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私の昭和歌謡75 裏切りの街角 1975

照明を見せるステージアメリカのショービジネスが日本到来


私のダンナは、20歳の時、友人と企画会社を立ち上げた。

1976年。一人だけまだ19歳だったのでホールを借りることができない。そして当時の代表者になった友人が、2023年の今も社長を続けている。

当時、私の町でタレントを呼ぶのは労音だけだった。左翼の利権だw でも、それに立ち向かうために会社を作ったわけではない。

地元グループが、自分たちでコンサートをやって切符売るんじゃ惨めったらしいので、会社を作った、というのがきっかけだった。

作ったんだから、そのまま会社を続けただけ。
一部門は“呼び屋”だ。タレントを地元ホールに呼ぶ。

初めて甲斐バンドを呼ぶことになった時、ダンナは全く知らなかったので、そのステージにびっくりしたという。

今じゃ当たり前だけど、照明に凝っていて、目潰しとか、でかいミラーボールとか、ヘッドライトのような効果。あかりそのものを見せる演出。

もちろん人間が動かしている時代だから、実験的なものだったと話しています。当時のホールは調光機は壁についていて、立って両手で動かすもの。

たまりませんww

そしてお客は・・・1曲目から・・・立っている! 
しかも、指定席とか関係なく背もたれを飛び越えて前に来てしまう。

公立文化施設協会のブラックリストに載った矢沢永吉ほどではないけれど、そういうタレントを呼んだことがないダンナたちは、コンサートを最後まで無事終了させることでハラハラだった。

アリーナで当たり前の光景だが、この頃から、日本の呼び屋による、日本のタレントが、日本の会場で、新しいコンサートを改革する幕開けの時代だったんだと思う。

甲斐バンドは5回ほど呼んだらしい。

さて。「裏切りの街角」
若い甲斐よしひろは、自分を捨てた相手を、はじめは”君”と表現している。最後は”あの人”。

きっと年上の人と恋をして捨てられたんだろう。

歌詞が詩として優れているわけじゃなく、正直に、素直に綴った若い作品が、曲とマッチしている。詩だけでも唸らせる作品は他にたくさんある。でもこの歌は、二つが組み合わさっていないと価値がない。

それでいい。シンガーソングライターという古い言葉があるけれど、そういうタイプだから、熱いファンがつくんだろう。


この曲はタイガースファンの私は「僕のマリー」風で好きだ。

それから、歌唱は尾崎豊を思い出させる。もちろん甲斐よしひろのが先に売り出して今も歌っているから、ヘンな例えだけれど。

参考のYouTube動画は、売り出した当時のものといい年になってからのもの。明らかに歌唱は変化している。でも、それが彼の場合は、違う曲として蘇っている。

”君”も”あの人”も、遠い思い出の中の女性だ。

自分の作った曲を年とって歌う時、もっとアレンジして違うイメージにするタレントもいる。でも。

甲斐よしひろは、若い頃のまま、ごく自然に、年寄りの出せる声で歌ってしまう。すっぴんで登場の女優のように。すごい。

私は、高校の音楽の歌のテストのように歌う、若い甲斐よしひろが好きだ。でも、現役の甲斐バンドに陰ながらエールを送る。

私は67歳だし、甲斐よしひろさんは70歳だし、がんばらねばね。





【参考資料】


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