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6 ぶどう畑の真ん中でー12歳で単身アルザスの小さな村にあった全寮制日本人学校へ-日本出発、開校、入学式

日本出発、開校、入学式


入学式ギリギリに私は他の生徒や父兄と共に、日本を離れた。初めての海外、実はどんな思いで日本を発ったか、実は全く覚えていない。ただ、海外で最初に訪れた国は実はフランスではなく、私達の乗った飛行機はスイスに到着し、そこから1日スイスに宿泊、そこからフランス、アルザスに到着した。


海外とは全く縁のなかった私だが、実は私が小さい頃憧れていた国はスイスだった。小さい頃見ていたハイジの国で、幼いながらにスイスが永世中立国で戦争をしない国ということを聞いて、とても興味のある国だった。そんな憧れていた国が自分が最初に訪れた外国の国だったことを覚えている。

そして、余談だが、スイスやドイツから近いこの地に3年いたのだが、この頃まだフランスの首都パリは遠く、一度もパリに行かずして、私はフランス滞在を終えた。

アルザス成城学園は1986年4月17日、入学生の入寮日を迎えた。10時前から生徒が父兄と供に続々と学校に到着した。全教員や生徒が、慣れない寮生活の初めての食事、入浴、就寝などでてんてこまいだった。

そしてその次の日、4月18日、開校式をむかえた。会場となる講堂は(旧礼拝堂)で、幼い私にはとても神聖な場所に見えた。天井を見上げれば、ヨーロッパの絵画が描かれており、そこはもう日本とは違う場所だった。そこに生徒132名、教員28名、父母150名、同窓生20名、学校関係者、日本大使館、フランス側からは県議会議長アルザス州議会議長、知事を始めとして、地元の市長、教育関係者など来賓が列席し、生徒席を除いては1階、2階とも参列者でいっぱいとなった。

東京の学校から来た幼い私には、この光景がとても不思議に感じた。突然多くのフランス人が入学式にいるような環境で、「ああ、私は今外国にいるんだな。」と感じた。

成城学園、学園長は式辞の中でアルザス校の理念と特色を3つあげていた。そのまま抜粋するが、これがこのフランス、アルザスのぶどう畑の真ん中にある日系学校が他の学校と異なる大きな3つの点だったと思う。

①フランス国にある日本人の学校であること。
外国語や外国の事情を学習し、地元との交流に努め、国際的視野と共用を持った生徒を育てたい。

②成城学園が作った学校であること
個性尊重の理念をかかげた成城教育の精神が、国際的な学校を作ることによって、新たな発展となるであろう。

➂寄宿舎つきの全寮制の学校であること
これは成城学園とって新しい経験である。生徒も教師も一緒になって、明るく楽しい、意義のあるものをつくってほしい。

そしてそれから生徒全員の名前が読み上げられ、校長が次のような告辞を述べた。フランスという異国の地にあるけれど、この学校がとても日本らしい学校だったことがここでよく分かるような、そんなお言葉だったように思う。

『わが成城学園は個性尊重を旗印にする学校であります。それまた相手の人間を十分尊重することから始まります。そこから人間同士の『和』が生まれ、その『和』こそ全寮制の学校では特別大切なものとなるのです。このキーンツハイムの地は、勉強したり、運動したり、読書をしたりするには理想のところです。ものを考えるにはふさわしい丘や、小径があります。身体を鍛えるのに絶好な山や川や森があります。この恵まれた自然の中で、諸君のすばらしい青春をつくりあげて下さい。』

今になって思うが、この学校はとても日本らしかった。日本の先生が設立した学校で、この中には海外留学経験者や海外在住者もほとんどいなかった。校内で働いていたフランス、アルザス在住の日本人の方もいたが、それはそれで海外留学経験者ということではなく、海外長期滞在者で、私達生徒の気持や生活を最初から理解できている人達がとても少ない、そんな環境だったように思う。

それが悪いことだとは言わないが、本当にこの学校は教師にしても手探りのことばかり、生徒にしても手探りのことばかり、何もかもが新しく、知らない事ばかりで、皆で一緒に創っていく学校だった。

今となっては留学もかなり簡単にできるようになっているが、まだこの頃は留学、それもこんな幼い子供たちが留学するなんてことは珍しいことだったと思う。それに、私達の学校は人口500人ほどの小さな村にあり、そんな所に急に150人以上の日本人がやってきたのだ。この地方にとっても、村にとっても大きな出来事だったに違いない。

そんなこともあってか、入学式、開校式の間、多数の新聞、テレビカメラマンが忙しく動きまわり、フラッシュの波の中で東京の学園、いや通常の入学式や開校式では見られない式典の光景だった。そして、この日の様子が地元新聞にも掲載され、私の初めての新聞掲載デビューとなったのだった。

そんなアルザス成城学園はこのぶどう畑の真ん中のアルザスの地に、地元の人々の好意に包まれて、スタートした。12歳で海外留学するということも珍しい体験だし、これからみんなで創っていくような、そんな新しい学校の開校に入学するということも、全寮制の学校へ入学することも、色んな点で私は多くの新しく、珍しい体験をすることになったのだ。

たまに聞かれるのだが、そんな幼い時に親元を離れて寂しくなかったのか、ホームシックにならなかったのか、泣いたりしなかったのか。実は最初この学校に到着した時は、まるで修学旅行の延長のような感じもあり、寂しさとか親元を離れて悲しいという気持には直ぐにならなかった。それよりもここでの生活をするのこと、この環境に慣れることに精一杯で、それどころではなかったことを覚えている。

ホームシック=家というよりは、この頃まだインターネットなどもなく、簡単に日本の情報も入って来ず、ジャパンシック、日本が恋しいと思うことはたまにあった。毎日の食事も慣れないフランスの食事だったことなど、あまり事前に想像していなかった不便さが幾つかあった。けれど、特に日本食に拘った食生活を元々していなかったことなど、そこまで大変だとは思わなかった。

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