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私の昭和歌謡99 死んだ男の残したものは 1965

反戦歌とは思わずに口ずさむ初めて歌詞に気づくは令和


森山良子にハマっていた。

反戦歌の意味も考えず、小学生の私は真似して歌った。その頃は、まだ高い声がスーーっと出ていたから、平べったい森山良子の声より、よっぽどスゴイぜ、なんか思いながら、ガンガン歌った。

こういうのが私の昭和歌謡の鑑賞だった。

だから。歌詞もメロディーもすっかり覚えているのに、全く味わっていないも同然なのだ。

流行った歌を、耳コピして、どんどん歌う。毎日歌う。女の子の体に音楽が血となり肉となって、最後は何かスピリッツになって残る。

そうして何十年も経った今、こうして思い出すと、何も考えずに、はじめから終わりまでを歌うことができる。すごいもんだ。あの時しか歌ったことがないのに。

作詞は谷川俊太郎、作曲は武満徹。教科書に載る面々。
「ベトナムの平和を願う市民の集会」のためにつくられた反戦歌だ。
このことは当時の私は全く知らない。覚えていないw

ただ、6番まである始まりが面白かった。
「死んだ」で歌い出すなんてクールだ。歌謡曲には決してない歌詞だ。
そして「死んだ」男、女、子ども、兵士、彼ら、歴史と続く。

わが家はカトリックだったから「死」について言葉に出して語ることもたまにあった。それに私が子どもながらに、反戦歌を歌うのは、祖母や叔母にとって好ましいことだった。

さあて、成人してから思えば、こんなリベラルのお祭りの歌?と腹立たしい。ベトナムの平和を願って歌うと、それで平和になったのか?と怒りが込み上げる。

まず原爆を落とされたくなかったし、民間人を虐殺した大空襲に、はらわたが煮えくり返る。戦争に負けたくなかった。

そして負けた後、共産主義を食い止めるために日本は率先して、「豊かになると国民は共産主義がいいなんて思わない」と、東南アジアを支援した。共産圏を食い止めるために、大いに米国に協力をしたのだ。

そんな中の反戦歌を意味もわからずよく歌ったものだ。そして、忘れてしまった。

ある日、私は武満徹のポップスを石川セリが歌っているCDを見つけた。石川セリは井上陽水の奥さんだ。このアルバムを見つけるまで知らなかった。

どの曲も、武満徹がセリさんに歌ってほしいと思ったに違いない曲ばかりだし、彼女の少年ぽい鼻歌のような歌が素敵だった。

この曲は多くの歌手に歌われているが、彼女だけは違う。

武満が谷川に
「メッセージソングのように気張って歌わず、「愛染かつら」のような気持ちで歌って欲しい」という手紙を添えて渡したというエピソードがある。

歌詞の中に気になる左の思想が見え隠れするのに、石川セリは全く赤い思想を感じさせない、「愛染かつら」を爽やかにやってのけている。

しかもこのアレンジは何気なく秀逸だ。

令和の現在。保守とリベラルとの戦いが始まる。これからが本番だ。どちらに軍配が上がるかわからない。

私は保守だ。このアレンジは保守の勝利をうたっている。ふふ



【参考資料】



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