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私の昭和歌謡

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昭和は遠くなりにけり(おばあちゃんがいつも「明治は遠くなりにけり」って言ってたっけ)私も歳をとったもんだ。 でも、昭和歌謡を聞けば、そこに私の青春がよみがえるの。 だから、昭和人…
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2024年5月の記事一覧

私の昭和歌謡100 東京キッド 1950

私の昭和歌謡100 東京キッド 1950

占領下。いきで、おしゃれで、ほがらかな映画に驚く令和の夜

私の昭和歌謡100回目となりました。

私が生まれる少し前の映画を語ります。

日本は1945年から1952年の7年間、米国の占領下にありました。

「東京キッド」はその間につくられた映画です。そして、13歳の美空ひばりが同名曲をこの映画の中で歌います。

病気の母と子が寄り添うように暮らしている。そこへ、放蕩の末アメリカに行ってしまった

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私の昭和歌謡99 死んだ男の残したものは 1965

私の昭和歌謡99 死んだ男の残したものは 1965

反戦歌とは思わずに口ずさむ初めて歌詞に気づくは令和

森山良子にハマっていた。

反戦歌の意味も考えず、小学生の私は真似して歌った。その頃は、まだ高い声がスーーっと出ていたから、平べったい森山良子の声より、よっぽどスゴイぜ、なんか思いながら、ガンガン歌った。

こういうのが私の昭和歌謡の鑑賞だった。

だから。歌詞もメロディーもすっかり覚えているのに、全く味わっていないも同然なのだ。

流行った歌

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私の昭和歌謡98 雨 1972

私の昭和歌謡98 雨 1972

お座敷で三味線つまびき歌う唄円山芸者の息子の歌声

三善英史。
さすが母親が円山芸者だけあって、演歌とは違う座敷唄の発声だった。

そこがめずらしくて聴いた。小さいこぶしが自然に入る。これは真似するのは結構難しかった。

昭和生まれは、ヒット曲は歌うから。聴いて歌って味わうのだ。

🎵雨にぬれながら たたずむ人がいる
傘の花が咲く 土曜の昼下がり🎵

こういう情景を歌うのであって、女心のどうの

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私の昭和歌謡97  真夜中のギター 1969

私の昭和歌謡97  真夜中のギター 1969

名曲はロック、ポップス、歌謡曲、フォークはとくにシンプルがいい

1907年前後のフォークソングは、今では全部同じに聞こえてしまうww

失礼。例にすると、昭和40年ごろの歌謡曲が万葉集なら、フォークは古今和歌集って感じかな。

敬意を表して例えました。ごめんなさい。

昭和歌謡に精通している方は、次のつぎはぎを歌ってみて。私の言いたいことがわかると思うから。

ざわわーざわわーざわわーーーーー(

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私の昭和歌謡96  小さなスナック 1968

私の昭和歌謡96  小さなスナック 1968

君はいまどこへ行ったの?僕ひとりキャンドルライトに揺れる面影

いつの間にか流行っていた。
覚えてすぐ歌える童謡のような有節ソングだ。

グループサウンズ風の青年たちがフォークソングを歌ってる。3番まであって、最後に半音上げて終えるぐらいしか曲の展開がない。

たまに、それほどの工夫もない一発ヒットが出る、そんな一曲だと思う。

小学生の私は、友だちと、曲より歌詞を論じ合った。論じ合ったというと、

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