことだと思う。