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海外ノマドが憧れること 本当になりたかったものは…


【序論】

海外ノマド生活をしている私のいつもとちょっと違う、と言うか、今日はちょっとした意思表明


言葉に敏感であれ

私は海外ノマドと言うが、一応言語学者の私は言葉に敏感だと思う。それに海外在住が長いので日本語にも敏感でいたいと思っている。

又、日本語講師でもあるのでやはり日本語には敏感でいたいと思う。
言語学者と言っても、言葉そのものの研究ではなく、私は応用言語学という分野で、専門は第二言語学習と言う分野になる。

その中でもインフォーマル言語学習と言って、授業やクラス、学校以外でどのように言語を学習するかと言う研究をしていた。

だから、言葉そのものの研究である日本語学ではなくて、日本語学習が専門だ。
そんな私が言語学を勉強しようと思ったのは、自分が様々な言語を勉強して、最終的に外国語学習そのものに興味を持ったからだ。

だから実際は言葉そのものの研究はしていないのだが、それでも言葉そのものにもとても興味がある。

好きなのは生活の中に落ちている何気ない台詞たち

本来ならもっと言葉そのもの、どちらかと言えば映画やドラマの中の日本語分析みたいなのも面白いなあと思ったりする。

私は元々物書きになりたかった。けれど同じ物書きでも、なぜか大学(院)で散々論文や研究発表をすると言う又違った方麺で書くことの多い人生になってしまった。

私は論文を書いていた頃、よく日本のドラマを観ていた。ドラマの中のストーリーや役者の演じ方も大事だが、私は何より素敵なセリフを見つけること、セリフや言い回しを聞いて、その世界観を見て、脚本家の顔が浮かぶと、その仕事は正に芸術だなと思うのだ。

言葉も芸術になる

芸術とは、それを目にした時、耳にした時誰の作品か分かるものを作れる人だと思う。
ドラマはセリフだけじゃなくて、登場人物の性格設定の細かさとか、ストーリー設定とか、誰もが思いつかないような設定もあれば、ありそうな設定で少し他とは違うこともある。

でも、「この作品すごいな」と思えるものは、誰も考えつかないような奇抜なものじゃなくて、あるようなないような、意外と普通のストーリーなのに、そこにほっこりする何かや、ジーンと胸に響く何かが散りばめられている。

それは高級フレンチとか、滅多に食べられない料理とかではなく、家で食べるコロッケがちょっと良いお店でちょっと手の込んだ料理として出て来るような、誰でも作れるようなカレーがちょっとだけ気の利いたスパイスが入った料理に変身するような.そんな感じだ。

人の心を動かすには、いつもの日常にほんの少し手を加えるだけで良い。
SFや壮大なハリウッド映画のようなスケールの大きいものは、現実逃避ができて夢の世界を体験できるのかもしれないが、それは別の意味で娯楽として楽しめるもので、人の心をほっこりさせたり、切ない気持ちにはしてくれない。

あまりにも奇抜な内容やストーリーだと感情移入しにくい。けれど自分が想像できるような設定の中に、ちょっと他とは違う要素が入っていたり、なんでもない日常の中にある人間的なストーリーには感情移入しやすい。

そう言う日常の中に落ちているであろう人の心とか、気持ちとか、何気ないセリフを上手く操れる、表現できる人たちは流石だなあと思う。

物書きは好きだけど


私はものを書くことが好きだ。白い紙が、原稿用紙が、今だったらWordの白い空間が文字でどんどん埋め尽くされていくのが好きだ。なんでもないことでも、書くことによって自己表現でき、又それを自分でも読み返すことができたり、誰かに読んでもらえたりすることは、とても面白いことだと思う。

でもそう言う誰かの心をほっこりさせたり、目頭を熱くさせるようなもの書けるとは思わない。

書きたいなと思うし書けるようになりたいと思うけれど、ずっと論文とか文献とか書いてきた私にとって、文章に自分の意見や考え方を書くことはできても、自分の感情や気持ちを入れるなんて、したことがないので、無理なんじゃないかと思うのだ。

小説家も物書きと言うジャンルで考えると同じようなものなのかもしれないが、私にとってドラマの脚本家さんと言うのは、書いたものが3次元の世界で誰かがそのストーリーを表現してくれて、そして演者さんがそのセリフを素敵に話してくれる。
コミニケーションと言うのは、言葉自体だけではなく、イントネーションやジェスチャー、トーンなども重要だ。だからこそ、セリフを本の中だけで読むだけじゃ伝えられないものがちゃんと伝わるんだと思う。

何人の人が関わる作品なのか

映画もドラマも最近は本当に漫画原作、小説原作のものが多い。既に人気のある漫画や小説ならアタる可能性も大きいし、企画も通りやすいだろう。
でも、それが原作に忠実なものもあれば、原作と変わってしまってその元の世界観や作者の伝えたいことが伝わらないこともある。

結局は他の人たちの手が入ってしまって全くの別物になってしまうこともある。
そう言う作者の意図が伝わらず、問題になってしまったこともある。

メデイアは娯楽か芸術か

特に映画やドラマなんて、芸術作品と見做されず、娯楽、エンターテイメントとして位置づけられていると、作者の意図を表現することはなかなか難しいかもしれない。

そう言う意味でもドラマや映画もオリジナル作品だと脚本家さんの表現したいものがきちんと見えて、一つ一つのセリフが生きている気がする。

私は今はバカリズムさんの世界観や視点、ものの見方は素晴らしいと思っている。お笑いのネタも、普通の人が考えないような、ちょっと捻ったものの見方をしていて、ドラマの脚本にもそれが上手く現れている。
彼のセリフ回しよりも世界観がすごいと思うのだ。マグカップをまっすぐ見ているのではなくて、底から見ていると言うか、他の人が見ていない所から見ていると言うか、とても不思議な感性を持っている人だなあと思う。

ちょっとSFと言うかファンタジー要素が入っているのに、それを真面目に表しているからこその面白さがそこにある。だから作品としても、脚本としても、彼の作品を見ただけて、これはバカリズムさんが書いたものだとすぐ分かる。

彼の作品を見て、細かいセリフ回しと言うよりは、世界観が光っている作品だなあと思う。でもドラマ中のセリフも、淡々とちょっとよく分かるようで分からないことを長々と説明している感じは、バカリズムさんのお笑いネタみたいだなあと思ったりする。

最近では「ブラッシュアップライフ」は色々賞も獲られて有名だと思うが、あの世界観てすごいなって思うのだ。転生ものって意外と多いジャンルだしそれでもそれをあんな風に面白くできるのはバカリズムさんだからだと思う。
以前も別の転生ネタのドラマを書いていたが、又違う面白さだった。

だからそれはほっこりとか、しっとりとか心の動きよりも、くすりと笑える、普段使わない脳や心のどこかを刺激される、そんな感じがする。

世界観で言えば、クドカンさんも、バカリズムさんよりもずっと前からすごいなあといつも面白くドラマを観ていた。やっぱりありそうでなさそうなちょっとファンタジー要素が入りつつ、少しおかしく、面白く、そしてあるそうでなさそうなことを平気で書かれている。

そしてそう言う作品を観てしまうと、やっぱり自分には無理かなあと思ってしまうんだが、せっかくNoteで色々綴りながら、そこにもチャンスが落ちていることがある。

私の人生はかなり変わっているとは思うので、言葉そのものや、設定の面白さや奇抜さへの想像力ではない実体験を書き綴ったら、誰かが気に留めてくれるかもしれない。

フィクションのようなノンフィクションのような、実体験で、実生活なのにフィクションみたいな人生なので、それを少し綴ってみたいなと思っている。

と言うことで、又必死になってみようかと思っている今日この頃。

#創作大賞2024

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