マガジンのカバー画像

私の昭和歌謡

102
昭和は遠くなりにけり(おばあちゃんがいつも「明治は遠くなりにけり」って言ってたっけ)私も歳をとったもんだ。 でも、昭和歌謡を聞けば、そこに私の青春がよみがえるの。 だから、昭和人…
運営しているクリエイター

2024年3月の記事一覧

私の昭和歌謡91   蘇州夜曲 1940

私の昭和歌謡91 蘇州夜曲 1940

戦前の異国情緒のシネマには敵わないなあ美女の歌声

山口淑子(李香蘭 りこうらん)は、もちろん昭和の有名人である。

波乱万丈の人生だった。
・1920年中国奉天で日本人両親の娘として生まれる。
・美しい容姿とソプラノ歌手として中国女優李香蘭として活躍。
・漢奸の容疑で命からがら中国から日本へ逃げ帰った。
・日本の女優山口淑子として、三船敏郎や池部良と共演。
・ニューヨークでイサム・ノグチと5年間

もっとみる
私の昭和歌謡90    雨の御堂筋 1971

私の昭和歌謡90 雨の御堂筋 1971

昔から欧陽菲菲ベンチャーズ日本歌謡はグローバル

15歳の私が驚いたのはステージ衣装だった。

それまでの衣装は、ピアノの発表会で小学生が「かっわいー」と言ってもらえるような、裾が広がったふりふりレエスのドレスだった。

なんと!欧陽菲菲は違った。

ボディにくっついたようなぴったりサイズ。肩ひもーーーー!胸から上が露出。もちろん足が見え見え。それで踊る。

それだけで、テレビ時代の歌手はいいのだ

もっとみる
私の昭和歌謡89    山寺の和尚さん1937  東京ブギウギ1947

私の昭和歌謡89 山寺の和尚さん1937  東京ブギウギ1947

ジャズやブギ戦後流行ったもんじゃない服部良一ここにあり

ヒット曲はヒットしてからしばらくはテレビやラジオで流れる。

「東京ブギウギ」もその一つだった。戦後の暗い気持ちを吹き飛ばすような曲を提供したいという服部良一さんの思いを、歌手の笠置シズ子がのびのび歌う。ものすごいエネルギー量だ。

今あらたに動画で見てもほれぼれするほどの歌唱力だった。

今年のNHK連ドラ「ブギウギ」のモデルになっている

もっとみる
私の昭和歌謡88    女心の唄 1964 

私の昭和歌謡88 女心の唄 1964 

1拍も2拍も遅れて歌ってもそれが演歌の自然なリズム

ダンナに聞いた。

「ねえ、子供の頃はやった歌何かある?」

すると、ぶっきらぼうに「バーブ佐竹。青江美奈。」と返ってきたw

私が歌番組が大好きだったのと正反対に、主人は大嫌いだったらしい。

たぶん、バーブ佐竹も青江美奈も顔がいいわけではないから(ごめんなさい)余計ムカついて、チャンネルを回したんだろうと想像した。

グループサウンズもまだ

もっとみる
私の昭和歌謡87     三百六十五歩のマーチ 1968

私の昭和歌謡87  三百六十五歩のマーチ 1968

熊本はいまやバブルの真っ盛り半導体が幸せ運ぶ

はっきり言います。
当時私は、こんな歌ゼッタイいやでしたww

男の着流し姿で歌う演歌歌手など、私はちょいごめんだなー、と思っていました。

水前寺清子、チータは、この曲では、マーチングバンドのユニフォーム姿のレコードジャケットでした。なんなん?

不思議なことに、昭和のテレビの影響力は大きかった。

私がこんなに嫌いって思っているのに、テレビの中の

もっとみる