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フランスでの教育に関する超個人的感想

明日復職

なんとなく、定まったやることのない平日日中を贅沢に使っているうちに8月が終わりました(そこまでは後悔していない)。
明日から仕事に戻るので、夏休みの宿題を焦って終わらせるように、先日書こうと思っていた記事を書こうと思います。

教育に関する記事のログ

これも過去何回か書いておりますので、具体的な例などについてはこちらをご参照ください。

印象としてのフランスでの教育

ここからは、個々人や各家庭の状況、個別対応で補えるところがあるはずだ、という大前提を強調した上で、しかしもし私がフランス語のできる人でそれでもフランスで教育を受けさせたいとしたら、というミクロの視点で感じたことを書きます。

エリート教育インフラの中央集中

さっそく行きますと、普通に中学高校まで行かせて大学(グランゼコールではないです大学の方です)に、くらいなら地方でも普通にいけるかもしれませんが、いわゆる「いい高等教育機関に行っていい企業に勤めて」をやろうと思ったときのパリ集中が著しいと感じました。
ご案内の通り、フランスでエリート教育の中心となるのはグランゼコールです。そこに入るためにはプレパを経由する必要がありました。
(語句説明をしようか迷ったのですが、ググれば or ChatGPTに聞けば概要つかめますのでここでは割愛します)
で、その中でも名門と言われるプレパに行こうと思うとほとんどがパリにあります。そして、地方在住の子が受験生になって「学力試験で受けてみよう」と思って入るような感じが、あまりありません。そもそもバカロレアが一発勝負でなくなりつつありますが、これまでのことでいうと、優秀な子は高校(リセ)の時点で親元を離れ、名門校に行けるようパリで下宿するのです。
例えばマクロン大統領は、後の奥さま、ブリジットさんとの関係が問題となり地元を離れてパリの高校に行ったのですが、それが有名なアンリ4世校です。

とはいえ、ENA(国立行政学院)を廃止し、lycée professionnelについて強化策を打ち、という大きな教育改革が起きていることからもわかるように、フランス政府がこれでいいと思っているわけではないです。
入試内容、入試制度、いずれも変わってきています。一方、制度をいじれば一瞬で人の考えが変わるわけではないことは、日本の教育を見てもよくわかることでしょう。
本項目については、「これまで中央集中の慣性が働いてきたので、意識としても集まってしまっている」ということです。今後は変わるのかもしれません。

※プレパ含むフランスのエリート教育についてはぜひ以下の書籍をご覧ください

日本の特徴は「教育の平準化」

帰国してからまだほとんど学校に行かせていませんが、渡航前の経験踏まえて敢えて大きいくくりでいうと、「日本の教育は、多くの科目を、なるべく誰もが、平準化された内容で受け取れる(副教科含む)」という形で提供されています。一方フランスも公立学校は公立として揃えた内容でやっていますが、全員に同じものを提供しようとする場合、科目や内容を増やしすぎると対応できないため、特に副教科的なもののケアが薄そうです。
一方、水曜日の授業が短かったり、バカンスが長かったりするので、個々の家庭においてカリキュラムを足し、子どもの好みに合わせて伸ばしていく術はあります。我が家はあえてフランスでは習いごとに手を出させませんでした(不慣れな環境で生きるだけで負荷なので)が、いろいろ習えますし、音楽を伸ばしたいならそちら向けの学校に、などもできます。

しかし、親に余裕がなかったり、本人に興味がなかったりすると世界の広がりが出ない蓋然性が一挙に上がります。日本の学校教育の細やかさは、得意不得意がはっきりしていて集団に合わせるのに苦手を有する人(=わたし)にはあまり快適ではないのですが、集団として統一して能力を上げていくという観点ではひとつの優位性があります。ただ、全部まんべんなくやるには手間も時間もかかるので、伸ばしたい突出した能力に回す時間がなくなるのが欠点です。

抽象的思考の重要性

これは、フランスの教育というより、母国語と違う言語で学んでいる子どもたちも見ての感想ですが、「目の前の具体的な事象から吸い出して、抽象的な思考をまとめた上で、それをロジックを立てて文章にする能力」は、語学力とは違います。
表現の多様性や文法の正確性、蓄積された文脈に沿った語彙の選定は重要ですし、それが複数言語でできるに越したことはありません。しかし記載内容の土台となる抽象的思考は、語学とはまた別のやり方で学ぶ必要があります。これは語学の専門家の書籍等を読みつつ語学をやりつつもそんなに語学が得意でない私が、とにかく日本語で思考し、くみ取って表現する能力については研鑽してきていたことで、文章表現以前の土台が複数言語またいでも影響してくると見えてきたことから思い至ったところです。

この抽象的思考をどう育てるかについて、個人的な解は一応持っています(うちの子に関してはとにかく親から思考過程についてのフィードバックをしています。ロジックが飛ぶ、含むべき情報が抜けていると即座に問い返します)。とはいえまだまだ不十分ですので、今後、日本での教育状況も見つつ補っていければと思います。

以上、いったん、個人的な感想として持ったものを書き付けました。他に思いついたら追記するか、また別エントリで書くかもしれません。

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