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肺がん末期の父との最後の日

「パパもママも風邪引いたの?」
「そうだよ、みんな辛い辛いだよ」
「おばあちゃんも?」
そんなわけはないが、「そうだよ」
「おじいちゃんも?」
死んだから、ひいてないよ。と、いってもわからないか。「そうだよ」

「でも、おじいちゃん、死んじゃったっていってたよ?」

一瞬の間。父の死から、3ヶ月。
君は、覚えているのか。
息子の顔が、しょんぼりと変わる。

もう、持たない。会うなら早い方がいい。
そう言われた次の日に、緊急帰省した5月24日。
急いで飛行機と宿を取り、
息子と夫を連れて、翌日わたしは父の病院に行った。

「痛みが強くて、ずっとお薬いれてるけど、…お話しできたらと思って、薬減らしてます。」
そう看護師さんは言った。
でも父は朦朧としていて、あーだの、うーだの言っていた。
わたしは、生きているうちに会えたことが嬉しくて、ただただ泣いて、笑い、喋りかけながら、父の顔や、手や、足を触っていた。
息子は、持ってきたパンダのぬいぐるみを父に見せていた。
「おじーちゃん」と、弱々しく呼んだ。
「あーって言ってるね」とも。
途中で飽きて、一度夫と屋上庭園にいった。
わたしは父の頭を撫でながら、ぼーっと父を見ている。髪の毛ふさふさ。母は入口近くの椅子で、優しく見守っている。

息子も屋上から帰ってきて、そろそろ帰ろうかと思っていたとき、看護師さんが入ってきて、父の名前を呼ぶ。「○○さーーーん、娘さんとお孫さんきてますよーーーー」慣れたように肩を叩く。
すると、うるさそうに、父が顔を顰める。

そして、明らかに意識を取り戻した目をした。
わたしと目が会う。
みるみる涙が溜まる。お互いに。
大好きな、パパの目が、わたしと、そして息子をみる。

「パパ、来ちゃったよ」
「息子も連れて、予定より早く来ちゃった」
「夫も一緒なの」

父の目が、心底驚いた顔をして、そして歪んで、小さくうなづく。
ああ、最期だ。これが本当に父との最期だ。
父の手がふとんから出て、息子の手を握る。

「おじーちゃん」
さっきより強く、息子が呼んで、父はうなづく。 

「パンダ連れてきたの、おじーちゃんに見せたいっていうから、わざわざ持ってきたよ」

目でうなづく父。
そして、母にも聞こえるように、「あいがと」と言った。確かに、父の声で、ありがとう、と。
父も分かっている、最期だと。
涙が止まらなくて、愛してる、愛してると伝えた。

しばらくして、痛みから父は唸る。そして、父は眠るように静かになる。時折、痛みに声をあげる。その繰り返し。
薬を減らしてもらっているので、痛いのは当然だ。
私は、母に「もう大丈夫」という。
母は、こんなときも、涙を流さない。
母は看護師さんに、もう薬入れてくださいと伝えたあと、父の横で、「もう寝りぃ、おつかれさん」という。

その後、宿に戻って、なんとか寝た深夜、父の危篤の電話が母から入る。母は一回自宅に帰っていたので、また高速にのって、父の病院にいく。2時間はかかる。私の方が近い。
夫に伝え、息子を任せ、自分だけ、タクシーに飛び乗る。涙を流さないように、握り拳に爪を立てて。
手は、三日月みたいな跡だらけになった。

病院について、父が息を引き取ったことを知る。
父に会うと、寝ているように綺麗な顔をしていた。昼間の苦悶の表情とは大違いだ。
安心する、苦しくなかったことに。おつかれさま、と頭を撫でた。

母はまだ知らないと聞いて、私から電話する。
運転中なのに、母は電話をとった。

「私も間に合わなかったけど、パパ、苦しまずに逝ったよ」

電話の先から、母の泣く声がした。

そう、結論からいうと、私は父の最期に間に合った。
飛行機の距離で、いつ死んでもおかしくないのに。
しかも、私がとんぼ返りにならないように、その日のうちに。(正確には0時は超えていたけれど)
夫の、「ほんと、旅に出たみたいな最期だったね」
という言葉がストンと落ちる。

「娘にも、孫にも会えたし。んじゃ、いってくるわ。」

うん、そんな感じ。

その後は、父が決めていたとおり、式もなく、ほぼ直葬。私たちは喪服も着ずに、火葬場にいる大変滑稽な葬儀であった。
息子は、焼き場まで来た。わかっているのかいまいちわからかったけど、「おじいちゃん、痛くないの」とか、「おじいちゃん会えないの」とか、時折しょんぼりし、忘れたように元気な時間もあった。

そして、話は冒頭に戻る。
そうか、死んでいたことを覚えていたか、としょんぼりとした息子の顔を見ながら思う。

「…そうだね、死んじゃったから、風邪は引かないよ。痛みもないし、きっと、みんな大丈夫ー?ってお空から見てるよ」

息子の不安げな顔は消えない。

「ちゃんと、会えたよね?病院。覚えてる?パンダのぬいぐるみ、持っていってお見舞いしたね。」

息子の顔がぱっと明るくなる。

「うん!おじいちゃん、あーっていってた!よしよしもした!」

当時3歳の息子、全部、全部覚えてる。

あの日。夫の言葉で、息子を連れて次の日に帰ることを決めた。
あの日。父に痛みを思い出させながらも、父と最後の会話をした。
このために行ったのだと思う。
あなたとの最期の日を、息子が大好きなおじいちゃんとまた会えた日にするために。

だから、パパの最期を思い出しても、悲しくならない。パンダのぬいぐるみをトランクに詰めて、息子が会いにいった幸せの日でもあるから。


父が亡くなった日から、今まで、何度も書こうと思って書けなかった。でも、息子の言葉でようやく書き切ることができた。
やっと、整理できた気がする。

安心してね、パパ。
世界で一番愛してるよ。