見出し画像

【コラム】アクセサリー好きならば、自分でアクセサリーを作らないのか?

私はアクセサリーを中心に、どの洋服を合わせるかと考えながらOL生活を続けてきた。

時にして、欲しいと思うようなアクセサリーがなかったり、欲しいけれど高価すぎて手に出ないアクセサリーもあった。(今でもか・・)

そんな時はどうするか?私は諦めきれず、ハンドメイドで自分なりのアクセサリーをつくってしまうこともある。

無ければ作ってしまえ!自分の宇宙を表現するということ

欲しいものがない時には、自分で作ってしまえ!と意気込むこともある。しかしながら反して、私は不器用で、細かい作業が苦手。更に最近視力も落ちているため、ビーズに糸を通したり、留め金をひっかけるためのワイヤー処理などのストレスと言ったら!ほとんど見えていない眼で、勘で通しているようなもの。それだけザッパーなのだが、「これが欲しい」という欲望にはかなわず、見様見真似で作り上げる。

でも自分で作ったアクセサリーは、割と大事に使いこなす。世界に1点だけだし、自分の好きな素材をふんだんに使っているので長く使うことが多い。そして気が付くと年代ものになっていたりする。

画像2

時として思うのだが、アクセサリーのパーツを並べ、自分のイメージを形にしていく作業は、自分の中の宇宙を形にしている気がする。そしてその作業は心のバランスをとり、自分軸に戻してくれる。自分の宇宙を形にする=アウトプット、この素晴らしさは大いなる価値を生み出すと思う。

そう思うと、自分もクリエイターさんの気持ちとその昂揚が理解でき、彼らの宇宙をもっと見てみたいと思うのだ。

素材を見たときにワクワクゴコロが止められない

ハンドメイドアクセサリーには、アクセサリーパーツショップに行くことは必須。私が一時期(ほぼ3年くらい)、毎週のように通っていたパーツショップは、シンガポールのアラブ人街にひっそりとある問屋件小売り店だった。(今は店じまいされてしまったが)

スワロフスキー認定のカッティングがきいたヴィンテージビーズの数々、ハーキマダイヤモンド、セミプレッシャーストーンの数々、インド洋パールなど、ショップは1つの宝物箱みたいだった。オーナーさんがインド人の方だったので、インドからくる刺繍素材、タッセルなどもあり、私はもう夢中で素材やパーツを見まくり、頭の中では「あれでしょ、これでしょ」と自分なりのアクセサリーの妄想を広げ、心の中はワクワク。一旦このショップに入ったら2時間は出てこれなかった。そしてその素材一つ一つを入念に見て、パーツを選ぶ。パーツを作っている人の顔を思い浮かべると、更にワクワク度が広がったものだった。

そんなワクワクで選んだパーツを、自分の思い通り作り上げる作業、出来上がりもそのワクワクが醸し出ているのか、「かわいいね」「素敵ね」と言っていただくことも多かった。私は何よりも、そのアクセサリーと共に生活できる自分が嬉しかったのだが。

画像1

但し最大の落ち度は、不器用な自分が作っているため、時にしていきなりアクセサリーが分解してしまうことだ。品質管理は徹底していない。何しろパッションだけで作っているアクセサリーなので(笑)。一度はバイクに乗っているときに、ネックレスがパーンとはじけたこともあり焦ったりもした。(ハイウェイにパーツが転がったら大惨事になりかねない)

やはり、この点はかなわない

自分の好きな素材を組み合わせて作るアクセサリーは、勿論お気に入りになるが、どうしても「こればかりは・・」と思うことがあり、唯一断念しなければいけないことがある。(ちょっとイケてない、と感じる点でもある)それは「デザイン力」だ。自分で作れば作るほど、ジレンマに感じるのは、このデザイン力というものがない故、どうしてもどこか気に入らないということである。

私はデンマーク人の友人とコペンハーゲンでショッピングに行ったときに、それをものすごく感じた。

彼女はメンズアクセサリーのデザイナー。物をセレクトする視点が全く違う。

例えばつなぎ目のパーツのデザインの緻密さ、計算された曲線の美しさ、素材の良さ、そして生活に使う時の効率性、これらの点を長い年月で見てきた審美眼で即時にジャッジする。私は改めてデザイナーの卓越さに感服させられた。

一方私と言えば、このパーツにはどんな背景が合うか、どうやって使うか、素材を生かすにはどうしたらいいか、どんな服と似合うのか、完全にユーザー視点である。

ではどうしたらイケているアクセサリーを自分で作れるのか

話は少し変わるが、レストランでもフランスやイタリアなどで修業されたシェフが作るお料理と、いい素材を入れて提供するダイニング的なレストランもある。

前者は、お料理そのものを”熟練された”シェフが、食に対するプロフェッショナルな思いとスキルをもってデザインをされ、作り上げるアートや哲学として楽しむことができる。後者は、作り手の思いと、我々の生活に近い温度感の中で楽しむことができる。

自分で作るアクセサリーは、作り手(自分)の思いと”気軽に毎日使える”という感覚で楽しめるのだと思う。その楽しむ、ということがそのアクセサリーをイケてるものにするかどうかの鍵だと思っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?