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生きて食べるということ

前書き

最近はアベプラねたが多くなってる自分がいる
この話は知っていたけど
先生本人から話を聞けることは稀なので注目していた
テーマから先生に批判的なコメントがあることは
覚悟していたと話していた
その姿勢に感銘を受ける

覚悟を持って話す人が少なくなった
名前や素性を隠し誹謗中傷する人が多い中で
前に出て話す勇気は
それだけで賞賛に値すると思う

今回のテーマには
二つの問題提起があると思う

学校教育での経験はどこまで必要なのか
伝える方法は適切であったのか

ちなみにアベプラの中で言っている
生徒が授業を受けるor受けないの選択問題はスルーします
こちらで授業の選択の話はしているので
気になる方はこちらから

こちらも興味がありましたらどうぞ



学校教育での経験はどこまで必要か?

故郷は農村地区であったので田畑や畜産をしているのが当たり前にあった
そうすると鶏や豚牛を捌く光景は近くにあった
畜産業を生業としていたわけではないので
頻繁に捌いている姿を見ていたわけではなく
都会に住む人たちよりも近くにあった程度である

けれど祖父母の家に行けば
鶏を捌く光景を目の当たりにすることは
普通にあり
それが小学校の頃は非常にショッキングであったのを
今でも朧げながらに記憶している


教育の課題として
その土地の文化や地域性も生活と同様に教育の中で
培われていくという部分を理解しないと行けない

漁村であれば魚の釣り方魚の捌き方が生活の中で
当たり前の営みとしてある
生物の授業で解剖をカエルよりも魚の方が良いかもしれない
家庭科で料理を作るなら風土料理として魚を使うかもしれない

農村ではどうだろうか
例えば林業を生業としてる場合は
森の中で鹿や熊を食することもあるだろうし
私の田舎では馬肉を食べることは普通にあった
祖父が獲ってきたウサギや熊を食べたこともある
けれど都会に暮らしている人たちにとっては
この経験が必要かと言われると答えに悩む

教育とは生きる術を身につけること

教育から知識や技術を身につけて
その後の人生を生きていく術を得るためであれば
漁村では漁業になるし農村では農作物や畜産なのだろう

一時期ハマって見ていた


伝える方法は適切であったか

生きることを伝える
命の大切さを伝える教育をするうえで
この方法が適切であったかどうか

多分、これが農村で畜産業を生業としている地域であれば
なにも問題ではないだろうし理解をえられると思う
これが都会ではどうなるか
このことでトラウマになっただの
子どもの心的影響はどうだの
保護者が騒ぎそうだ

コロナ禍でオンライン授業が推進され
各家庭にPCやデバイスが配られれ
保護者が喜んでいる姿を見ると
この人たち子どもたちのことを考えているのかと疑わしくなる

オンラインでの影響も考えないと
教育と環境を見定める必要があると思う
これでは保育園でずっとTVアニメを見せているのと変わらない

何が適切かは実際のところ当事者の先生も今だに悩んでいる言っていた
私はこれが真理だと思う
教育保育は答えを考えて出し続けることに意味があると思う
人が人を育てるということは
常に試行錯誤しながらお互いを理解し合い
共に成長していくことだと思う

最後に
教育の中で子どもたちも自分で手にいられれる情報が多くなった
図書館に行かなくても調べられるし動いている姿はYouTubeにある
けれど
知ったつもりになる子どもたちも増えた
知識だけではなく実践しないと見えないこともある
それが飼育なのか動画なのか文字なのかはわからないが
子どもたちが享受する情報は大人がちゃんと考えて
用意してあげることが大切なのではなないだろうか


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