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私の昭和歌謡76  時代 1975

懐かしいはやり歌聞く大晦日まわるまわるよ時代はまわる


【辰年の歌手特集 中島みゆき】

令和6年元旦。明けましておめでとうございます。
お正月に辰年の歌手を特集しました。
来週から、月水金3回の投稿が金曜日一回となります。


中島みゆきの曲は「時代」しか歌えない。
この曲がヒットした後も、みゆきさんはたくさんのファンと共に作品を世に出してきた。でも、私がテレビを見なくなり、洋楽に傾倒したために、ほとんど、リアルタイムに味わった曲はない。

私はこの曲を、父を亡くした時に聞いた。心にしみた。

歌手は23歳。自作の曲をたんたんと歌っている。

この曲を、今、聴く時、若い私とは違う感想がある。それは
あんな若い子が、よくもまぁ、人生をわかったように曲を作れたものだ、たいしたものだ、という感想だ。

当時は、悲しい、苦しい思いを忘れさせてくれるように、三連のメロディーが心地よかったんだ。とても。

私が初めてこの曲を知ってから、50年ほどの時代が経った。再びこの曲を聴いて、なんていい歌詞なんだと思う。

この曲のはじまりは、アリアのレチタティーボなんだ。人生のどん底にある自分を説明してる。このフレーズはここだけで二度と歌われない。

🎵今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて
もう二度と笑顔にはなれそうもないけど🎵

そして、穏やかに諭すように、年寄りが若者に語るように
🎵そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ🎵
と、あらためて始まるんだ。

二十歳そこそこの女の子が、こんな歌を作ったことに心底驚く。

他の曲は知らないと言っても「悪女」ぐらいは知っているし、これも歌詞を読めば、作者が空想で書いた、いや書けたことが明らかだ。あの若さで「時代」を作ったことに十分納得がいく。

当時、ヤマハは若いミュージシャンを発掘し、売り出すことを盛んにやっていた。中島みゆきもその一人だ。

シバリがきついヤマハから、他のプロダクションへ移ったり、自分で会社を創設したりして、ミュージシャンが離れる中、今でも彼女はヤマハにいる。

そしてヤマハミュージックコミュニケーションズの取締役でもある。
これにも驚いた。自分の趣味を職業にしたあっぱれな女だと思う。

中島みゆき。71歳なんて信じられない。

あれから、どんどん綺麗になって、熟女になっているという噂は聞く。だから、美しい年寄りなんだろうな、と想像する。

でも、私にとって、彼女は、ギターを弾きながら「時代」を歌っていた若い歌手なんだ。そこから時が止まっている。

自分だって67歳なのにねw
音楽は不思議。タイムトラベルができる。だから、「私の昭和歌謡」をもう少し続けて書こうと思う。

令和6年元旦


【参考資料】



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