見出し画像

その4

ドラマや映画のような奇跡的な出会いも
運命的な出来事もないけれど
日々が営みと感じられるくらいには
生きている実感がある時代

大人たちの中心には、いつも子どもがいた
親戚一同が集まると「本家」「分家」なんて言葉を聞いたり
嫁姑問題という裏側なんかもあったりして
大人の世界がチラチラと見えて
冠婚葬祭すべてに子どもはセットのように存在していた

親戚が集まると子どもたちは子ども同士で自然と集まる
そこに少し年上のお兄さんやお姉さんが(と言っても中学くらい)
大人の真似をするように軽い反抗期を見せ大人ぶる
田舎の実家は古くても広い土地と敷地があり
走り回る分には十分であったけれど
今のように携帯ゲームもスマートフォンもない
それでも何かしらの楽しみを見つけるもので
裏山の神社や隣町にかかる橋の下で川遊びなんぞしたもんだから
余計に今の子どもたちが不憫に見えてしまう
ゲームやスマフォの画面を覗き込んでも
本来の生きる楽しみは得られないというのに
それが全てのように刷り込まれてしまう今の時代は
なんとも寂しいものだ

子どもの頃を思い出してみて
あの時に何を学んだのだろう(経験)と思い返してみる
何かをしなければいけないということはなく
でも大人の言うことを聞き
手伝うことで働くと言うことが生きると言うことだと
なんとなく感じていたのかもしれない
「働かざる者食うべからず」そんな言葉を思い出す

農家は毎日が自然と共にあり田や畑を見てまわる
祖父の後について行き、何をしているのだろう?
遊んでいるのか?と子どもながらに思っていたが
あれが農業だと知るのは結構大きくなった頃であった

時間がゆっくりと繰り返される
大人になると息が詰まるほど忙しいのに
子どもたちには時間とは無縁の頃を少しでも経験して欲しいものだ

よろしければサポートお願いします!╰(*´︶`*)╯♡