幸せはお金で買えますか?

住み慣れたフランスを離れ仕事でベトナム ハノイ郊外生活。


週末だけハノイに行った。

 家に帰る前に立ち寄ったマーケット。もしかしてぼったくりにあっているかもしれないが、明瞭会計ぽかったし、皆すごく良い人だった。
美味しい肉も野菜も少し買えたので、嬉しいかった。スーパーよりやっぱり市場が良い。

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フランスにいた時は毎週農家直売マーケットに行っていた。ここでは今そう言う生活ができないでいるが、本当に私の人生は波瀾万丈 奇想天外 な人生だと思う。

今もまだ奇想天外な人生が続く。

先日開催していた休暇コースのデイスカッションの授業で「夢はお金で買えるか。」「お金と夢どちらが大事か。」「幸せはお金で買えるのか。」なんてテーマもあったけど、私はお金が1番と思うタイプじゃない。


休暇コースは日本語のコミニケーションに特化した、遊び重視のコースで、日本語で何かをしながら日本語コミニケーションを図るコースだった。

企画ー準備ー運営 全て1人でこなして大変だった。けれどだからこそ充実していた。


ある程度生活に困らない程度に、余裕のある生活はしたいが、あんまり物資欲もないし、お金を使うことがストレスになったりもする。

今はお金を使う暇がないくらい忙しい時も多いし、いつでもやることがあって終わらないが、お金を使う余裕が無いほどに忙しいと言うことでもない。
今の生活は嫌いじゃないし(苦手な部分も多いけど)生きている、仕事をしているだけでお金ももらえている、そんな気にすらなれる。
充実した時間が送れるような仕事ができるだけで人生幸せなんじゃないかって思うのだ。

ベトナムに来る前も、来てからはいつもずっと仕事のことを考えているし、実際の業務時間(クラス)以外でも、授業の準備やレポート、学生のことばかり考えている。
あの子の日本語はどうしたら上手くなるだろう、あの子はどうしてこう話すんだろう、あの子の日本語力はすごいから、今度調査対象にしたい…なんて考えているだけで、
それだけで楽しいし、ワクワクするのだ。

実際授業で教えるのは苦手なんだが、学生の日本語能力を伸ばしてあげることを考える事は好きだ。

先生ではなくて根っからの研究者なのかもしれない。

私のプライスレスな生活は学生のお陰でもある。通常の授業は決まっていることが多くて今まだ好き勝手できないが、休み中に開催していたコースは学生主体のコースだったから、色々今までの大学生活とは異なっていたし、彼らに

「楽しかった」と言ってもらえるだけで、「やって良かった。」と思える気持ちはプライスレスだ。

こう言う充実感はお金では買えない。お金さえ払えばできることがたくさんあるが、お金で解決できてしまうと、そこには自分への達成感や充実感は薄れてしまう気がする。

特に子供は(若い人は)正直だ。好き嫌いもはっきりしているだろう。

こう言う大学とは別のコースだって、そこで得た友達とかもきっとプライスレスだと思う。そう言う時間が今は本当に大切だと思えるし、好きなことをしてお金ももらえるなんてラッキーだなあと思ったりする。

実際の毎日のコースはあんまり面白いとは思っていないのだが、休暇コースは自分の好きなことができるので、本当に大変だったけど楽しかった。


そして余裕はないけど、自分も0からスタートしてベトナム語も勉強しようと思っては…いるのだ。もっと真剣にやらないといけないなあと思っている。


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